ハイサイ、RIN(凛)ですニコニコ

安室奈美恵が40歳の誕生日を迎えた9月20日、
「2018年9月に芸能界から引退する」
と、公式サイトで発表した。

 

安室は理路整然と話をするタイプではなく、
というより、むしろ口数が少ないShyということもあり
「引退理由」は明らかにされていないことで、
その理由や原因については様々な憶測が飛び交っているが、
多くは
「引き際の美学」
としてのアムロスが広がっている。

 

私は還暦のおばあだから、もちろんアムラーではないし、熱狂的なファンでもない。
なので安室のCDも1枚も持っていない。

 

だけど、彼女を初めてTVで観た時から
「頑張れ!」
と、ずっと応援をしている。

 

これは、彼女の真の引退理由がどうあれ、

私の命がある限り、最後まで全うするつもりでいる。

 

彼女のsinger、dancer、artistsとしての魅力は、
その外見的な容姿ではなく、
「彼女自身の輝き」
にあると私は思っているから。

 

「生きることに対する魂」
とでもいうのか、
それを表にそのまま出すというより、
それを内に秘め、自分が出来ることを努力してやり遂げるという
強い精神が彼女には有り、それは彼女自身が、
不遇な環境を乗り越えて身につけた生き方が基になっていると思うけど、
彼女の母や祖母の
「チバリヨー(がんばり精神)」
のDNAを色濃く受け継いでいるように私には思えるからだ。

 

私が安室奈美恵を初めて観たのは、
ビートたけしが総合司会の「スーパーJOCKEY」の「熱湯コマーシャル」だった。

 

「スーパーJOCKEY」は、その前の「TVジョッキー」を継承した番組で、
「TVジョッキー」は土居まさるが司会をして、
素人の視聴者が参加するコーナーがあった。
 
その優勝者には番組名が入った白いギターがもらえて、私も
「その白いギター、欲しいな」
と思って、毎週楽しみにしていた番組だった。

 

視聴者の参加するコーナーというのは
「我れこそ珍人」
「奇人変人」
とか、要するに全国の奇人変人の悪趣味的品評会で、
私も自他ともに認める変人だったけど、
応募する勇気は残念ながら持ち合わせていなかった。

 

いつしか奇人変人のネタも薄れ、
「TVジョッキー」は「スーパーJOCKEY」に引き継がれても
私は惰性的に時々観ていた。

 

「スーパーJOCKEY」には「熱湯コマーシャル」という新コーナーがあった。

 

「イベントの紹介や新人歌手が視聴者に直接PRが出来る」
というコーナーだけど、
「熱湯風呂に正しく浸かった時間だけPR出来る」
という条件付きだった。

 

ただし、50度以上といわれる熱湯に浸かる時間制限はMAX30秒と設定され、
多くは10秒以内、熱湯風呂に入れない人も珍しくなかった。

 

「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」
の活動期間は1994年7月~1996年9月だから、
私はこの期間内に番組を観たことになる。

 

安室の出演時は、安室を含めて
SUPER MONKEY’Sのメンバーは5人だったと記憶している。

 

毎回、新人歌手たちはマネージャーから
この番組の趣旨とかの説明を詳細に受けずに出演しているように見受けられた。

 

「熱湯風呂」に入る場面になって初めて新人歌手たちはその状況を知り、
とても演技とは思えないあわてた様子が毎回見られたからだ。

 

「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」
の面々もたじろいでいたけど、安室が意を決して
「私が入ります」
と宣言した。

 

私は、
「足を浸けただけでgive upするか、頑張っても5秒以内だろう」
と予想していた。

 

町の銭湯の熱い小さな湯船でも湯温は42,43度なのに、「熱湯風呂」は50度以上、
しかも湯船に浸かった時に、たけし軍団がやかんの熱湯を足したり、
湯をかき混ぜたりして、浸かる人を精神的に追いやっていたから、
並みの精神力ではとても浸かることは出来ないのが常だったからだ。

 

安室はその熱さに顔をゆがめて、声にならない悲鳴を上げ
ゆっくり透明の湯船に浸かっていった。


なんと安室は30秒フルタイムを頑張り抜き、
湯船から出た安室の肌は熱湯で真っ赤になっていた。

 

釜茹での刑の石川五右衛門や拷問が私の頭をよぎった。
私は、この時に若い安室が相当の根性の持ち主だと悟った。

 

というのは、1993年だったか、
SMAPも同番組に新人歌手として熱湯コマーシャルに出ていて、
森且行(かつゆき)がメンバーにいたから(森は1996年まで活動)
よく覚えているのだけど、
グループの先頭にキムタクがいて
当時からナルシストらしくいろいろなポーズをクネクネ、
数秒ごとに変えていて、私は嫌悪感を増幅させてそれを注視していた。

 

「熱湯風呂」に入るという話は誰にも初耳だったらしく、
全員があわてて「オレはイヤだ」とみんなが尻込みをして
「お前がやれ」と醜く押しつけあっていた。

 

それが長時間に及び、司会のたけしが「生放送なんだから早くしろ!」と怒った。

 

先頭にいたキムタクは混乱に乗じて、
いつの間にか徐々にグループの後ろに移動していったのを私は見逃さなかった。

 

結局、押し付け合いの結果、香取慎吾が意を決して
「ボクが入ります!」
と、挙手した。


香取は最初は足先を入れただけで熱さに驚き、
湯船になかなか入れなかったが、10秒、15秒だったか、
彼なりに頑張って熱湯風呂に浸かったけど、
キムタクのズルさだけが後味を悪くさせた。

 

それがあったので、安室の驚異的な勇気と根性は
SMAPと対照的な意味でよく覚えている。

 

私が沖縄に移住して、2003,4年ごろだったかな、
安室の離婚後の低迷期みたいな時期があり、
その頃、那覇市内のBOOK OFFで
「約束 わが娘・安室奈美恵へ (著・平良恵美子、扶桑社)」
を私は100円で買った。


安室が生きるレジェンドになった今では、
この本は入手困難かもしれないね。

 

この本は、安室の実母の、いわば安室奈美恵の回想記で、
安室の兄や姉、母自身や祖母、父などについても書かれている。

 

この本に書かれていることを基に、
次回からあれこれ書きたいと思う。

 

この本は1998年9月20日に初版が発行されたが、
この半年後、1999年3月17日に安室の母は
沖縄本島の北部三村、大宜味(おおぎみ)村で惨殺されてしまう。


1997年12月の第39回日本レコード大賞で、
安室は「CAN YOU CELEBRATE」で2年連続大賞を受賞し、
同日NHKの第48回NHK紅白歌合戦では3回目の出場にして初の紅組トリを務めた。

 

1998年、出産のため1年間の産休に入り、育児に専念。
同年5月19日に長男を出産。

 

1999年、復帰後のシングル「RESPECT the POWER OF LOVE」の発売日が
母の殺害事件のあった3月17日に奇しくも重なっている。

 

事件のショックで安室は当面活動休止状態になると見られていたが、
事件の12日後3月29日「HEY!HEY!HEY!」の生放送で彼女は仕事を再開、
番組で「RESPECT the POWER OF LOVE」を披露して私も観たが、
安室は辛そうで痛々しかった。

 

また、この曲名を和訳すると
「愛の力を大切に」
「愛の力はすごい」
で、まさに母へのバラード。

 

安室にとって、辛い想い出の曲に違いない。
歌詞は以下の通り。


「RESPECT the POWER OF LOVE」
作詞、作曲 小室哲哉

 

強く抱いていて 笑顔見せるまで
遠くさみしい想い吹き飛ばして!
こんなに変われる運命より強く、
磁石のようにあなたに惹(ひ)かれた

 

純粋なあこがれと 子供のような無邪気さと
この頃でも変わらない あなたを大切にする気持ち

 

誰でも もし男女(ひと)が人間(ひと)でありたいなら…

 

…RESPECT…RESPECT…RESPECT the POWER OF LOVE

 

誰かに伝えたい 伝えなきゃ守れない
愛を守るため ウソはつけない 隠せない
どこかに隠れて 四角い空を眺めてた
だけど昨日もRESPECT the POWER OF LOVE
(RESPECT the POWER OF LOVE)
それでよかった

 

ほとんどは許してくれない
回りや世間は許してくれない
ひとりじゃ耐えられそうもない
そんな時は早くあなたに会いたい

 

傷みも辛さも癒すこと出来はじめた
この頃でも変わらない あなたを救いたい気持ち

 

誰でももし男女(ひと)が人間(ひと)でありたいなら…

 

…RESPECT…RESPECT…RESPECT the POWER OF LOVE

 

今日も明日も全部心は満たしきれない
どうしてこんなにただ前に進まなきゃならない?
(RESPECT the POWER OF LOVE)
誰かに知らせたいIt's the POWER OF LOVE何よりも
誰かに伝えたいマイフェイバリィット好きだけじゃない

 

…RESPECT…RESPECT…RESPECT
…RESPECT the POWER OF LOVE

 

誰かに伝えたい 伝えなきゃ守れない
愛を守るためウソはつけない隠せない