
昨夜、熊本県益城町で震度7の地震が発生し、
その後も100回を超える余震が続き、
今も救出活動が続けられている。
熊本城の石垣も一部倒壊しているようで、
揺れの激しさを物語っている。
熊本県を含めて九州には知人がいるし、
とても人ごととは思えず心配になる。
過去の大地震では、
北地方太平洋沖地震の津波被災者を除くと、
地震による直接の死者よりも
地震後の避難生活で亡くなる人が、はるかに多く、
地震後の問題が多い。
熊本でも被災者が4万人以上避難されているようだけど、
健常者のように自力で機敏に歩けない人たちには
福祉避難所も必要だし、
これ以上被害が拡大しないことを祈りたい。
4月15日(金曜)から17日(日曜)に予定されていた日本女子プロゴルフ大会
「KKT杯バンテリンレディスオープン(熊本空港カントリークラブ)」
は、当たり前だけど中止になった。
多くの出場選手たちは数日前から熊本入りしていたはずだから、
来週静岡県で行われるフジサンケイレディスクラシック(川奈ホテルゴルフコース)に
向けて、交通機関がマヒしている中、どうやって熊本から移動するんだろう。
鎌倉時代の随筆、鴨長明の「方丈記」は、
「ゆく河の流れ
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
…」
で始まるエッセイで、
私が中学生時代の国語では強制的に古典を丸暗記させられ、
おかげで半世紀近く経っても、
ある程度の古典は、序文がスラスラ出てくる。
そのくせ、人の名前や場所などの固有名詞がすぐに出てこないで、
「あれ」とか「あの人」とか「あそこ」などを多用することが多く、
記憶って不思議だよね。
永井路子さんによる、方丈記の序文の現代語訳は、
「絶えることのない、河の流れ。
行きて還(かえ)らぬ流れの水は、昨日のそれではない。
また、流れもせずにいるかに見える淀(よど)みに浮かぶ水の泡は、
消えては浮かび、浮かんでは消え、その命はたちまち尽き、
瞬時もこの世にとどまることのないはかなさだ。
世の中の人々の命も、すみかもまたこれにひとしい。」
と、とても読みやすい。
ちなみに、永井さんの「ゆく河の流れ」訳は、この後、以下のように続く。
「絢爛(けんらん)たる都の中に、
競うがごとく並びたつ貴賎(きせん)の家は世々尽きもしないが、
よく見れば、昔からの家は数少ない。
あるいは去年焼けて今年は造り変えたとか、
あるいは大きい家がほろんで小さい家になるとか…。
住む人もこれに同じこと、所は同じ京の中、
人も同じく多いけれど、昔からの顔見知りは二、三十人のうち、
わずかに一人、二人である。
生まれ、かつ死んでゆく人間たちよ。
どこから来て、どこへ去ってゆくのか。
たちまちうつろう仮のすみかのために、
何を悩んだり喜んだりして心を煩(わずら)わせているのか。
人とすみかと先を争って滅んでゆく姿は、
あたかも朝顔の花と露のようなもの。
あるいは露がこぼれて花のみ残るものもあるが、
それも朝日の前ではしおれて生気を失ってゆく。
あるいは花がしぼんで露が消えないこともあるが、
それも夕(ゆうべ)までの命は保ちはしない。」
無常な世の中にただ絶望するのではなく、
その現実を受け入れながらも
自分らしさを見失なわず、
淡々と生きることの大切さが説かれたエッセイで、
今から約800年前の鎌倉時代中期に書かれた作品なのに、
文明や文化が発達した現代でも、
人間の本質自体はまったく変わっていないことが判る。
この方丈記には「大地震」のことも書かれている。
「元暦の大地震
また、同じころだったか、ひどい大地震があった。
その有り様は、並み大抵のものではなく、
山は崩れて河を埋め、
海が傾くような津波が陸地を浸した。
土が裂けて水が噴き出し、
岩石が崩れて谷に転落した。
岸部を漕(こ)ぐ船は波に翻弄(ほんろう)され、
道行く馬は足元定まらず、立ってもいられないという有り様。
都のあたりでは所々の堂塔が壊れ、
ひとつとして完全な姿を保つものはなかった。
あるいは崩れ、あるいは倒れ、
その塵挨(じんあい)がもうもうと煙のように立ち上がった。
大地が揺れ、家の壊れる音は雷鳴と変わりがない。
家の中に居れば、たちまちその下敷きになって押しつぶされそうになるし、
走り出れば足元の大地が地割れする恐ろしさ…。
羽根がないから空を飛ぶことも出来ないし、
竜なら雲にも乗れようがそれも出来ない。
恐ろしい中でも最も恐ろしいのはこの地震だと、
思い知ったことだった。
これほどの激震はまもなくして止んだけれども、
余震はしばらくは止まず、
普通のときだったらびっくりするほどの地震が、
日に二、三十度ない日はなかった。
十日、二十日と過ぎてやっと間遠になり、
一日のうち四、五回、あるいは二、三度になり、
一日置き、また二、三日に一度というふうになったが、
こんなふうにして、余震は三か月も続いたろうか。
天地を構成する四大種(四要素=地、水、火、風)の中で、
水と火と風はいつも災害をもたらすが、
大地だけは常に動かず、
災いを起こさないと思っていたのに、
この有り様とは…。
昔、斉衡(さいこう)年間(854~857年)とかに大地震があって、
東大寺の大仏の首が落ちるなど、
大変なこともあったけれども、
それでも今度の大異変には及びもつかない、
とか人々は言いあった。
その災害の当時は、人々は、
しょせん世の中ははかないものだなと語りあって、
この世への執着や欲望も少しは薄らいだように見えたけれども、
歳月が過ぎればそういうことを口にする人さえいない。」
この大地震は1185年(元暦2年7月)に起きた
「文治京都地震」
のことで、
同年3月の壇ノ浦の戦いで平氏は全滅したことから
当時「平家の怨霊」といわれた
マグニチュード7.4の大震災だったらしい。
最近の大地震と比較しても
・1995年(平成7年) 淡路阪神大震災 M7.3
・2004年(平成16年)新潟県中越地震 M6.8
・2011年(平成23年)東北地方太平洋沖地震 M9.0
・2016年(平成28年)今回の熊本地震 M6.5
鎌倉時代では、耐震設計ではない木造平屋建てだから、
被害も相当大きかったはず。
予期しにくい地殻変動で偶発的に起こるのが地震、
地球上の各大陸は、プレートの上に乗って地球上を漂い、
プレートが重なる境界が地震の巣になっている。
地震列島の日本は、安全な場所はない。
沖縄だって、ちっとも安全じゃない。
それなのに、大宜味(おおぎみ)村では、
公立小中学校を埋め立て地に建設中。
今どき逆行している考え方で呆れてしまう。
2500年も前に、
孔子の後継者である孟子が書いた盡心章(じんしんしょう)句下に、
「悪政が支配すると天の怒りを招き、天災地変の襲来を招くのであり、
神の怒りを鎮めるために支配者が変わり、地上に革命が起こる」
という易姓革命が書かれている。
ロクでもない奴が国のリーダーになると、
天の逆鱗に触れるというのだけど…。
そういえば、北地方太平洋沖地震の時の総理も歴代最低といわれる人だったよね。