京セラミュージアム | 猿の残日録

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いろんなことがあるが、人生短いから前だけを見たほうがいいですよ。江原啓之 今宵の格言

イオン那覇店 フードコートの亀そば

 

 牛肉とピーマン炒め 沖縄そばとセットの日替わりそば定食  右は チャンポン

 沖縄料理のいいところは、安い ホッとする

 和食のやよい軒のポスターにイタリアンシェフが定食をホッとする と書いてあるが

 やよい軒のメニューはバリエーションがやや少ないので、同じものを食べるから

 飽きることもある (揚げ物は私は基本食べない)

 

 沖縄料理も似たようなバリエーションだが、安いということと、自然食な気がして

 脂っこくなければおいしいと思って食べます

 

 

京都駅の九十九そば おいしかったです 小魚自由にトッピング(カルシウム補給)

 

  とにかく、安いのが1番でした おいしいし、安い

 

 

 

城南宮の近くで宿泊していたので、すぐ近くに京セラ本社ビルあり、1Fが京セラミュージアム

10連休の後だったからか、土日も見学できるので行きました

 

こちらは南面 太陽光発電パネルがあります 屋上にもあるそうです

 

山科に分散していた社屋を、20年前にこの地にまとめたそうです

 

 

ピカソの銅版画 を展示していました

 

大正11年生まれ 97歳 小野田少尉と同期だったというおじいさんが

ボランティアとしてスーツを着て応対してもらいました

 

戦争では九州、知覧や久留米にいたそうです

なぜ、ボランティア 97で とは思ったのですが、頭がしっかりしておられ

私がお話しした人で最高齢の、小柄でしたが 柔和な表情の方でした

 

2Fに会社の歴史を展示してました

2000年に棒グラフが飛び上がり、その後元に戻りつつ順調に

という表示を見て、売り上げ 利益 よく確かめなかったので

社員の方に聞いたら、今年は最高益とのことで、ITバブルではと

いずれにしても業績好調らしいです

 

 

ホテル京セラ が、鹿児島県にあるとネットで見ていたので

社員の方に聞いたら、工場があるが宿泊するホテルが無かったので

京セラで作りました もう20年たつそうです

 

私も記念に1度宿泊してみたいと思いました

鹿児島は行った事が無いのです

 

翌日、平安神宮のそばに、京セラ美術館があると地図に書かれていて

行ってみたら、工事中 2020年3月21日にオープンとのこと

 

50億円で50年間 京セラがネーミングライツ(命名権)

さすが京セラと思いました

 

南の方へ歩きながら、わらび餅 食べました

 

 

数軒歩いて、柚子味の葛そうめん 食べました

 

  オーナーらしき人が孫娘の保険の相談なのか、店内のイートインで

  隣席だったので、聞こえてきたのですが、95になる母がなくなった

  もう95だから、めでたい という言葉を聞きながら、昨日の京セラのボランティアの方を

  思い出しました

 

 

京都は、餃子の王将 大変美味しかった

 

   モヤシ炒め  下は 極旨天津飯(材料がちがうらしい)

 

   数年前、奈良の餃子の王将 大阪王将 両方食べて、さほどうまいと思わなかったが

   京都は本部がある土地

   24時間営業でないから、従業員も元気に働けるのかなと感じた

 

 

 

京都駅 エスカレーターで昇ると

 

  文字が色々変わる階段があったり、両サイドは百貨店の出入り口にもなってる

 

 

1番上まで上がると、広場があった  葉っぴいてらす  夕方で日没前でした

 

 

 

グルメ街を歩いていたら、京都の街と右は琵琶湖の絵 昔の絵図です

 

  京都が盆地であることと、比叡山や琵琶湖が近いことがわかります

 

 

 

鳥羽離宮跡 昔の京都はこうだったという絵図

 

   広大な土地を上皇が持ち、武士の世の中が始まる前の時代

 

 

鳥羽離宮(とばりきゅう)は、12世紀から14世紀頃まで代々の上皇により使用されていた院御所。鳥羽殿(とばどの)・城南離宮(じょうなんりきゅう)とも呼ばれる。

場所は、京都市南区上鳥羽、伏見区下鳥羽・竹田・中島の付近で、朱雀大路の延長線上にあった。敷地面積は180万平方メートル。平安京の羅城門から南に約3kmのあたりにある。

 

鳥羽は、平安京の南約3kmに位置し、鴨川と桂川の合流地点で、山陽道も通る交通の要衝であった。平安京造営時に朱雀大路を延長した鳥羽作道も作られ、鳥羽は平安京の外港としての機能を持った。また、貴族達が狩猟や遊興を行う風光明媚な地としても有名であった。このため古くから、鳥羽には貴族達の別邸が建ち並び、市が立つなど、都市として発達していた。

11世紀、院の近臣である藤原季綱が鳥羽の別邸を白河上皇に献上した。白河上皇は大規模な拡張工事を行った。後の南殿である。さらに東殿を建設し、邸内に自らの墓所として三重の塔を中心とした安楽寿院を造営する。12世紀の鳥羽上皇の代には泉殿をはじめとして増設が繰り返された。鳥羽上皇も安楽寿院に本御塔と新御塔の2つの塔を造営し、本御塔を自らの墓所と定めた。新御塔は美福門院の墓所を予定していたが、近衛天皇が葬られた。これらの造営、作事には各地の受領に任ぜられた院の近臣達が分担してあたっている。このように、院政期には鳥羽は経済、物流の拠点としてだけではなく、政治の中心地ともなった。

また、治承三年の政変の際に平清盛の命令によって後白河法皇が幽閉され、院政を停止されたことでも知られている。南北朝時代の戦火によって、多くの建物が焼失し、その後急速に荒廃していった。

鳥羽離宮は、南殿・泉殿・北殿・馬場殿・東殿・田中殿などからなる。 それぞれの御所には、御堂が付属していた。

 

 

 

スマート珈琲店

 

  地元のお年寄り 常連さん や 日本や外国の観光客 で混んでました

 

  @650 x 2  単品注文  珈琲は頼みませんでした

 

    セブンイレブンのホットケーキとフレンチトーストも持ってましたが

    店を出てから食べてみたら、しっとり感はセブン 価格は飛び切り安いです

 

  きっと、常連さんは、このお店で食べることに意味があるのかなと思いました

 

 

 

セントレアの往復を予約してたので、京都から名古屋に戻り、沖縄に帰って来たのですが

名古屋のイオンで、三色丼 それなりにお値打ちで栄養ありそうでおいしかった

 

 

沖縄に帰ってきて、空港食堂  人参シリシリ定食と迷って、今回はオムライス

 

  帰ってきたなあという味でした