人生は冥土までの暇つぶし、だからこそ極上の暇つぶしが必要なんだ 島地 勝彦
冥土までの暇つぶしだからこそ、俺たちは素敵な暇つぶしをしなきゃいけないんだよ。
大僧正はよく「極上の暇つぶしをしなくてはあかん」とおっしゃっていた。
そう言えば、「人生は誰と出会えたか、その積み重ねでしかないんだよ」という言葉もよく聞いた。
この人の言葉をもっと聞きたい。その考えをもっと深く知りたい。
そう思える人とどれだけ出遭えるかが大事だと思うな。
そのためには、面倒なことを避けていてはダメなんだ。
誰かと知り合い、親友になる、あるいは恋人になるためには、時間も労力もカネもかかる。
ぶつかり合ったり裏切られて傷ついたりすることもあるだろう。
だけど、それらをちゃんと引き受けなくては極上の暇つぶしはできないんだよ。
あの時、大僧正は「遊戯三昧」という書をくれたんだ。
これは「ゆげざんまい」と読むんだが、仏の境地のことだ。
遊戯は心に任せて自由に振る舞うこと。
三昧は夢中になってひたり切ることだ。
極上の暇つぶしのためにはひたり切らなければいかんのだ。
自分がやがて死ぬということにリアリティーがないんじゃないかな。
自分も死を待つ人々の列に連なっているということを真剣に想像してみたらどうかね。
今この瞬間も 1秒ずつ死に近づいているという想像をするんだ。
そうすりゃ、つまらない暇つぶしではもったいなさ過ぎるし、自分の人生が可哀想だと感じるだろう。
まずは人生そこからだ。
1941年生まれ 今74 本も図書館にある
私は、ひたりきるほど熱中できる生き方もしていない
極上の暇つぶしをしてはいない
だが、充分出会ってきたし、満足してます