ハイサイ、RIN(凛)ですニコニコ
琉球犬、縄文犬、天然記念物、猟犬、沖縄犬、 【大国林道の注意書きの看板】

「小豆(あずき)」というのは、私が捨て犬に名付けた名前。
体が小さくて目が全体的に黒っぽく、
小豆に似ているので、そう命名した。
本当の名前は判らないから。

半月くらい前の3月7日(月曜)夕方、
沖縄本島最高峰の与那覇岳(503m)の霊水を頂きに行く途中、
夕方の大国林道で小豆に出会った。


薄汚いボロ雑巾(ぞうきん)のような姿で
ヨタヨタというかフラフラというのか、
そんな歩き方の高齢の小型の無表情な牝犬で、
捨てられてから数日が経過しているように思われた。
あてもなく彷徨(さまよ)ってるような感じだった。


大国林道では捨て犬を見かけることが多々ある。
捨てられた犬は人間に対する不信感が強く、
警戒して人や車に近寄らないのがふつうだけど、
小豆は車を怖がらず近寄って来た。
というより、少し痴呆になっているのかも。

琉球犬、縄文犬、天然記念物、猟犬、沖縄犬、 【朝散歩で余裕こいてあくびして歩く兄貴】

犬を捨てる飼い主からすると、
南城市大里の動物愛護センターに飼い犬を持ち込むのは、まず面倒。
それに、職員に引き取り手がないのか問い詰められ、

「冷酷なヤツだな」と思われるのもイヤだろうし、
センターには引取りを拒否する権利もある。


センターに愛犬を引き渡すと、5日後には
炭酸ガスで殺処分されるのが可哀そうに思うはず。


自分が直接手を下さないまでも、
「間接的に愛犬を殺した」
と思いたくないという、良心の呵責が少しある飼い主は
動物愛護センターに愛犬を連れてくるのは
ごく一部の人というのが現状。


一般に、犬を飼うなら仔犬の頃から飼いたいから、
知り合いから、その人の都合で飼えなくなった成犬や老犬を
引き受けようという人は少ない。


飼い主は犬の引き受け先がないなら、
「何とか自力で生き抜いてくれ」
と、愛犬を遠いやんばるまで乗せて来て
車から降ろして、泣く泣く走り去る。


飼い主は偽善者ぶってるだけで、
飼い主だけが頼りの愛犬を、
冷酷に地獄に突き落としたのと同じこと。
サタンに憑依されてないと、とても出来ない残酷な行為。

琉球犬、縄文犬、天然記念物、猟犬、沖縄犬、 【ふらついて目がうつろな小豆】

飼い犬は、飼い主から食事や水をもらって生きているのだから、
ある日突然、飼い主の身勝手な都合で
「空腹になったら自分でエサを探して獲りな!ここでお別れだよ!」
と突き放されても、困るよね。

水は雨や水溜り、渓谷などで何とかなるかもしれないけど、
犬はベジタリアンではないし、しかも大国林道は、
山原(やんばる)の中央山脈の尾根を南北に走る林道なので、
そこで犬が食べられるようなタンパク源は、
カエルかヘビ、野ネズミ、陸カメくらいしかない。


飼い犬では俊敏なヤンバルクイナやマングースは捕まえられない。
1m前後の無毒ヘビ・ガラスヒバァやリュウキュウアオヘビは
動物が接近すると樹上に逃げてしまうし、
アカマタの成体は2mを超えるし、攻撃的なヘビだから
無毒といっても仕留めるのは大変。
動きが鈍いヒメハブは頭部が大きく、近くに寄ると咬まれる可能性が高く、
猛毒ハブは不用意に近づくと、犬は顔や前脚を咬まれる。
毒が回って倒れると、カラスの餌食(えじき)になる。


RIN(凛)君のように生まれながらの猟犬であれば、
カエルや野ネズミだけでなく、イノシシだって仕留められるけど、
毎日食べられる保証はない。
何日もエサにありつけないのは自然界ではザラにあるはず。
猟犬でもそんな厳しい環境なのに、猟をしたことがない犬では
エサの確保は困難で、たちどころに飢えるに違いない。
大国林道での捨て犬は、ほぼ100%1週間は生きられないはず。

琉球犬、縄文犬、天然記念物、猟犬、沖縄犬、 【兄貴のお土産で買ったファミマのジャンボフランクをパクつく小豆】

2013年施行の動物の愛護及び管理に関する法律
第四十四条3項には、
「愛護動物を遺棄した者は、百万円以下の罰金に処する」
と、罰金刑が追加されている。
こんな有名無実の法律とは関係なく、
愛犬の生殺与奪の権を握る飼い主は、最後まで看取る責務がある。
犬は飼い主の家族として暮らしているのだから、
犬を捨ててはいけないのは当たり前の話。

捨てられる犬は、信頼していた飼い主に裏切られ、
人間不信と怒り、飢餓と苦しみで、
絶望の中、人知れず死んでいく哀れな運命にある。


昔は、うば捨て山というものがあったらしい。
高齢になり、畑仕事や家事など役に立たず
手がかかるようになった老婆を、
口減らしのために戻って来られないような山奥に
老婆を捨てに行くという民話は全国各地に残されている。

うば捨て山を題材にした、
深沢七郎の短編小説「楢山節考(ならやまぶしこう)」は
映画化されたから観た人もいるはず。
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簡単なあらすじは以下の通り。


信州の山奥の寒村が舞台の物語。


耕作にも気候にも恵まれないその村には、
「結婚出来るのは長男だけ

、他家から食料を盗むと重罪、
70才になったら楢山参りといって山に捨てられる」
という、厳然たる3つの掟があった。


ふつうの老婆は山に行くのを怖がり、

嫌がるのだけど、
辰平の母おりん(69歳)は、

気丈に自ら進んで山に行こうとして
「楢山参りに行くときは辰平の背板に乗って、
歯も抜けたきれいな年寄りになって行きたかった」
と言い、

自ら石臼に歯をぶつけて歯を折り、

山行きの準備を整え、
村の長老達から、山の頂上に着いても、

親子は口をきいてはダメだとか、
お山参りの作法を伝授される。


辰平は年老いてるけど健康な母を背負い、
お互いに終始無言で山を登る。


途中、おびただしい数の白骨が散乱していて、
平らな所に母を座らせ、辰平は山を下りる。


下りで雪が降ってきた。
辰平はたまらず母の所にもどり
「雪が降ってきてよかったな」
と涙を流して言う。


雪だと、寒くて凍死して、苦しまないから。


私は30年くらい前に3回観たけど、とても重いテーマで
家族とはなにか、健康、介護などいろいろなことを考えさせられる映画だった。


小豆を見ていたら、この映画を想い出した
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小豆は、ヨロヨロしていたので、見た瞬間に
「捨てられて数日経っている」
ことが判り、
「このままでは数日も持たない」
と思えたので、
RIN(凛)君のお土産として

ファミマで買った

ジャンボフランクを
切り身で小分けして

路面に置いたところ、
小豆は警戒せず、

切り分けたソーセージを
あわてて食べ、

のどに詰まらせたりしながら
完食してしまった。

その後、小豆は

落ち葉を前脚でかいて、
水気のある土を

舐めていたので、
「水が飲みたいに違いない」
と判ったのだけど、
私は霊水を頂きに行く途中で、

水は持っていないし、
RIN(凛)君は、
「そんなオバアなんか

放っておけばいいんだよ、

構うことないよ!」
と激怒してるので、一応
「車に乗る?」
と小豆に聞いて、

助手席のドアを開けてみた。

琉球犬、縄文犬、天然記念物、猟犬、沖縄犬、 【ヨタヨタしながらジャンボフランクを食べる小豆】

小豆は少し迷い、乗るのをためらったので、
「可哀そうだけど、しょうがない」
と、私は小豆と別れて霊水を頂きに先を急いだ。
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毛艶も悪くゴワゴワでハエがたかっていた。
要介護状態とか獣医師に「余命が短い」とか言われて
飼い主が捨てたのかもね。

小豆が元気だった頃は、飼い主もきっと可愛がっていたに違いない。
だけどいつしか小豆が高齢になり、
視力が衰えたり耳が聞こえにくくなったり
痴呆になって徘徊したり、そそうしたり病気がちになったりと、
介護が必要になってくると、飼うのが面倒になり
「用無し」
と決断できるのは、
愛犬の命を尊いと思っていない証拠。
家族同然であっても、家族ではなく、あくまでペットであって、
悪く言えば使い捨てみたいな感覚で飼っていたのかもしれない。

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「仔犬を買った」
のは
「仔犬の命を買った」
のだから、
最後まで看取るのは、飼い主の当然の義務であり責務のはず。

それを飽きたらゴミのように捨ててしまうというのであれば、
あまりにひどすぎるよ。

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与那覇岳の中腹で霊水を頂き、大国林道を引き返すと、
また小豆に出会った。

「なんて可哀そうで不幸な犬なんだろう」
「老齢の犬を捨てるなんて、ひどい飼い主だな」
と思って、通り過ぎるのも一つの選択肢だけど、
私はこの時点で、放置できず連れて帰ることに決めた。
我ながらバカさかげんに呆れてしまうけど、
小豆の救いを求めるような純粋な目を
そむけることが出来なかったから。


「一年くらい介護することになるにしてもしょうがない」
と覚悟した。


次回に続く。

琉球犬、縄文犬、天然記念物、猟犬、沖縄犬、 【兄貴にひれ伏す軟弱派のフサオ分隊長】