沖縄のローカルTV局・琉球放送(RBCテレビ)で
2006年10月~2008年6月までの2年弱、毎週土曜の夕方放映、
「沖縄んアイドル」
という番組があり、安室がゲスト出演したことがある。
おそらく安室の、この番組のゲスト出演はこの1回だけなのだろうけど、
たまたま私はこの時、TVのチャンネルをあちこち回して
偶然この回だけ、この番組を観た。
安室のゲスト出演は2007年10月27日(安室30歳)、この日は
「デビュー15年ソロ凱旋コンサート」
当日で、「凱旋」というから当たり前だけど、コンサートは沖縄で開催され、
アンコール6曲を含む29曲、ラスト曲「NEVER END」では、
安室は感極まって泣いたらしいけど、
その後に、安室はこの番組のためにゲスト出演しているのだ。
この「沖縄んアイドル」は、
「沖縄から全国区のタレントを輩出しよう」
というコンセプトで行われていたオーディション番組で司会は上原多香子。
上原も、もちろん「沖縄アクターズスクール」出身で安室の後輩。
安室のゲスト出演は、そういったこともあるんだろうね。
このアイドル養成番組は1年半余り放映されて打ち切られている。
ということは、
この番組から全国区のタレントは生まれなかったってことなんだろうね。
10月27日、安室のコンサートの本番前リハーサルを
観客席から番組のアイドル候補生14人が羨望(せんぼう)のまなざしで見学。
そのアイドル候補生たちに、
コンサートを終えた安室が、相当疲労困ぱいだったろうけど
「サプライズ登場」してくれた。
沖縄の大スターが突然現れたことで、候補生たちは驚きと感動で泣き出す子も。
候補生たちからしたら安室は憧れを通りこして「神」にも等しいはずだから、
アイドル候補生たちは放心状態で立っているのがやっと。
彼女たちには、安室に後光が差していたに違いない。
アイドル候補生たちは、「神」に対して何も質問できないので、
安室が候補生たちにアドバイやメッセージを送ることになった。
安室は、
「デビュー当時50のオーディションを受け、受かったのは1つだけ」
「必要なのはやる気と負けない気持ち」
「落ちても、なんで?と考えるようになるし、自分に足りないものが判る」
「負けずに頑張ろうという気持ち、
目標を持ってあきらめず前向きにやっていくことが一番」
「くじけそうになっても、負けそうになった時も、
自分を信じて、きっとチャンスはあると思うので、ぜひ頑張って下さい」
寡黙な安室とは思えないほど、地元の後輩たちに
的確なアドバイスを語っていたのだけど、
安室はアイドル候補生たちの熱い視線に耐えられず、
終始下を向き、照れながら話をするのがシャイな安室らしかった。
以下、本のコピペ
「デビュー」という言葉が現実味を帯びてきたのは、
奈美恵が石嶺中学に入学してからです。
たしか1年生のときだったと思いますが、
私はマキノ校長から「相談がある」と呼び出されました。
その相談というのは…実は、東京で映画の話があって、
奈美恵がその主役候補になっているというのです。
「もし主役に決まれば本格的に芸能活動に入るから、
すぐにでも転校の手続きをして東京で暮らさなければなりません。
だから、事前にお母さんの了承を得ておきたいんです」
青天の霹靂(へきれき)とは、まさにこのことでしょう。
単にオーディションに応募したというのではなく、
すでに最終候補、それも残り二人のうちの一人に残っているというんです。
ただし、マキノ校長は冷静な口調で言いました。
「奈美恵が選ばれる確率は10%ぐらいしかないけど、
それでも可能性がある以上は賭けてみたいんです」
それもそのはず、最終候補に残ったもう一人の女の子は、
ゴクミこと後藤久美子さんだったんです。
あの当時はまだ超人気というほどではなかったものの、
とてもとても奈美恵がかなう相手ではありません。
案の定、結果は後藤久美子さんがあっさりヒロインの座を射止めました。
「やっぱりダメだったよ、母さん」
と報告してきたときの奈美恵は、さすがに残念そうでしたが、
私にとってみればダメでもともと、上京せずにすんだことが
かえってラッキーだったようにも思えました。
安室が那覇市立石嶺中学校に入学したのは1990年(平成2年)、
ゴクミは安室より3歳年上なので、当時ゴクミは16歳。
ゴクミは、映画「男はつらいよ」シリーズに
1989年から1995年にかけて「及川泉」役で5本出演している。
渥美清は1991年(平成3年)に肝臓癌が見つかり、
1994年(平成6年)には肺に転移、
同年の47作からは主治医からも「出演は不可能」と言われていたが何とか出演、
翌1995年(平成7年)48作に出演できたのは「奇跡的」といわれ、
1996年(平成8年)8月、68歳で亡くなり、没後国民栄誉賞を受賞した。
こういうのは、本人が生きている間に受賞させないと意味がないけどね。
ゴクミが「及川泉」役で出演した5本は以下の通り。
・1989年(平成元年)第42作「男はつらいよ ぼくの叔父さん」マドンナ・壇ふみ
・1990年(平成2年)第43作「男はつらいよ 寅次郎の休日」マドンナ・夏木マリ
・1991年(平成3年)第44作「男はつらいよ 寅次郎の告白」マドンナ・吉田日出子
・1992年(平成4年)第45作「男はつらいよ 寅次郎の青春」マドンナ・風吹ジュン
・1995年(平成7年)第48作「男はつらいよ 寅次郎の青春」マドンナ・浅丘ルリ子
ゴクミが登場する第42作以降の4作品は、
寅次郎が恋するマドンナに加え、
寅次郎の妹さくらの息子満男(吉岡秀隆)が思いを寄せる
「及川泉」役としてゴクミが登場するようになり、
寅次郎は満男の恋の指南役にまわる、というSTORYになっている。
渥美清は重病になり、快活な演技はもはやできない。
そのため、寅次郎の甥の満男を主役にしたサブストーリーにせざるを得なかった。
そうなると、満男の恋の相手が必要になる。
そのため、当初脚本になかった及川泉を急きょ作り上げる必要に至ったらしい。
山田洋次監督は、
「第49作で満男と及川泉を結婚させよう」
と考えていたらしいけど、渥美清の死去により49作目は幻になった。
「安室が最終選考で落選した」
それは
「石嶺中学1年生のころ」
という安室の母の記憶は、1年間違っているんじゃないのかな?
安室が中学1年生の年は1990年(平成2年)で、
同年の「男はつらいよ」にゴクミが出演したのは2作目になる。
おそらく、「及川泉」役のオーディションは、
安室が中学1年当時ではなくて小学校6年生の頃のはず。
マキノ校長は安室やスーパーモンキーズを
あちこちのオーディションに応募しまくり、
安室の母は、子供3人を抱えた母子家庭で
自身が昼夜働き詰めだったし
また安室の芸能活動に積極的賛成ではなかったので、
安室の慌ただしいデビュー前後の記憶に
間違いがあったとしてもおかしくはない。
今でこそ、安室は
「歌とダンス」
で独自の世界観を貫いているけど、
「沖縄アクターズスクール」に入った当初の安室は
「女優」
を目指していたらしい。
何の番組だったか忘れたけど、安室が
「歌とダンスは恥ずかしいので、最初は演技の方(グループ)だった」
「だけど、演技はまったくダメだった」
と語っていた。
一方、ゴクミは小学校時代からモデル活動をしていて、
宮沢りえとは同学年、ライバルであり親友。
ゴクミはNHK大河などのTVドラマにも子役で度々出演し、
宮沢りえとは1985年、ゴクミが11歳当時「キットカット」のCMで共演している。
その時、安室は9歳で、まだアクターズスクールにも入っていない。
ゴクミがいつごろから「国民的美少女」といわれたのか判らないけど、
当時美少女として全国的に有名に成り始めていたゴクミと、
当時、無名の沖縄のシャイで色黒の演技ベタで可愛いだけの美少女とでは、
「男はつらいよ」は正月映画のドル箱だったのだから、
安室のヒロイン役落選も仕方がない。
それでも、
「ゴクミ=ヒロイン確定ありき」
ではなくて、
一応オーディションをした上で最終決定をしているのだから、公平といえる。
「ほぼゴクミに決定」
というオーディションであったにせよ、
最終選考まで無名の安室が残るなんて、やっぱり安室はすごいと思う。
審査員も安室に光るものを感じたに違いない。
ゴクミは子役時代、姉と明石家さんまのTV番組
「あっぱれさんま大先生」
のオーディションを受けに行ったが、
「美しすぎて子供らしくない、という理由で落選させた」
と、後に明石家さんまがラジオ番組で発言したというから、
ゴクミも数々のオーディションに応募していた時代があるんだね。
今やTVドラマやCMで観ない日はない有村架純も、
2010年のデビューから約3年間、
書類選考も含めると3桁に上る数のTVドラマやCMのオーディションを受け続け
「ほとんど落ちてばっかりだった」
といわれている。
事務所(FLaMme)の社長から、有村は
「まずは徹底的に自分のことを知りなさい。
自分を知ることで自分と違うキャラクターをより理解できるようになる。
それがいい演技の近道」
と言われ続け、
以降、有村はどんな日常的な場面でも
客観的に自分を顧みる努力をしたらしい。
それでも、すぐに結果は出ない。
落ちても落ちても、学校の試験のように
「なぜ落ちたのか?」
答え合わせができるものでも、納得がいくものでもない。
不公平や不合理も渦巻く、そんな不確かな芸能界で、
有村の周囲には、
心が折れて消えていった女優志望者もたくさんいたはずだ。
有村は、
「私は遊びに東京へ来たわけではなくて、
地元の(兵庫県)伊丹市には帰らないつもりで来た」
という負けん気を胸に、落ちても落ちても挑戦を続けながら、
そのオーディションという実践の積み重ねは、
やがて確実に血となり、肉となっていた。
その努力はNHKの朝ドラ「あまちゃん」のヒロインオーディションでついに実る。
「学校のカイダン」の主演・能年玲奈は
あまちゃんキャラからの脱却方針なのか、
独立騒動の勃発なのか不明だけど、直前でキャンセルしたことで
広瀬すずが抜擢され、代役ブレイク。
芸能界では、実力だけでなく、運やチャンスも必要だろう。
矢沢永吉の「成り上がり」じゃないけど、
安室も、苦労する母を助けようと、
血を流すような努力を重ねて、
くじけずに、チャンスをひたすら待っていた。