幸せになる勇気 | 猿の残日録

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いろんなことがあるが、人生短いから前だけを見たほうがいいですよ。江原啓之 今宵の格言

「ニーバーの祈り」

 

神よ、願わくばわたしに、

変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、

変えることのできる物事を変える勇気と、

その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ

 

 

「変えられないもの」に執着するのではなく、

眼前の「変えられるもの」を直視する

 

 

自分の人生は、自分で選ぶことができる

 

 

 

 

「幸せになる勇気」

  自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ

 

    岸見一郎、古賀史健  2016年発行

 

 

 

「嫌われる勇気」の続編です

「嫌われる勇気」 は予約多すぎて、沖縄では借りるのが遅くなるのと

ゆっくり何度も読みたいので、購入します

両方プレゼント分含めて、各2冊、購入します

 (本が増えますが、仕方ありません)

 

 

 

 

ひとりの個人が社会で生きていくにあたって、

直面せざるをえない課題を、「人生のタスク」と呼び、

 

「仕事のタスク」 「交友のタスク」 「愛のタスク」

 

重要なポイントは、それが対人関係の課題である、という点

 

「仕事のタスク」と言った場合にも、

労働すること自体を課題と考えるのではなく、

そこにまつわる対人関係に注目する

 

その意味では、

「仕事の関係」 「交友の関係」 「愛の関係」

と言う言葉で考えたほうがわかりやすい

 

 

すべての悩みは、対人関係の悩みである

すべての喜びもまた、対人関係の喜びである

 

 

われわれは交友において、

他者の目で見て、他者の目で聞き、他者の心で感じることを学ぶ

 

われわれは「交友」の関係においてこそ、他者への貢献を試されます

「交友」に踏み出さない人は、共同体に居場所を見出すこともかなわないでしょう

 

 

 

「信用」とは、相手のことを条件つきで信じること

あなたの用意した担保の価値を信じるから貸すという態度です

 

「信頼」とは、他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないこと

たとえ信じるに足るだけの根拠がなかろうと、信じる

 

  担保のことなど考えず、無条件に信じる

  その人の持つ「条件」ではなく、「その人自身」を信じている

  物質的な価値ではなく、人間的な価値に注目している、と言ってもいいでしょう

 

 

 「その人を信じる自分」を信じるということでもあります

  自分の判断に自信がなければ、どうしたって担保のようなものを求めますから、自己信頼あっての、他者信頼なのです

 

 

 

仕事の関係とは「信用」の関係であり、

交友の関係とは「信頼」の関係なのです

 

 

もしもわれわれが、
働かずともすべてを提供してくれる惑星に住んでいたのであれば
おそらく怠惰であることが徳であり、勤勉であることは悪徳だろう

ところが、実際の地球はそういう環境にない
食糧には限りがあり、住む場所も誰かが提供してくれるわけではない
それではどうするのか?   ・・・働くのです
しかもひとりで働くのではなく、仲間たちとともに
 
 
道徳的な善悪にかかわらず、われわれは働かざるをえないし、
分業せざるをえない
他者と関係を築かざるをえない
要するに、人間はひとりでは生きていけないのです
生存のレベルで生きていけない。
 
そして他者と「分業」するためには、
その人のことを信じなければならない
疑っている相手とは、協力することができない
 
 
 
生きるためには分業が必要であり、分業するためには、
相互の「信用」が必要であると
しかもそこには選択の余地がない

われわれはひとりで生きていくことはできず、
信用しない、という選択肢はありえない
関係を築かざるをえない  まさに人生のタスクなのです
 
 

分業という観点に立って考えるなら、職業に貴賤はないのです
すべての仕事は「共同体の誰かがやらねばならないこと」であり
われわれはそれを分担しているだけなのです
 

「人の価値は、共同体において割り当てられる分業の役割を、
どのように果たすかによって決められる」
 
つまり、人間の価値は、「どんな仕事に従事するか」
によって決まるのではない
その仕事に「どのような態度で取り組むか」によって決まるのだ
 
共同体の全体で考えてみると、
図書館司書も、中学校の教員も、あるいは他のさまざまな仕事も、
すべて「共同体の誰かがやらねばならないこと」であり
そこに優劣はないのです
優劣があるとすれば、その仕事に取り組む態度だけでしょう
 

企業の採用にあたっても、能力の高さが判断基準になる
しかし、分業をはじめてからの人物評価、
また関係のあり方については、能力だけで判断されるものではない

むしろ「この人と一緒に働きたいか?」が大切になってくる
そうでないと、互いに助け合うことはむずかしくなりますからね
 
そうした
「この人と一緒に働きたいか?」「この人が困ったとき、助けたいか?」
を決める最大の要因は、その人の誠実さであり、仕事に取り組む態度なのです
 

なにより危険なのは、なにかが善で、なにかが悪であると、中途半端な「正義」を掲げることです

正義に酔いしれた人は、自分以外の価値観を認めることができず、
果てには、「正義の介入」へと踏み出します
そうした介入の先に待っているのは、自由の奪われた、画一的な灰色の社会でしょう
あなたはどのような仕事に就いてもいいし、他者もまた、どのような仕事に就いてもかまわないのです
 

尊敬とは「ありのままのその人を見ること」であり
「その人がその人であることに価値を置くこと」

ありのままのその人を尊重する
あなたは「あなた」のままでいいのだ
特別である必要はない
あなたが「あなた」であることには、それだけで価値があるのだ
 

尊敬していない相手のことを「信頼」することはできない
他者のことを「信頼」できるか否かは、他者のことを尊敬できるか否かにかかっています
 
「大切なのは、なにが与えられているかではなく、
与えられたものをどう使うかである」

どんな相手であっても、「尊敬」を寄せ、「信じる」ことはできます
それは環境や対象に左右されるものではなく、あなたの決心ひとつによるものなのですから
 

他者を信じること。
これはなにかを鵜呑みにする、受動的な行為ではありません
ほんとうの信頼とは、どこまでも能動的な働きかけなのです
 
たとえばわたしは、ひとりでも多くの方にアドラーの思想を知ってほしいと思っています
アドラーの言葉を届けたいと思っています
「わたしを信じてくれ」と強要することはできません
信じるかどうかは、その人の自由です
わたしにできるのはただ、自分が語りかける相手を信じること
それだけです
 
わたしは、「わたし」を信じてほしいと思っている
わたしを信じ、アドラーの言葉に耳を傾けてほしいと思っている
ゆえにわたしは、先にあなたのことを信じるのです
たとえあなたが信じようとしなくても

われわれは「自分のことを信じてくれる人」の言葉しか
信じようとしません
「意見の正しさ」で相手を判断するのではないのです
 
ちいさな口論から国家間の戦争まで、
あらゆる争いは「わたしの正義」のぶつかり合いによって発生します
「正義」とは、時代や環境、立場によっていかようにも変化するものであり
唯一の正義、唯一の答えなど、どこにも存在しません
「正しさ」を過信するのは、危険でしょう
 
そのなかでわれわれは、一致点を見出すことを求めている
他者との「つながり」を求めている
手をつなぎたいと願っている
・・・手をつなぎたいのならば、自分から手を差し出すしかないでしょう
 

「わかりえぬ存在」としての他者を信じること  それが信頼です
われわれ人間は、わかり合えない存在だからこそ、信じるしかないのです
 

世界から争いをなくしたければ、まずは自分自身が争いから解放されなければならない
生徒たちに自分を信じてほしいと思うのならば、まずは自分が生徒たちを信じなければならない
自分を棚に上げて全体の話をするのではなく、全体の一部である自分が、最初の一歩を踏み出すのです
 

自立とは「自己中心性からの脱却」なのです
共同体感覚のことを social interest と呼び、社会への関心、他者への関心と呼んだのです
われわれは頑迷なる自己中心性から抜け出し、「世界の中心」であることをやめなければならない
「わたし」から脱却しなければならない
甘やかされた子ども時代のライフスタイルから、脱却しなければならないのです
 
自己中心性から脱却できたとき、ようやくわれわれは自立を果たす
人間は、変わることができます
そのライフスタイルを、世界観や人生観を、変えることができます
 
そして愛は、「わたし」だった人生の主語を、「わたしたち」に変えます
われわれは愛によって「わたし」から解放され、自立を果たし、本当の意味で世界を受け入れるのです
 
これは人生の、あらたなスタートです
たったふたりからはじまった「わたしたち」は、やがて共同体全体に、
そして人類全体にまで、その範囲を広げていくでしょう
それが共同体感覚です
 

われわれは他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放されます
他者を愛することによってのみ、自立を成しえます
そして他者を愛することによってのみ、共同体感覚にたどりつくのです
 

幸せとは貢献感であり、「貢献感を持てれば、幸せが得られる」
問題は貢献感を得るための方法、もしくは生き方なのです
 
 
本来、人間はただそこにいるだけで誰かに貢献できています
目に見える「行為」ではなく、その「存在」によってすでに貢献しています
なにか特別なことをする必要はないのです
 
 
愛を知り、「わたしたち」を主語に生きるようになれば、変わります
生きている、ただそれだけで貢献し合えるような、人類のすべてを包括した「わたしたち」を実感します