ハイサイ、RIN(凛)ですニコニコ

台風18号は宮古島では大きな被災があるらしい、我が家は幸い軽微


ベッキー以降、次々に文春や新潮とかに餌食になる有名人の不倫騒動。
まったく、尾行に気づかず見つかる方も脇が甘いんだか、股がゆるいんだか…。

 

芸能情報や専業主婦向けの情報を発信するワイドショー系TV番組なんか、
どこも不倫騒動ばかりで、もううんざり。

 

チャンネルを変えても、どこも同じ不倫ネタ特集なので、
観たくないから、ついついTVの電源を切ってしまう。

 

一昨日12日(火曜)朝は、「ビビット」を見たら斉藤由貴ネタだったので、
「羽鳥慎一モーニングショー」にチャンネルを変えたら、ここも斉藤ネタ。

 

それで「とくダネ!」にしたら、残念ながらここも同じく…(泣)。
下らないのでTVの電源を切ろうと思ったその時に、
コメンテーターの中江有里の発言に注視した。

 

彼女は過熱化する芸能人の不倫報道に疑問を呈していた。

 

彼女は
「私は斉藤さんのことを母親役の女優だと思っていないので。

今後、母親役は無くなるかも知れないけれど、それ以外の役もあると思う。

50代というと日本だとどうしても母親役中心になってしまうのは確かだと思うけれど、

それ以外の役もあるわけで。

イメージを非常に重視するところではマイナスに取られるでしょうけれど」

「斉藤さんが好きだからというのもあるかもしれないですけれど、

なんでこんなに石を投げつけるようなことをしなくちゃいけないのかな。

ちょっと思いますね。

清廉潔白でなければ仕事ができないというのであれば、

ここ(=スタジオ)にいる誰もができません」
と最近の風潮に苦言を呈したが、私もまったく同感。

 

ワイドショーに登場するほとんどのゲストコメンテーターは、
番組の意図する方向に対しての賛成意見を述べるのが役目の
ある意味、御用コンサルみたいなものだから、
彼らの意見は想定の範囲内で面白くも何ともないのだけど、
中江有里は独自の意見を臆することなく発言するので
彼女の好感度ポイントは、私は高めに設定している。

我が家ではバナナとパパイヤが数本倒壊した程度の被害

 
不倫が法律的に罪になったのはいつごろからだろうと、
勝手に疑問に思い、歴史的に簡単にさかのぼってみた。

 

鎌倉時代、執権・北条泰時を中心に、
源頼朝以来の先例や、道理と呼ばれた武家社会での慣習や

道徳をもとに制定された、武士政権のための法令
「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」
第34条に密懐(びっかい)の罪が書かれている。

 

「姦夫は強姦・和姦を問わずに所領の半分を没収し、出仕を止め。

所領を持っていない場合には遠流とする。姦婦も同罪」
どうやら、これが日本の法令としては初めて、不倫を厳罰化したみたいだね。


江戸時代になると、
享保改革を推進した8代将軍、というか
「暴れん坊将軍」で有名な徳川吉宗の下で作成された
「御定書(おさだめがき)百箇条」
という江戸幕府の基本法典があり、
この第48条に「密通御仕置之事」、不倫の罪がが出てくる。

 

ここでは、
「密通致し候妻 死罪」
「密通の男 死罪」
と厳しい。

 

その後、明治時代になって不倫は緩(ゆる)む傾向になり、
現代においては、法的には緩いものの、

社会的に制裁を受ける風潮が高まっている。

 

近代の日本では、
「恋愛を通じてお互いの仲を深め、結婚して家庭を築き、
子育て、子離れを経て、生涯に渡って添い遂げる」
ことが「理想の結婚」というような価値観が広まり、
これに反する「不倫」は絶対悪であるという考え方が社会に浸透している。

 

「不倫とは人倫に外れること=人道に背くこと」
「人倫」は人間の秩序関係であり、実践すべきことと同義でイコール、
つまり、「不倫した人は人に非ず」ということなんだろうけど、
どうも、そういう正義感だけではなく、
「羨ましいけど、自分には不倫したくても出来ない」
という嫉妬心も、「許すまじ」と騒ぐ人の根底にあるのかもしれないね。

 

TV番組のワイドショーの視聴者は、
お茶の間の主婦を中心とした20歳~34歳くらいがコアといわれている。

 

TV局側、番組制作側、スポンサーサイドは、
こういった層の女性たちが関心を持つネタを中心に特集を組み、

好感度が高いタレントを配したCMを流し、購買意欲を誘う。


要するに、視聴率を上げ、商品の販売促進を目論んでいるわけだ。

 

そして視聴者の彼女たちは「不倫」に敏感に反応し反感を持つ、
そういう構図なんだね。

 

つまり、彼女たちの逆鱗に触れたらアウト!
「不倫ジャッジメントは、主婦層が握っている」
と言えそうで、
そう仮定すると、不倫騒動の有名人が謝罪会見するにしても、
凡人の私なんかだと、
「会見で誰に謝罪するの?」
「謝罪するのは、まず相手の家庭の家族、それと自分の家族だよね」
「次に仕事関係で、出演中の番組制作関係者、CMスポンサー会社、

所属事務所、ファンにも謝る必要はあるけど、

世間や視聴者に謝る必要はないはずだけどな」
とか考えちゃうんだけど、
不倫ジャッジメントを握る主婦層は、
人民裁判の検事や裁判官みたいな怖さがあり、
不倫騒動の当事者は、どうもこの主婦層に許しを乞いているように思える。

 

なんだか中世の魔女狩り裁判みたいで、イヤだね。

それに、そもそも「浮気」と「不倫」って、どう違うの?
それぞれ定義はあるらしいけど、どうもその違いが私には判りにくい。

海岸に流れ着いたフロートを加工した置物が500円、需要ある?

 
そういえば私の世代では、

吉田拓郎は当時人気絶頂の浅田美代子(21歳)との不倫が原因で
当時の妻・四角佳子と離婚し、吉田は浅田と結婚。
今度は森下愛子との不倫が発覚して吉田は浅田と離婚、森下と結婚した。
吉田は音楽家としては一流だけど、

私生活ではメビウスの輪みたいに節操がない。

 

生真面目そうなニュースキャスターの安藤優子や小宮悦子だって不倫をした。
安藤は2度の結婚はともに略奪愛だし、小宮は妻帯者との不倫発覚で離婚した。

 

俳優・真田広之は葉月里緒奈とのドロドロ不倫が原因で、

妻・手塚理美と離婚してしまった。

 

不倫騒動は昔からあるってことだけど、

禁断の愛は発覚しないうちは蜜の味でも、いざ発覚すると家庭が崩壊したり
社会的な制裁を受けることになり、そのリスクはあまりにも大きい。

 

不倫が報道されただけでも、双方の家族内には修羅場が待っているし、
仕事関係でも厳罰が待っている。

 

報道後は、立ち直るのを見守ってあげるくらいの度量が
視聴者にあってもいいんじゃないかな?

 

元SPEEDの上原多香子の浮気は旦那にバレていて、旦那はその後自殺。
妻の浮気が自殺の主因ではなさそうだけど、
上原は葬儀では立っていられないほど憔悴していた。

 

それが3年後に、元旦那の弟が遺書を暴露。
上原はまた叩かれることになり、芸能活動を無期限休養に追い込まれてしまった。

 

「上原の精神状態、大丈夫かな?」
「上原が自殺するまで追い込むつもりなのかな?」
最近は、寄ってたかってなぶり殺し状態。
こんなのいつまで続くんだろう?

私は上原多香子に立ち直ってほしい、

幸せな人生を歩んで欲しいと思ってるけど、
不倫ジャッジメントの主婦層たちは違うのだろうか?

 

人民裁判みたいな風潮は、社会にうっぷんが溜まっている証拠だよね。


「許す」と「許すまじ」。

「弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは強さの証だ」
これはインド独立の指導者ガンジーの名言。

禅の教えに「恕(じょ)」がある。
「怒」じゃないよ、字は似てるけどちょっと違う。

 

その「恕」は、「思いやる」という意味の他に「許す」という意味がある。
「謙虚で寛容な心を持ちなさい」
ということなんだよね。

 

これは、論語(衛霊公第15)にも出てくるので、知っている人も多いはず。
私は高校の漢文の教科書で初めて知った、もう40年以上昔のことだけど。
文が短いから暗記もしやすかったんだけどね。


子貢問曰、
「有一言而可以終身行之者乎。」
子曰、
「其恕乎。己所不欲、勿施於人。」

 

(読み)
子貢(しこう)問ひて曰はく、
「一言にして以つて終身之を行ふべき者有りや。」
と。
子曰はく、
「其れ恕(じょ)か。己の欲せざる所、人に施(ほどこす)すこと勿(な)かれ。」
と。

 

(現代語訳)
子貢が質問して言いました。
「先生、生涯貫き通すような、ひとつの言葉はありますか?」
孔子はこう答えました。
「それは恕であろうか。自分がしてほしくないことを、他人にしてはならない。」

と。

 

「己の欲せざる所、人に施すことなかれ」
は、論語の言葉の中でも、あまりにも有名だけど、
これを一生貫き通せるか、というと誰でもなかなか難しいはず。

 

孔子は、
「恕なり(其恕也)」
と断定せず、
 「それは、恕(じょ)かな(其恕可)?」
とあいまいに答えているのだけど、
そこが孔子らしいというか、孔子の人柄がにじみ出ているように感じる。

 

「自分がされたくないことは人にはしてはならない、それが恕だ」
と孔子は説いた。
つまり「思いやり」ということ。

 

他を受け容れ、認め、許し、その気持を思いやる。
自分のことと同じように人のことを考える。
そのことこそ、人生で一番大切なことなんだと
孔子は弟子に教えていたんだね、今から2500年も前にだよ。

 

人間って、進歩してるのは文化や芸術、工学、化学などの文明で
「人間がどう生きるか」
というのは、昔からずっと進歩がないってことだね。


不倫を題材にしたドラマも多いけど、不倫小説もけっこう多いよ。

「いづれの御時(おんとき)にか、女御(にょうご)、
更衣(こうい)あまた候(さぶら)ひ給(たま)ひける中に、
いとやむごとなき際(きわ)にはあらぬが、すぐれて 時めき給ふありけり。」
で始まる世界最古の長編小説といわれる紫式部の「源氏物語」

 

簡単に言えば、
「イケメン貴族・光源氏の恋愛をめぐる人生模様と
女人の生きざまを鮮明に描いた長編小説」
だけど、判りやすくいえば、イケメン男が十数人の女性と遊ぶという
「宮廷不倫エロ小説」
だよね。

檀一雄の「火宅の人」も、 我が国の不倫文学史に残る一冊といえる。

 

檀一雄は、太宰治、坂口安吾、織田作之助とともに「無頼派」と呼ばれる小説家、
というより、長女が壇ふみ、と言った方が判りやすいかも。
若い人は壇ふみ自体が知らないかな。

 

「火宅」というのは仏語、フランス語ではなくて仏教用語だけど、
煩悩や苦しみに満ちた現世を、火炎に包まれた家に例えた言葉。

 

なので「火宅の人」とは、「煩悩にまみれた人」ということで、
主人公・桂一雄=檀一雄自身、その周囲の人々をモデルにした私小説。

 

あらすじは、
障害児を含む5人の子供を妻に押し付け、別宅を構えて
18歳も歳の離れた若い女優とか愛人たちとの
気ままな暮らしを謳歌する身勝手な中年男の物語。

 

まさに女の敵といってもいいんだけど、
ドロドロした愛憎劇というより、意外とサラッと書かれていて読みやすい。

 

むしろ、その豪快な生き方にどこか惹かれてしまい、
夢中で読める不倫小説といえる。

島尾敏雄の「死の棘(とげ)」、
島尾夫婦は犬を飼った時期があり、
ベッキーの不倫デタラメ会見の頃に、
「小説家の犬」として、私はブログで書こうと思っていたんだけど、
この本は読むたびに気が重くなるので、なかなか書きにくい。

 

いずれ書きたいと思っているので、あらすじは簡単に。

 

夫が不倫し、それが妻に発覚。
妻は激しくショックを受け怒る。
「もう浮気はしない」
と夫に誓わせるものの、夫の行動を執拗に疑い、
「なぜ不倫をしたのか?」
日々、罵詈雑言を夫に浴びせかけては泣き伏す妻。

 

やがて妻は嫉妬から精神に異常をきたしてしまう。

 

これが作者と妻の実話なだけに、
詳細な修羅場の心理描写が痛々しく、
読むほどに気が重くなってしまうんだよね。

 

不倫の代償で妻が発狂してしまうなんて、もう最悪。

三島由紀夫の 「美徳のよろめき」も不倫文学では有名だよね。

 

あらすじは、
上流階級のしつけの良い家庭に育った28歳の節子が、
親の言うなりに倉越一郎と結婚し、男児が1人できて、
それなりに幸せの日々を送っていた。

 

それが元カレと再会して関係を持ち、節子は官能に目覚め
、妊娠・中絶を繰り返した苦しみの末に、
ついに別れを決心するまでの1年間を描いた物語。

 

元カレと別れ、数か月経ってから節子は元カレに手紙を書く。

 

別れた後の苦しみ、自分がどんなに愛していたかを綴るのだけど、
節子はその手紙を出さずに、破って捨てるところで物語は終わる。

 

手紙を発送して元カレが読んだところで、何もいいことはない。
ようやく終わりにしたのだから、
「想い出は心の中に留め、最後くらいきれいさっぱり別れよう、
夫と家族を大事にして出直そう」
ということなんだろうね。

帝政ロシアの文豪トルストイの「アンナ・カレーニナ」とか
フランスの小説家スタンダールの「赤と黒」も
有名な不倫文学なんだけど、あらすじとか長くなるからカット。

MISIAの代表曲「Everything」も、不倫の歌。

「愛することとはどういうことなのか、
逢いたいのに逢えないことがどれだけ苦しいのか」
相手に自分だけを愛してほしい心情が出ている。

 

作詞がMISIAなので、もしかしたら自身の経験を基に作詞した?
報われない相手への全力投球の想いがつづられている名曲、
以下、歌詞。


すれ違う時の中で あなたと巡り逢えた
不思議ね 願った奇跡が こんなにもそばにあるなんて

 

逢いたい想いのまま 逢えない時間だけが過ぎてく扉 すり抜けて
また想い出して あの人と笑い合うあなたを

 

愛しき人よ 悲しませないで 泣き疲れて 眠る夜もあるから
過去を見ないで 見つめて 私だけ

 

You're everything You're everything
あなたが想うより強く 優しい嘘ならいらない 欲しいのはあなた

 

Oh Oh Yeah

 

どれくらいの時間を 永遠と呼べるだろう 果てしなく 遠い未来なら
あなたと行きたい あなたと覗いてみたい その日を

 

愛しき人よ 抱きしめていて いつものように 優しい時の中で
この手握って 見つめて 今だけを

 

You're everything You're everything
あなたと離れている場所でも 逢えばきっと許してしまう どんな夜でも

 

You're everything You're everything
あなたの夢見るほど強く 愛せる力を勇気に 今変えていこう

 

Oh Oh You're my everything

 

You're everything You're everything
あなたと離れている場所でも 逢えばいつも消し去っていく 胸の傷みも

 

You're everything You're everything
あなたが想うより強く 優しい嘘ならいらない 欲しいのはあなた

 

You're everything You're everything
You're everything my everything

 

20世紀の中国を代表する作家・魯迅(ろじん)の「阿Q正伝」は
読まないまでもその著者・魯迅は聞いたことがある人は多いはず。

あらすじとしては、
清から中華民国へ変わろうとする辛亥(しんがい)革命の頃、

(1911年、辛亥しんがいの年に孫文らが中心となって清朝を倒し、

中華民国を樹立した革命)
中国のある小さな村の困窮農民の家に生まれた阿Q。

 

村の半端仕事をしてはその日暮らしをする日雇いで、
当然女性にも縁がなく、字も読めず、容姿もブサイクで性格も最悪という、
およそ人として最下層に位置する存在なんだけど、
阿Qは「精神勝利法」と呼ばれる一種のクセを持っていた。

 

怒られても、殴られても、バカにされても、
結果を都合の良いように取り替えてしまい、心の中で自分が勝利してしまう
魔法のような特殊なクセを持っていた。

 

それがある日、阿Qは地主の女中に手を出してしまい、村八分になってしまう。

 

それが基で貧窮して盗みを働き、逃亡みたいな生活を続ける中で、
革命党が隣町に入城したウワサを耳にし、
意味もわからないまま革命に便乗して騒いだ結果、
逆に革命軍の略奪に加担したとして、ホントは無実なのに逮捕されてしまう。

 

無知無教養なのできちんとした弁明が出来ず、
流されるまま刑場に引き出され、
阿Qは住民への見せしめの銃殺刑に遭う。

 

そういうSTORYだけど、「阿Q」の「阿」は「○○先生」「○○ちゃん」みたいな
姓の前につく接頭辞で、親しみの表現みたいなものだから、
「阿Q正伝」というのは「Qちゃんの伝記」「Qちゃんの一生」みたいな意味。

 

「無知無教養で、ただ流されて生きているだけだと、
人生ロクなことはないよ」
という、戒め、童話みたいな小説だから、
興味が得られないようなタイトルだけど、お奨めの小説だよ。

 

1日に1冊読書をしたという宮里藍、2日に1冊読書をするという芦田愛菜、
おそらく、とっくに読破しているはず。

 

「阿Q正伝」は不倫小説ではない。
この著者・魯迅が言った言葉について書きたかったのだけど、
魯迅といえば「阿Q正伝」とイコールなので、
ついあらすじが長くなってしまった…。

 

魯迅は中国の作家だけど、同時に革命運動家でもあった。

 

その魯迅の言葉として有名なのが
「打落水狗」
つまり
「水に落ちた犬は打て」
なんだよね。

 

韓国でもよく使われる言い回しだけど、元々は魯迅の造語。

 

中国には、それまで
「不打落水狗」
「水に落ちた犬は打つな」
という格言があったんだけど、
魯迅は
「打落水狗」
「水に落ちた犬は打て」
犬が溺れている時は最大のチャンスなので
「石もて犬を打て」
と、それまでの格言の逆説を言ったんだけど、
意味が判るような判らないような感じだよね。

 

「打落水狗」
は、1926年、反革命派が占める北京を逃れ南下する時に、
魯迅が述べたといわれている。

 

彼は当時の反革命派を「犬」と呼んで憎んでいて、
反革命にそまった「悪人」に対しては
「情け容赦もかけるべきではない」
という意味で、古来の格言を逆に言った。

 

その1926年は、孫文が亡くなった次の年にあたり。
蒋介石が北伐を始めた年に当たる。

 

韓国では、「打落水狗」が
「川に落ちた犬は、棒で叩け」
という格言になっていて、
「犬」は「狂犬」を表し、
「水に落ちて可哀相だと思っても、狂犬は危険だから哀れみをかけてはいけない」
という意味らしい。

 

犬が狂犬病にかかると水が欲しくなるらしいのだけど、
水を飲むとかえって苦痛が増すらしい。

なので、
「川(水)に落ちた犬」
は、
「狂犬病にかかった犬が水に飛び込んだ状況」
を指していることになる。

 

不倫騒動でも、
魯迅流に言えば、
「打落水人」
「水に落ちた人(不倫が発覚した人)は打て」
ということが言えそうで、
それが今の不倫発覚の有名人を、
寄ってたかってなぶり殺しの魔女狩り裁判を象徴する言い方みたいに聞こえる。

 

なんだか、こういうのイヤだよね。

 

「みんな、幸せになろうよ」
という方向性で、
「水に落ちた人」は引き上げて介抱するくらいの度量って
あってもいいんじゃないのかな?


「人こそ人の鏡」
「反面教師」
「他山の石」
「人の振り見て我が振り直せ 」

「他人を批判する前に自分自身をしっかり反省しろ」
という意味の格言は多い。

 

また、
「人の蝿を追うより己の蝿を追え」
というのがある。

 

他人にたかる蠅を追ってやろうとする、余計なおせっかいな人がよくいるけど、
そう人に限って自分の頭に留まっている蠅に気づかない。
他人のことに口出しするよりも、自分のことをしっかりやれ。
そういう意味。

 

有名人の不倫騒動やウワサなど、ご意見番気取りで一言を論じる主婦たち!
下らないことはもういいかげんに止めて、
ヒマが少しでもあるのなら、自分の人生を楽しむことを考えたら!?

 

知らないうちに自分の頭に銀蠅に卵を産み付けられて、
ウジが湧いてるかもよ!

海鳥みたいだけど、RIN(凛)くんのしわざじゃないよ