
清明(2016年4月4日)や穀雨(こくう2016年4月20日)、立夏(2016年5月5日)と、
二十四節気(にじゅうしせっき)に合わせて記事を書こうと思っていたのに、
ズルズルと日にちが過ぎてしまったので、
今日は「若夏」について書くことにした。
「うりずん」というのは、沖縄の旧暦2,3月、
春分から梅雨入りまでの初夏を指す言葉で、
暖かくなると同時に、降雨で植物が潤い、花が咲く季節であり、
沖縄の一年を通じて。最も美しく過ごしやすい時期とされ
「潤い初め(うるおいぞめ)」が語源のオモロ語。
今年の「うりずん」は、潤いすぎるほど雨が多かった。
今日5月6日(金曜)は旧暦3月30日なので、
沖縄は今日までが「うりずん」で、
明日から6月中旬頃までは「若夏」ということになる。
「若夏」とは、「うりずん」に芽吹いた草木が緑を濃くしていく
旧暦4月~5月中旬ごろの季節で、
梅雨のピークあたりまでの時期をいう。
さっき「うりずん」の説明で「オモロ語」って簡単に書いたけど、
これだけじゃ意味が判らないよね。
もう少し詳しく書きます。
日本文学の歴史は、奈良時代には万葉集や古事記、日本書紀、
平安時代には伊勢物語、源氏物語、古今和歌集、土佐日記、枕草子など
多くのの物語や日記、和歌などの作品があるけど、
琉球文学では「おもろそうし」が沖縄最古の歌謡集で、
11世紀から17世紀にかけて謡われた総数1554首のオモロで構成されている。
オモロとは、祭祀のときに謡われる、節のついた長めの叙事詩(じょじし)で、
文字がない時代の言い伝えや、神に捧げる歌、信仰、労働、英雄、
領主、領土、航海、祭祀、行事など多岐にわたり、
しかも昔の琉球方言で書かれていて、
琉球各地のオモロを首里王府で採録し、冊としたのが「おもろそうし」で
1531年に第一巻が編纂(へんさん)されてから、
最後の第22巻の完成まで約100年もかけて作られている。
オモロ創作が途絶えてから1世紀後には、
オモロ語はすでに難解な古語になっていて、
1711年、琉球王府で編纂した沖縄最古の古琉球語の辞書
「混効験集(こんこうけんしゅう)」
の序文には、
「神歌の詞(オモロ語)を収録した」
とあり、
「混効験集」は通称「オモロ語辞典」といわれている。
1609年に薩摩が琉球に侵攻し、
1611年に琉球国に薩摩による掟十五条が施行され、検地もされている。
以降「やまと化」が顕著となり、
古琉球語が一気に廃れてしまったんじゃないのかな?
これは私の個人的見解だけど。
この「オモロ語辞典」に、
「うりずん」は「「二、三月麦の穂がでるころ」
「若夏」は「「四、五月穂出る比(ころ)を云」
と書かれている。
「若夏」の「四、五月の穂」とは「稲穂」のこと。
その初穂は「八十八夜(五月二日)頃」というので、
「若夏」とは、「新暦の五、六月の梅雨時期の晴れた暑い日」といわれている。
「若夏」という言葉には、
「うりずん」に芽吹いた草木がさらに緑を増して、
生い茂ろうとする活力があり、「若さ」が感じられる。
やがてやって来る台風にも、
盛夏の強烈な日射にも耐え得るエネルギーが
森羅万象すべてのものの体内に培われていく季節が
「若夏」ということになる。
「うりずん」の終盤に咲いたコンロンカの後、
伊集(イジュ)が咲いて、沖縄は梅雨に入るけど、
「若夏」の初めには、沖縄の県花であるデイゴの真っ赤な花が咲く。
一般的に「赤い花」といえば、
バラやチューリップ、カーネーション、スイートピー、ポインセチア…、
沖縄ではハイビスカス(原種アカバナー)といろいろあるけど、
4月下旬~5月上旬の、GWに合わせているわけじゃないけど、
沖縄では県花であるデイゴの真っ赤な花が咲く。
このデイゴの花が例年より多く咲くと、
その年の台風の数が多くなるとか、
大型の台風が襲来するなどの言い伝えがあり、
70m超級の大型台風が3度もヤンバルに襲来した4年前は
たしかに、みごとにデイゴが咲き誇っていた。
ヤンバルから58号線を下り名護市に向かうと、
大宜味村の塩谷の宮城バス停近くと
ここから約1km南の津波(つは)小学校入口に
大きなデイゴがあり、その開花時期になると
今年の台風の予想をするのは私だけじゃないはずだ。
GWのデイゴの開花を見ると、今年は花が少ない。
ということは、今年の台風は例年より数が少ないか
被災が小さいということになるのだけど、どうだかね?
私が東京で昼夜働きまくり、
長女が小学校でイジメを受け初めた1993年(平成5年)に
THE BOOMの「島唄」が大ヒットして
同年THE BOOMは大晦日の紅白歌合戦に出場、
「レコード大賞」でも「ベストソング賞」を受賞した。
当時は、宮沢和史さんは沖縄出身の音楽家だと思い込んでいた。
実際は山梨県甲府市出身。
宮沢さん自身が、沖縄戦についてあまりにも無知だったため創られたのだという。
沖縄戦自体は知っていたけど、ひめゆり学徒隊や集団自決など
多くの悲惨なことについて知らなかったことを悔いて
創られた曲なんだとか。
2005年8月22日朝日新聞朝刊に、
「宮沢和史の旅する音楽」というシリーズが連載され、
「島唄」の創作秘話が語られている。
以下、その記事のコピペ。
「宮沢和史の旅する音楽 その1」たった一人のために
「島唄(しまうた)」は、本当は、たった一人のおばあさんに
聴いてもらいたくて作った歌だ。
1991年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、
沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。
そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、
本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた
激しい沖縄地上戦で大勢の住民が犠牲になったことを知った。
捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。
極限状況の話を聞くうちにぼくは、
そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。
資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟)の中にいるような造りになっている。
このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。
だが、その資料館から一歩外に出ると、
ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。
この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。
歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。
「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。
「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、
この部分は本土で使われている音階に戻した。
2人は本土の犠牲になったのだから。
2005年9月1日 朝日新聞朝刊
「宮沢和史の旅する音楽 その2」再び「島唄」のふるさとへ
以下、記事のコピペ。
最後はコザの民謡酒場。
夜が更けるほどに泡盛を飲み、一緒に民謡を歌いながら、
彼はぼくが「島唄」に込めた意味を全身で受け止めてくれた。
ぼくにとって沖縄は本当に大切な場所だ。
多くの人々との出会いがあった。
自分で「島唄」を作っておきながら、
「本土出身者のぼくがこの歌を歌っていいのか」と悩んだことがあった。
その時「音楽では魂までコピーしたら許される」という言葉で
ぼくの背中を押してくれた人がいた。
「花」を始めとする多くの名曲で知られる喜納昌吉さんだった。
沖縄はまた、大人になって出会った「ふるさと」でもある。
特に竹富島は「隠れ家」のような場所。
島を歩いていると、おばあさんから
「あんたかい、『島唄』を書いたのは」と声がかかったりする。
ゆったりとした時間が流れる沖縄は、
自分が「人間」という生き物であることを改めて教えてくれる。
「島唄」の歌詞と、宮沢さんの思いは以下の通り。
でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
(1945年春、でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された)
でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
(でいごの花が咲き誇る初夏になっても、米軍の沖縄攻撃は続いている)
繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう
(多数の民間人が繰り返し犠牲となり、人々の哀しみは、島中に波のように広がった)
ウージの森で あなたと出会い
(サトウキビ畑で、愛するあなたと出会った)
ウージの下で 千代にさよなら
(サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった)
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、
遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい)
島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
(島唄よ、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい)
でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
(でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が訪れた)
ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
(平和な時代のささやかな幸せは、波間の泡の様に、はかなく消えてしまった)
ウージの森で 歌った友よ
(サトウキビ畑で、一緒に歌を歌った友よ)
ウージの下で 八千代に別れ
(サトウキビ畑の下の洞窟で、永遠の別れとなった)
島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、
遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい)
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
(島唄よ、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい)
海よ 宇宙よ 神よ 命よ
(海よ 宇宙よ 神よ 命よ 万物に乞い願う)
このまま永遠に夕凪を
(このまま永遠に穏やかな平和が続いてほしい)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、
遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい)
島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
(島唄は、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、
遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい)
島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の愛を
(島唄は、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい)
沖縄の言い伝えが、歌詞の冒頭に書いてあり、
「デイゴの赤い花が見事に咲いた年は天災に見舞われる」
というのだけど、
今年は、とても見事とはいえない寂しい開花だったから、
台風は大したことがなければいいんだけどね。