ハイサイ、RIN(凛)ですニコニコ

5月12日、満月の日に満開のコーヒーの白い花
西郷隆盛が甥の市来政直(いちきまさなお)に詠んで送った漢詩に
「耐雪梅花麗」
という一節がある。

 

「雪に耐えて梅花(ばいか)麗(うるわ)し」
と読み、
「梅の花は、冬の雪や厳しい寒さを耐え忍ぶからこそ、
初春に美しい花を咲かせ、かぐわしい香りを発する」
という意味だけど、
「苦難や試練を耐えて乗り越えれば、大きく見事な成長が待っている」
というたとえとして、

元広島カープの黒田博樹投手の座右の銘としても有名なので
知っている人も多いはず。

 

沖縄のコーヒーの開花は、4,5月の大潮前後が多いので
花のつぼみは1月、2月に出始める。
なので、コーヒーの開花の頃は、
西郷隆盛が詠んだ「耐雪梅花麗」の心境で、
コーヒーの木それぞれに
「頑張ったね」
と、私は声をかけてねぎらっている。

開花の翌月、6月9日(満月)の結実。これから開花予定のつぼみもある。
開花画像を撮影したのは5月12日、満月の日。
現在は7月10日(満月)だから、
開花からは2度目の満月を迎えたことになる。

 

コーヒーは、開花後7度目の満月の頃に完熟し収穫期を迎えるから

完熟にはまだこの先約5ヵ月もある。

なので収穫を迎えるのは12月の満月の頃のはず。

 

近年は異常気象が、もはや異常でなく常態化してきた。
日本近海の海水温度の上昇で、
台風銀座の沖縄には台風が来なくなってきている、という異常。

 

台風銀座の沖縄では、
コーヒーの開花直後から結実した実の成長過程にかけて
いくつもの台風が接近、または上陸してきた。


コーヒーの木を激しく揺さぶり、
成長過程の緑豆が付いた枝葉を激しく擦(こす)りつけ、
愛おしい緑豆が無残に落され、木が疲弊してしまう。


そのため木は実を成長させるための生殖生長より
木自身が活力を取り戻すための栄養生長が優先され、
糖度のある元気で活力ある実とはほど遠い貧弱豆が出来るのが常だった。

 

もちろん、台風や防風林の有無だけではなく、
品種や育て方、日照など複合的な理由もあるだろう。

 

それでも、台風が近年沖縄に来ないことで、
コーヒーの生育がかつてないほど順調にいっている。
それは私だけではないはずだ。

 

ただコーヒーの完熟した赤、あるいは黄色い実は
どれも立派に見えるので、
良い豆を宿しているのかダメ豆なのか外見では判断出来ない。

 

そのため、
「実が出来ることがゴール」
とすることは、私にはとても出来ない。

 

「甲子園に出ることが目標」

の高校野球チームが早々と1回戦で姿を消すのと同じだと思う。

 

甲子園で優勝する学校は、

最初からそれを目標にして過酷な練習をしているのであって、

奇跡や運だけではとても勝ち上がれないと思う。

 

沖縄では沖縄尚学と興南高校は

「甲子園に出ることが目標」

ではない。

沖縄県大会準決勝は7月15日(土曜)、決勝は翌日16日(日曜)。

ともにテレビ中継される。

ものすごい視聴率だろうね、私ももちろん観るつもり。

開花の翌月、6月9日(満月)の結実。大きさは3mm程度。
・乳児はしっかり、肌を離すな
・幼児は肌を離せ、手を離すな
・少年は手を離せ、目を離すな
・青年は目を離せ、心を離すな
というのは、アメリカインディアンの子育て四訓だけど、
コーヒーの結実した実の成長過程は
子供が元気に成長して初節句のお祝いをするような愛おしい心境になる。

 

コーヒーは豆を焼いて熱湯を注いで飲むものだけど、
その「豆」はタネ植えすると発芽する生命の源。
なので、私は実の1粒、1粒に畏敬の念と愛着を感じている。

 

大自然に畏敬の念を抱き、動植物が与えてくれる恵みを享受する知恵や作法は
近代では徐々に失われつつあるけど、
なぜかコーヒーやお茶には「恵み」と感じない人が多いみたいで、
私からすると、それはとても残念なことで寂しい。

 

私は農園に、コーヒーに対する畏敬の碑を、いつか本気で造る気でいる。

開花から2度目の満月(7月8日)、開花の時期で大きさが違う。 
小学校低学年の国語の教科書で
多くの作品が紹介されている武鹿(ぶしか)悦子の童謡詩に
「せいのび」
があり、知っている人も多いと思う。

 

「せいのび」
まぶしい くもに さわりたくて
きは
きのうも せいのび
きょうも せいのび

 

とりのように くもを
とまらせたくて
きょうも せいのび
あしたも せいのび

 

この短詩は、樹木がたくましく、けなげに生長していく様子が
寓話(ぐうわ)的、物語的に表現されていて、
読めば読むほど奥が深い。

 

第一連では、
「樹木は、まぶしい雲に触りたくて、
昨日も背伸び、今日も背伸びしている」
となっている。

 

樹木たちは、毎日、毎日、休むことなく、
上へ上へと背伸び(生長)を続けている。

この詩は、その驚嘆と感動を表現している。

 

背伸びしているのは、樹木だけではなく、
生きとし生けるものすべて、動植物すべてにいえること。
人間は「せいのび」を目当てに努力して社会生活を営んでいる。
2行目の「きは」を「にんげんは」と入れ替えても、この詩は成立する。

 

第二連では、
「樹木は鳥を停まらせるのはごく普通のことだけど、
それだけではなく、樹木は天空に浮かぶ雲をも停まらせたくて、
天空へと高く高く伸び上がっている。
今日も、明日も、休むことなく伸び続けている」
となっている。

 

「雲を触らせる(第一連)」、「雲を停まらせる(第二連)」というのは、
いくら樹木が「ぐんぐんとせいのびしている」とはいっても
大げさな表現過ぎるのだけど、この誇張表現が、
「樹木が力強い勢いで天空へ天空へとぐんぐん伸び上がっている様子」
が、目に見えるように鮮やかに表象させてくれる効果を発揮している。

 

第一連の「きのうも せいのび」「きょうも せいのび」、
第二連の「きょうも せいのび」「あしたも せいのび」から、
「きのう・きょう・あした」の三つの時間経過の全てが含まれていることが
詩全体を読むと、その意味内容から容易に推察できて、
短詩だけど、この詩には樹木たちの生命力、

力強い生長の事象的時間経過の物語性、ストーリー性が感じられ、
生命力の神秘さに、改めて敬虔(けいけん)な念を抱いてしまう奥が深い詩で
国語の教科書に載るのも納得。

 

「武鹿(ぶしか)悦子なんて知らない」
と思うだろうけど、

 

きらきらひかる おそらのほしよ
まばたきしては みんなをみてる
きらきらひかる おそらのほしよ

 

きらきらひかる おそらのほしよ
みんなのうたが とどくといいな
きらきらひかる おそらのほしよ

 

きらきらひかる おそらのほしよ
まばたきしては みんなをみてる
きらきらひかる おそらのほしよ

 

という、フランス民謡を作詞した有名な童謡「きらきらぼし」、
作詞家は武鹿悦子なんだよね。

童謡もなかなか侮れない。

開花から2度目の満月(7月8日)、緑豆がコーヒーの実っぽい。 
有名な津軽民謡「じょんから節」に
「昔日本は瑞穂の国よ 米はお国の命でござる 米という字を分析すれば
八十八度の手数をかけて 春は苗代種まきあげて 夏は土用まで草取りあげて
秋の取り入れ俵に入れて 倉に積み上げ大黒恵比寿 汗水流したお百姓さん」
という一節がある。

 

ちなみに
「百姓=百の仕事をこなせる人」
の意味があり、私は百姓を目指しているけど、

私はまだ十姓くらいかな?

 

「早く、楽に収穫期を迎えたい」
という手抜きのコーヒー栽培者が県内には多い。
中には海外産を多量に混ぜるとか、コーヒー自体を栽培してないなんて
詐欺師までいるのが沖縄コーヒーの実情。

 

私はコーヒーの木と会話をしながら、手塩をかけて、丹精を込めて作りたい。
また、そういう本気度がなければ、コーヒーに失礼だと思う。

グリーングラスで休息中の野獣RIN(凛)君。