基地はなぜ沖縄に集中しているのか NHK取材班
2011年9月発行
日本各地で米軍基地に対する不満が高まり
反対運動が強まっていくなか、海兵隊の部隊は
駐留からわずか四年後の1957年
日本全土の基地から次々と姿を消していく
その向かった先が、沖縄だった
沖縄の方が土地の賃貸料が安く、本土に駐留させるよりも
費用対効果が大きかったのです
沖縄は米軍の管理下にあり、米軍こそが中央政府でした
本土でやればもっとコストがかかるような難しい訓練も
沖縄では安上がりにできたからです
(アラン・ミレット博士)
軍の上層部や国務省などは、日本本土に陸上兵力が駐留
し続ければ、日本を含めた防衛体制の一貫としてではなく
敵である”占領軍”として見られ、日本国民との間に
良好な関係を築くことの妨げになると考えていました
それを避ける方法は、ただ一つ
部隊をしっかり管理し、可能ならば日本の一般市民から
部隊を”隔離”すること
そのためには日本本土より沖縄の方がやりやすいのは
明らかでした
(アラン・ミレット博士)
外務省は、「潜在的主権を保持している」と主張しながらも
アメリカが施政権を握っている現状に鑑みれば、
人権に関すること以外は「深入り」はできないと判断
結果として、海兵隊基地の新規接収については
アメリカ側とほとんど協議すらしなかった
つまり海兵隊の沖縄移駐は、日本政府によって、いわば黙認
されたのである
海兵隊の移駐に伴って、沖縄では基地の面積が1.8倍に拡大
本島面積の20%に至った
その一方で、日本本土ではこの時期、米軍基地が
海兵隊の移駐に伴う分以上に縮小された
この結果、1960年の在日米軍基地の面積は
およそ335平方キロメートルと、10年前のおよそ
4分の1にまで縮小、施設数に至っては10分の1となった
この時期、国土の0.6%の面積しかない沖縄と
本土における米軍基地の割合は、およそ50%ずつという
”不均衡”な状況が生まれたのだ
日本の安全と平和を保ち、戦争に巻き込まれないために
沖縄を切り離す
この行動様式は、日本の安全保障問題を巡って、幾度となく
繰り返されていく
元々本土に集中していた米軍基地は、1970年前後に
バランスが大きく変わり、逆転することになったのだ
関東計画の直前、本土と沖縄の米軍基地(専用施設)の
面積比率はほぼ50%の状態だった
全国の74%が沖縄に集中するという現在の基地の在り方
それは、本土での基地問題の収束を図るために、
本土の基地返還を優先させた日本政府によって形成された
ものだった
沖縄の基地面積のおそよ3割は私有地であり、元々は
住宅地や住民たちが生活の糧を得てきた農地だった
とりわけ嘉手納基地など本島中南部の広大な基地では
私有地の割合が高く、普天間基地では、実に9割を超える
実際、基地用地に当時の区画を当てはめてみると
滑走路も格納庫も細かく個人の土地に分かれていることが
わかる
現在、市街地の中にある普天間基地の危険性に対して
しばしば日米の当局者や専門家などから
「基地の周辺には何もなかったのに、後から住宅などの
市街地が、基地に迫ってきた」という主張がなされる
しかし、元々基地だった場所は、まさに市街地であり
米軍基地こそ「後から来た」のである
本土で、米軍基地になっていたのは国有地であり
その割合は、全体の87%ぐらいに及んでいました
そのため、本土では米軍基地といっても、そんなに
目に見えた存在でない上に、また軍用地問題そのものが
表面化していなかった
逆に沖縄の場合は、占領からずっとアメリカ支配であり
基地面積の80%近くが、民間と、市町村の土地で
占められている
米軍基地に接収され、家に戻ることができなくなった
住民たちは、「割当土地」に住まいを構えることになった
「割当土地」は、収容所から住民が元の地区に戻るにあたって
別の住民の土地から、宅地・農地を割り当てられたものだった
混乱のさなか、”助け合い”は自然の流れで、当初は、
土地を提供した人からも反発は起こらなかったという
しかし割当土地が与えられても、農村の面積は、戦前に
比べれば狭く、年が経つにつれ、元々の土地の所有者から
明け渡しを求められることもしばしばとなった
さらに後には、割当土地に関しても、割り当てられた者が
元々の所有者に賃貸料を支払うことが義務づけられ
住民たちは、<自己の土地の使用料は貰えないのに
自らは借地料を支払わねばならない>苦境に立たされる
米軍基地の軍用地料は沖縄県全体で1972年に123億円
だったものが、2008年には784億円に達している
バブル崩壊後、全国的に地価が下落する中でも上昇を続けた
軍用地料が、土地取引の観点から見て、高いのか安いのか
判断は難しいところがある
例えば、普天間基地のフェンスの中と外で比較した時
近年の軍用地料から、「フェンスの中」は
1坪あたり年間4、5千円と計算される
普天間基地の周辺「フェンスの外」で、この値段で土地を
借りることは難しい
しかし、アパートを建て維持管理するなり、賃貸人を探す
手間を考えた時、単純な比較はできなくなる
年間億単位の軍用地料を得る地主は確かに存在するが
約4万2千地主のうち、過半数は年間の軍用地料収入が
百万円に満たない
新聞紙上には「軍用地求む」という不動産広告が日々載る
軍用地は国が借用管理するので、収入が安定することが
”売り”なのだが、実はその売買は軍用地の年間の借地料
にある「倍数」をかけて算出される
この倍数は、例えば、嘉手納基地など返還問題が表面化
していない基地では高くなる。
2011年の時点で、嘉手納基地はおよそ34、5倍
一方、普天間基地は24、5倍である
軍用地料そのものは、より都市部に近い普天間基地が
嘉手納基地より高めの水準にあるが、軍用地取引の
”人気”の点では逆になっている
普天間基地は、かって30倍近くをつけていたことがあったが
1996年の返還発表のあと、2000年代に下がり
嘉手納基地との差が広がっている
この後、第三章 海兵隊「抑止力」の内実
第四章 期待と裏切り、そして迷走へ
と続く が
続きは、またいつか
1坪年間5千円としたら、200坪で100万円
戦後数年間は、基地に接収された軍用地主たちに対し
賃貸料は全く支払われなかった
その後、サンフランシスコ平和条約によって日本本土は独立
沖縄がアメリカの施政権下に置かれる中で、アメリカから
賃貸料が支払われるようになったが、その金額は
「1年間でタバコ1箱分」と言われる程、非常に低く抑えられ
ていた
地主さんの話はよく聞くが、知らなかったことは多い…