1866【1位】 (・_・;) | 猿の残日録

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いろんなことがあるが、人生短いから前だけを見たほうがいいですよ。江原啓之 今宵の格言

1953 の 三段 が 4位でした
1866

2400点差のオーラス、2位から 逆転勝ち

4連勝の後の 1敗けは何が原因だったかと考えた結果
MusicTonic の柴咲コウ 聞きながらのんびりやってたせいと結論
Youtube  1曲のみで終わり、無音状態で、とにかくラス回避
を目標に、ちょっとだけ真剣に、振り込まないようにしてみました

音楽に夢中では勝てるはずないさあ
 (完全に遊びで麻雀するなら、音楽を聴きながらします)

東南戦 で 3回勝てば、三段
放置IDも、三段(四段?) 昇段に、特に意味はない

どちらがメインかわからなくなるではないか

   


           


4年前に、80超えて亡くなったおばさん
幼少に病院に行けなかったので片脚が悪かった


おじさんとのなれ初めは?と聞いたら
ダンスクラブと言ってた

今から思えば冗談だったのか
30年も前に聞いた時は、スッと信じた


おじさんも野球の審判を趣味に持つ人だが
ちょっと変わっていて若い頃は職を転々として
おかげでおばさんは足踏みミシンで生計を
助けていた


かなり収入になるが足が痛くて続かなかった
44頃に家を買った
私が訪ねて行った頃は、5年目くらい
新築の家も新しく、節約生活をしながらも
のんびり過ごしているおばさんと数時間世間話をした


何度か訪ねて行って色々話をした
おじさんは三交代で夜勤だったりまちまち
おじさんとは、あまり会う機会もなく
1度だけ夕食を一緒にしたが、話が合わなかった
独特の世界を持つ人だった


おじさんが55位で急に亡くなって
私も結婚し仕事内容も変わって、おばさんとは
その後、せいぜい5~6回くらいしか会わなかった


おばさんは大変忙しくて、おじさんの存命中から
次々に親戚の病人の世話をして、それができるのも
おじさんが行ってきなさいと行ってくれるからと
言っていた


何人も身内の世話をして、見送って
その途中でおじさんも急に亡くなって
その後も次々、身内の病人の世話をして
おばさんも疲れていた


その頃も何度か、おばさんに会いに行った
私にとっては、話をしたくなる数少ない親戚だった


一人で大きくなったと思ったらいけないよ


育ててくれた親や周囲がいることを忘れてはいけない
ということ


他にも、色々なるほどと思う言葉はあったが
何も話さず一緒にのんびり過ごした記憶がある


家というのは、こういうものかと
自分の家は、普通の家とはちょっと違っていたから
サラリーマンの普通の家でのんびり過ごすのが
新鮮だった


どこか行きたくて仕方がない父親
家にいても腕時計をしている


足の力が無くて、歩くのも大変
もし、私が同居してあちこち連れ歩いても
もう歩く力はないから、すぐ車いすになる


それでも親孝行なら同居して世話したいが
母親はそれを面倒がるのがわかるから
2人の世界をそのまま、もうムリというまで
見守るしかない というのは
すぐそばに住む兄弟の気持ち(だろう)


離れたところに長年住んでいる私も
父母のそばに住んで嫌がられない自信はない
親子といえどもそれほど微妙なものだと思う