ハイサイ、RIN(凛)です
今日は8月15日、終戦記念日。
それで最近、テレビ番組では戦争に関する特集が多いんだね。
本当なら、こういう特集番組は一年中やっていてもいいはずなのに、
12月14日、赤穂浪士の討ち入りの日には忠臣蔵の映画、
12月8日、真珠湾攻撃の日には山本五十六関連の映画など
要するに、戦争の悲惨さを伝える番組も、
一種のイベント感覚の、刺身のつまみたいな一過性の扱いみたいで
何か気に入らない。
それも年々特集番組が減少傾向にある。
終戦から72回目を迎え、戦争を実体験した方々が年々少なくなり、
かつての「戦争」は確実に風化しつつある。
昨年12月には、シベリア抑留から帰還された、私の90歳の友人が亡くなられた。
96歳で大往生した私の祖母は、戦時中、
大日本婦人会(20歳未満の未婚者を除くすべての日本人女性の統制組織)での
「竹槍訓練には行かなかった(皆勤しなかった、という意味だと思う)」
と生前言っていた。
理由は「竹槍では鉄砲に勝てるわけがない」からだと。
当たり前のことだけど、当時としてはかなり勇気が要る行動だったはずだ。
私の故郷は三重県の過疎の農村で、
当時戦場で闘える男性は軍にかり出されているので、
農作業は女性と老人、子供たちが担っていた。
なので、竹槍訓練、防空訓練、看護訓練、廃品回収、遺族の援護など
憲兵や特高(特別高等警察)の監視下にあっても
大日本婦人会の訓練の参加は絶対的な強制ではなかったのかもしれない。
昭和20年7月24日早朝には、
テニアン(サイパンから8km離れた島)から出撃したB29、
41機が津市市街地を空爆し、
250㎏爆弾が1120発、2トン爆弾が149発投下され、
津市では
「死者2500人以上、全損家屋1万戸以上、罹災者16000人以上の被害があった」
といわれている。
祖母の姉家族も、この空襲で全員が亡くなっている。
また、私の叔父(母の兄)や祖父も戦争で亡くなっている。
私の世代では、戦争による近親の犠牲は特別ではないはずだ。
女優の野際陽子さんが6月13日、81歳で亡くなられた。
3年前より肺線がんを患い、闘病しながら仕事を続けられ、
「やすらぎの郷」(テレビ朝日)にも出演、
ご自身の出番は闘病中にもかかわらず、すべて撮り終えているのだという。
みごとな生き様だと感嘆し、私もそのようにありたいと願っている。
彼女は、特定秘密保護法や安保法制など、
戦争へと突き進む昨今の社会状況に向けて
反対の意を表明し続けてきたことでもよく知られている。
反戦女優のレッテルを貼られても、
そういった意見表明を起こした背景には、
1938年生まれの彼女が体験した戦争の記憶を
「後世に語り継がなくてはならない」
という思いがあるのは間違いない。
彼女は終戦時は7歳の少女だった。
明け方散歩では、漁港で日の出を迎えるのが兄貴の最近のお気に入り
2007年、上戸彩が主演した「2夜連続ドラマスペシャル・李香蘭」で、
現在の李香蘭役を野際が演じ、
番組の公式HPでは彼女のインタビューが下記のように掲載されていた。
「戦後60何年たちまして、もう総理大臣も戦争を知らない人になってしまったし、
どんどんあの戦争が忘れられていく中で、あれは何だったんだろうか?
何でこういう李香蘭のような運命を引き受けなければならない人が出たんだろうか?
とか、それをどういう風に我々は受け止めて、
活かしていかなきゃいけないのかなっていう…、
戦争を知らない人たちにも、あの時代にあったことの
できる限りの信実を知って欲しいという気持ちはしますね。
私自身も知らないことはたくさんありますし、
知っていることが真実なのかどうかもよくわかりませんけれども、
あの戦争の中を生きて、少しは今の若い方たちよりは
あの時代のことを想像することができます。
李香蘭の境遇は想像するしかないんですけれども、
それを想像することはできるので、それをお伝えしたいし、
そこから色んなものを見ている方に汲み取って頂きたい。
あの時代のことをもう一度思いだして頂きたいと思いますね。」
また、2015年9月に放送された
「ザ・インタビュー~トップランナーの肖像
戦後70年特別編 戦争を語り継ぐ人たち」(BS朝日)
では、
千玄室大宗匠(茶道家元)、倉本聰、奈良岡朋子、瀬戸内寂聴といった人々に
戦争体験を聞くインタビュアーを彼女が務めていて、
そのなかで彼女自身も以下のように自らの戦争体験を話していた。
「私は、天沼っていう荻窪に住んでいて。
夏でしたかね、いったん疎開先から(東京に)帰ってきてから、
次に(疎開先に)行くまでの間、11月に空襲にあったんですよ。
そのときにダーンって(爆弾が落ちて)。
うちはまだ防空壕ができていなかったので、押入の布団を全部出して、
押入の前に布団を積んでそのなかに隠れるっていう方式をとってたんです。
(中略)よくB29のお腹がこう、ずっと行くのを見ていました」
「いまは昭和17年(1942年)ぐらいの感じですね。
どんどんどんどん戦争に向かっていっている。
それはとても気持ちが悪いですね」
「いまの政治家は戦争を知らない人たち」
と危惧を語る瀬戸内寂聴の言葉に大きく頷き、
「(戦争中は)私はまだ小学生だったんですけど、
時々ね、ふっとあの頃のことを思い出すことがあるんですよね」
と語っていた。
私の世代だと、戦争体験の話は現実としてとらえられるけど、
便利で快適な生活を享受している今の若い方々は、
戦争に対してどうとらえているのだろう?
安倍政権の支持率は、若い世代ほど高いという。
「テレビに功績のあった者だけが入れる老人ホーム」
という現実離れの設定にイマイチ納得できなかった私は、
「やすらぎの郷」はそれまで時々観る程度だったのが、
野際陽子さんの死以降、毎日欠かさず観るようになった。
現実の老人ホームでは、淡々と、変化のない日々が続いて
退屈で痴呆がますます進みそうな気がするが、
たしかに細かくても、いろいろな出来事が日々あるはずで、
そういった微妙な出来事に呼応や共感をしていれば、
少しは退屈しのぎにはなるのかもしれないけど、
私はそういう生き方はイヤで、野際陽子さんのように
死ぬ直前まで好きなことを続けていたい。
私にとってそれは農作業で、ターシャの庭みたいなのを理想にしている。
ターシャは「花」にこだわり、
「一年中、花に囲まれた生活を送りたい」
というのが彼女のLIFEスタイルだったけど、
私は「果樹」にこだわり
「一年中、もいで食べられるものに囲まれたい」
と考えている。
実際に私の祖母は95歳まで現役で農作業や家事をこなしていたから
無謀な夢ではないと信じたい。
「やすらぎの郷」18週目(86話~90話、今月上旬放映)では、
日本芸能史を連載中のルポライター立木(きたろう)が、
戦争当時の千坂浩二監督の話を聞こうと、
姫(八千草薫)にインタビューにやってきた。
立木は誠実だが眼光鋭く、悪意を秘めているようなうさん臭さが漂い、
波乱の展開が予想された。
千坂監督は姫の初恋の相手であり、永遠の恋人。
戦時中、千坂監督はアッツ島で玉砕して帰らぬ人となり、
姫はその想い出を封印していた。
その千坂監督が戦時中、軍に協力して
戦意高揚のためのフィルムを撮っていたのだという。
国民栄誉賞を受賞した森光子さんや高峰美枝子さん、淡谷のり子さん、
東海林(しょうじ)太郎さん、藤山一郎さん、霧島昇さん…、
みな亡くなられているけど、当時の有名歌手や俳優などの有名人は
戦地で戦う軍隊を激励するため軍慰問団として、
あちこちの戦地に赴(おもむ)き、
兵士の前で歌ったり、演劇を披露したりした。
画家は戦争画を描き、小説家は戦争文学を書いていた。
「蟹工船」を著した、反戦を訴えるプロレタリア文学の作家小林多喜二は
特高に連行され、拷問で虐殺されている。
当時は軍国主義には誰も逆らえない暗黒の時代。
なので、千坂監督が大本営が望む映像通り撮っていても
むしろそれは当たり前なのだ。
戦時中ではない現在でも、NHKや大手新聞社は政権の犬になって、
大本営報道をして国民を誘導しているのだから。
立木は、千坂監督が撮ったと思われるフィルムを入手して、
その映像を姫に見せながら、
「千坂監督がどんな気持ちで軍に協力していたのか」
を姫から聞きだそうとしたが、
「千坂先生は私にとって本当にひとりだけの大事な方なのね。
その人を貶(おとし)めるようなインタビューなら、
私、これ以上お話できません」
と言って、
感情的になった姫は部屋を飛び出してしまった。
夜になって、姫は菊村栄(石坂浩二)の部屋を訪れる。
「あの方に悪い事をしちゃったわ」
「悪意があったわけではないのにね」
「あの方は戦後生まれの方でしょう」
「戦後生まれの方が見るのと私たちが見るのでは違いますでしょう?」
と言う姫。
戦争を体験した方々と、戦後に生まれた戦争を直接知らない世代とでは
たしかに同じ土俵で話は出来ないのだと、
私が初めて学んだ瞬間で、実に印象深く重い姫のセリフだった。
菊村の部屋から闇夜を帰ろうとする姫を、
菊村が懐中電灯を持って歩いて送り、
途中、姫がつまづいて菊村は姫の手を握って歩く。
同じ手を握るにしても、斉藤由貴や今井絵理子のそれとは違って微笑ましい。
姫は
「殿方と手をつないで歩くの、本当言うと生まれて初めてなのね。変でしょ」
と言ってはにかんだ。
戦前は男女は一緒に外になどいれば非国民。
恋する千坂先生と姫は部屋の中でしか会えず、
戦後に姫と結婚して亡くなった旦那様も厳格な昭和の男で
姫は男性と手をつなぐことは今まで無かったのだ。
2017年、戦後72年を迎え、ドラマの中の話だけど姫は現在90歳を超える。
戦時中は20歳前後で、当時は大女優だった姫。
窓がコツンと音がして下を見ると、川のほとりの柳の下に先生が立っていた。
慌てて下に降りて走っていくと、三年坂で先生はカメラを持って立っていた。
「走らないでそのままゆっくり歩いて来なさい」
すれ違いざまに小さな声で「先生」って言おうとしたら、
先生は小さな声で「そのまま歩いて」と言った。
そして「さよなら」と。
その後、千坂先生に赤紙が来た。
「先生がアッツ島で亡くなられたのは、昭和18年の6月の初め」
と微笑む姫。
恋人と一緒に過ごした楽しい思い出から戦死の訃報を聞くまで、
そのすべてが美しい恋の思い出なのだ。
だから、微笑む。
「毎年、千坂先生が亡くなった6月の初め、あるいは8月15日の終戦記念日を
姫はどんな気持ちで迎えて来たのだろう」
と考えると、
ドラマの中の話だけど、切ない。
どんなに歴史を研究しようが、たくさん本を読んだり映画を見たりして
当時を知ったような気になろうが、実際に当時を体験した人でなければ
とうてい理解できない苦しみや悲しみは確かに存在する。
資本主義の終焉で、富が一部の富裕層に集中し、中間層以下が没落、
世界中に不満が渦巻いている。
戦争とは 外交で解決できない究極の解決手段。
孫子世代が戦火から逃れる姿なんか、想像したくない。