キズパワーパッド | 猿の残日録

猿の残日録

いろんなことがあるが、人生短いから前だけを見たほうがいいですよ。江原啓之 今宵の格言

京都では、20(月)、旧三井家下鴨別邸 見学しました

 

2011年に重要文化財に指定

その後、公開されている 要するに旧財閥の祖先のお墓詣りの時の休憩所

として、茶室付の広大な土地を購入し

京都の中心部にあった建物を移築し、玄関部分を増築した屋敷

 

戦後に寄贈され、家裁の長官宅として長年使用されたが、取り壊しの話が出て

保存する価値ある建物として残されることになった(と記憶してます)

 

明治の時代の庭園とはどういうものか知りたくて行きました

 

 

2F、3F は、冬などに特別公開されるそうです

夏などにすると、人が集まりすぎるから とのこと

 

 

係員の派遣されて来ているまだ若い女性と話していると

京都の蒸し暑さの話が出ました

盆地だから暑い・寒い は、昔から聞いてはいますが

沖縄の蒸し暑さと、どうちがうのか

 

沖縄でも、風が通らない場所は堪らない湿度になりますが

京都は密集しているので蒸し暑いのかなあと想像しました

 

夜通し暑い南国沖縄と、夜は多少冷えるであろう京都

盆地ですり鉢状であっても、どう違うのかは住んでみないとわかりません

 

他に、印象に残った話は

京都は悪い人がいますよ という話でした

 

悪いとは はてなマーク と聞いたら、裏表があるということです

 

とてつもない観光都市だから、おもてなしもキリがないだろうし

そうそういい顔ばかりしてはいられませんでしょうと私は言いました

 

沖縄でも親切なのは3度まで あまりに図々しいのはいけないです

仏の顔も三度まで という意味です

 

 

京都をあちこち回って、とても不思議に感じたのは、同志社大学

京都御苑のすぐ隣、広大な土地にあります

同志社女子大学は公家屋敷跡であるとしても

同志社大学はあまりに広すぎる、しかも京都御所のすぐ隣

 

京都御所と京都御苑の範囲とか

なかなか京都の歴史は、明治以降、つい最近の変化も面白いと知りました

 

 

調べてみると、創立者、新島襄の密出国(密航者) とても面白い人と知る

 

 

本名を七五三太(しめた)という。

この名前は、祖父・弁治が女子が4人続いた後の初の男子誕生に喜び「しめた」と言った事から命名されたという説がある。後に敬幹(けいかん)と改名。

元服後、友人から貰い受けたアメリカの地図書から、アメリカの制度に触れ、憧れを持つようになる。その後、幕府の軍艦操練所で洋学を学ぶ。ある日、アメリカ人宣教師が訳した漢訳聖書に出会い「福音が自由に教えられている国に行くこと」を決意し、備中松山藩の洋式船「快風丸」に乗船していたこともあり、当時は禁止されていた海外渡航を思い立つ。

函館潜伏 - 渡米

新島襄海外渡航の地碑(函館市大町)
元治元年(1864年)、アメリカ合衆国への渡航を画策し、「快風丸」に乗って開港地の箱館へと向かう。箱館に潜伏中、当時ロシア領事館付の司祭だったニコライ・カサートキンと会う。ニコライは新島から日本語と日本の書物(古事記)などの手ほどきを受け、また聖書に興味を持つ彼に自分の弟子になるよう勧めたが新島のアメリカ行きの意思は変わらずニコライはそれに折れ、坂本龍馬の従兄弟である沢辺琢磨や福士卯之吉と共に新島の密航に協力した。

6月14日(7月17日)、箱館港から米船ベルリン号で出国する。上海でワイルド・ローヴァー号に乗り換え、船中で船長ホレイス・S・テイラーに「Joe(ジョー)」と呼ばれていたことから以後その名を使い始め、後年の帰国後は「譲」のちに「襄」と名乗った。 慶応元年(1865年)7月、ボストン着。

ワイルド・ローヴァー号の船主・A.ハーディー夫妻の援助をうけ、フィリップス・アカデミーに入学することができた。

 

日本に戻ったのは、明治7年(1874年)

 

とにかく数奇な運命の人でした

 

同志社大学は、単なるお坊ちゃん大学としか思ってなかったのですが

なかなか気骨のある建学精神と知り見直しました

ここの出身者は、昔の会社で2人しか知りませんが

どちらも裕福、そしてユニークな人でした

 

 

 

 

京都で、初めに、上加茂神社、下鴨神社と回った日

道を間違え、時間切れで、旧三井家下鴨別邸に

あらためて行った日は小雨でした

 

 

見学を終えて、夕方近くなっても、雨が止まない

折畳み傘はあいにく、コインロッカーの中

持ってるのは被りのレインコートの上着だけでした

 

 

旧三井家下鴨別邸 を出てから、被りのレインコートを

路上で立ち止まって着けていたら、後ろからカラスが

レインコートの頭部にガシッと脚を当ててきました

 

下を向いて被っている途中だったので、見えなかったのですが

 

カラスのいたずら映像は、昔、ニュース等で見て知っていたので

すぐ気づいたのですが、私は鳥がとても苦手なので

腰を抜かすほど驚いて

 

一瞬、頭を防御しようとその次は

カラスに防戦しようと腰をかがめたのですが

思い切り尻もちをついてしまいました

 

左ひざは軽い擦りむきで済んだのですが

左ひじはアスファルトにドンと当たって

皮膚が擦りむけてしまったようで

2cm x 2cm四方以上、皮がどこかに飛んで

赤く薄く血が滲んできました

 

カラスは当然、攻撃を止めるはずはないと

過去のいたずら映像を見て知ってましたから

傷口など気にする余裕も無く、肩から下げていたバッグで

応戦し追い払いはしました

追加の負傷は避けられました

 

そばを通りかかったおばちゃんが

「カラスやね」 と

その前に、横の林の中を通り過ぎるカラスは見てましたが

とにかく鳥が大嫌いな私ですから

この世で1番苦手なわけですから

よく腰を一瞬抜かしただけで立ち上がれたなあと

自分に感心しました

 

 

肩から下げていたバッグには図書館から借りている本があり

それを濡らしてはいけないので

それを1番気にしているところへ後方から不意打ちだったので

もし、今度その道を通る時は、傘をしっかり両手で振り回せる体勢で

ヤタガラスと言われる鳥であってもお礼をお返ししたいと思います

 

 

絆創膏は小さいのを2枚、持っていたのを地下鉄の中で貼って止血し

地下鉄を降りて見かけた薬局で、サイズが1番大きいキズパワーパッドを

購入し貼りました

 

旅行中、1日1回貼り直し、怪我した翌日は名古屋駅で献血しようとして

問診では問われたことだけ答え、採血の時に、絆創膏に気付いた看護婦さん

先生に聞いてみないとということで、先生の判断は

カサブタになっていればいいが

その前では血液に雑菌が入っているから献血はできないと言われました

 

時間が余ってるから献血しようとしただけですから

それはかまわないのですが

月曜に怪我してから、昨日の土曜日でもう5日

キズパワーパッドでは、カサブタなどすぐにできるわけがなく

いつまでこれを貼り続けたらいいのかと気になったのと

 

沖縄に帰ってきて、地元新聞で、10連休で血液不足の記事を読み

自分の血液の数値を定期的に確認したいのもあり

早く献血したかったので

沖縄で、初めての外科に行ってきました

 

昼の2時に受付、4時過ぎになるから、近づいたら携帯に電話しますという

コメダなどで時間をつぶし、7時過ぎにようやく診察してもらえて

傷口を水を湿らせたもので拭いて、キズパワーパッドを貼ってもらって

終了

 

最近の軽い傷は、消毒液などつけず、空気にさらしてカサブタを早くつくる

わけでもなく、その逆で、カサブタをつくらずに治すという訳の分からない方法

なのだとあらためて思い知りました

 

京都の薬局で、これが1番大きなサイズだからと、多少疑問に思いながらも

購入したキズパワーパッド

私が購入したのは傷口より少しだけ小さめだったので

1日もすると、周辺が濡れてきてしまうので毎日交換していたのですが

 

外科で貼ってもらったサイズは傷にピッタリふさがるサイズで

先生が3日貼っていてもいいと言われたのも驚きでした

説明書にはたしかに5日まで良いとは書いてありますが

傷口の赤さを見ていると、やはり、外科で確認してもらうまでは心配でした

 

 

 

このキズパワーパッドは、コンビニでも置いてあったので、24時間いつでも買えるから

家に常備しておく必要はないと安心しました

 

 

日傘ではありませんが、晴雨兼用ではないが

日傘としても毎日使ってみようと

70cmの Z型金具で風に強い グラスファイバーで軽く丈夫 という 980円(税込)

 

下鴨神社を歩くときのカラス対策にもなるはず

と思い購入しました

 

 

京都のカラスの数は、半端ないほど多いから

きっと神様の使いとして、守られているからだと思います

 

5~7月のヒナがいる敏感な時期を避けるとしても

京都旅行には自衛の為に、傘を持ち歩くつもりでいます

 

河合神社 下鴨神社 境内があまりに広すぎて 今もどっちがどっちかわからない

 

 

旧三井家下鴨別邸は、上の地図の1番下あたり

  

  いつか、2Fと3Fが同時に特別公開される冬に、また行きたい