糖尿病、透析、動脈瘤手術、脳梗塞、腎臓破裂
それでも悲しそうな顔をせずに生きられるのは
なぜだろう
知念の親戚を訪問して話を聞くたびに
昭和13年生まれとしたら、75才か
よく思い出すのは
父の兄、伯父さんが危篤で病院に行った時
ありがとう 来てくれたか
もう帰っていいよ と、父親
兄弟だけで病室にいるから
兄弟以外は入ってほしくないと
何のために呼んだのか とは
思ったが、似たような状況は
他でも経験していたので
そういうものか
自分もそういう状況なら
理解できる時が来るかも知れないなと
少し、ぼんやりと小さな病院の廊下にいたら
むっくりした人が来て
誰かと思ったら、叔母さん 父の末の妹だった
最初は男性かと思うほど、短髪で
身体もむっくり
見知っている叔母さんより、かなり太っていた
少し話でもしようか と
野菜を作ってるんやて
自分の生活を聞かれて
大したこともしてない人生だよと
話してから
叔母さんはどうだったの?
と聞いたら、子育てばっかりだったなと
病室の中で、兄弟で(当時は6人)
冗談を言い合って笑ってるんだよと
病室の中の様子を教えてくれた
30分くらい話して、病院を出て
家に帰り、それが叔母さんとの
最後のおしゃべりになった
伯父さんが亡くなって、わりとすぐ
急に冬の日に叔母さんが亡くなった
14年間一人暮らししてるよと
おじさん(その叔母さんの夫)が言ったのが、
3年前で
そのおじさんが亡くなったのが去年だから
叔母さんが亡くなったのは、17年前
平成9年か
3年前に亡くなった もう一人の
年上の叔母さんとは
よく話をして、この妹にあたる叔母さんの事も
例えば、ツアーで一緒に旅行に行ったら
バスで下車するたびに、何か買って食べてる
とか、
料理は作らず、スーパーで買ってきて
お皿に並べて終わり とか 話を聞いてはいたが
実際に、この叔母さんとゆっくり話をしたことは
ほとんど無かった
寿命というのはあるんやなあ と
年上の叔母さんが、ぽつりと言った
一番最初に逝くと思ったうちの父が
まだそれなりに、元気で、年上の叔母さんは
長兄の妻、夫、母、長兄 と次々に
看取って、疲れ切ってしまって
もう生きていたくないんだけど
まだ生きなきゃいけないんだなあ と
娘婿の親も含めた家庭の借金問題も
心配していて、実際大変だったのだが
その時は、なんと慰めていいか わからず
ちょうど、その時、アメリカから
従兄弟が、年上の叔母さんに電話してきたので
おばさん だいぶ弱ってるよと言ったら
大丈夫だよ と笑っていたので
そうかなと少しだけ安心した
年上の叔母さんはそれなりに元気で
いつものようにお別れして、その10年後
3年前に亡くなった
話をしておかないと、話せなくなると
思うので、知念の親戚をよく訪問します
内地とちがうのは、みんな明るい気がする
思うだけなんだろうけどね