ハイサイ、RIN(凛)ですニコニコ
琉球犬、縄文犬、猟犬、天才犬、天災犬、 【満腹でお寝むTIMEに入ろうとウツラウツラしているRIN(凛)君】


RIN(凛)君に、「おいで」と呼んだら、
「5回に2回は来るようになった」
ことについて、
「そんなの、当然すぎる話でしょ」

「犬は呼んだら来るのが当たり前」
式に、疑問に思った人がきっと多いに違いない。


でも、
「おいで、と呼んだら犬が来る」
というのは、よく考えると、
ちっとも「当たり前」ではない。


そもそも犬は人間の言葉が判らないのだから、
犬が呼ばれて飼い主の元に走るのは、
犬は飼い主が喜ぶと思って、
その期待に応えているにすぎないのでは?
と考えられる。


言い換えれば、飼い主の期待に応えたら
「何か良いことがある」
例えば、
「いい子ちゃんだね~」
と頭を撫でてもらえるとか、
もしかしたらご褒美にありつけるかもしれない。


そういう「得」があるから犬は飼い主の元に走り寄る。
つまり、犬に下心があり、見返りを期待しているに違いない。

琉球犬、縄文犬、猟犬、天才犬、天災犬、 【今朝8時過ぎの東の空、気温は10℃。昨日の極寒よりずいぶん楽!】


例えば、名古屋方言の
「こっち来(こ)やー」
とか
鹿児島弁(薩摩弁)の
「こけけ」
とか
フランス語で
「Viens!(ヴィアン)」
とか
ドイツ語で
「Komm!(コム)」
中国語で
「過来(グオライ)」
とかは、
英語の「come on」と同じ「おいで」という意味。


その地域に住んでいる人たちなら判るだろうけど、
他の人にとっては「チンプンカンプン」のはず。


例えばふだんと違う言い回しで呼んだら、
犬は、はたして来るだろうか?
犬だったら、どうしたらいいのか、混乱するはず。


なので、言うことをなかなか聞かないRIN(凛)君を基準にすると
犬に「おいで」と言って、
来る犬の方がおかしいとも思える。

琉球犬、縄文犬、猟犬、天才犬、天災犬、 【今朝9時過ぎの虹。無断侵入の山原サーキットで撮影】


なので、「おいで」と言っても来ないRIN(凛)君を
バカ犬だと決めつけるのはおかしい。
RIN(凛)君は先月までは「おいで」と言っても、まず来なかった。


というより、私の言うことをまるで聞く気がなかった。
それが最近では、5回呼べば2回は来るようになった。
それも自分の意思で来るのだから、まさに驚異的な出来事。


さらに、
「部屋から出たい」
「お腹がすいたから、何か食べ物が欲しい」
「魚より肉が欲しい」
「散歩に行きたい」
「こっちに行きたい」
「布団を敷いてほしい」
など、私に鼻でツンツンして私を見つめ、
意思を伝えるようになってきた。
超スローだけど、「お手」もするようになった。


今までRIN(凛)君はサタン化することが多々あり、
天災犬と決めつけてたけど、
やっぱりヤツはDOG=GODで
「ホントは天才犬なんじゃないか?」
「今までは私を試していたんじゃないか?」
とRIN(凛)君を見直すようになった。

琉球犬、縄文犬、猟犬、天才犬、天災犬、 【今から向かう約1000坪の放牧場を見つめるRIN(凛)君】


誰でも、犬を飼えば、「おいで」と呼ぶと、
「犬が尻尾を振りつつニコニコ笑顔をふりまき、舌を出して走って来て
飼い主の前に座り、飼い主が犬の頭をなでる」
という愛らしい光景を想像するはず。


RIN(凛)君には、それは理想であっても
今までは「絶対ムリ」とあきらめていたから
「おいで」と呼んで、
少し間を置いてからトボトボ私の足元に来ると、
「あれっ?どうしたの?」
「どこか具合が悪いの?」
と驚いてしまう。


今までは「おいで」というと、ヤツは無視か逃げ出していたから。
でも、RIN(凛)君自身の意思で来るというのは
高い評価できるはず。


RIN(凛)君にとって、
「おいで」と呼ばれて行くというのは、
言葉を理解する以前に
「ロープでつながれてしまう」
「足を洗って家に入れられてしまう」
というマイナスのイメージでしかない。


つまり、追いつめられた犯人が警官隊や機動隊に包囲され、
「無駄な抵抗は止めよ!」
とハンドマイクで警告され、
犯人が武器を捨てて両手を挙げて自首するような場面に等しい。
なので、RIN(凛)君が自身の意思でトボトボくるのを
私は「自首」と呼んでる。

琉球犬、縄文犬、猟犬、天才犬、天災犬、 【無断侵入した放牧場を走り回るRIN(凛)君、過疎の利点だね】


ふつうの犬が「おいで」と呼ばれて飼い主の元に走り寄るのは
ご褒美目当ての「得」であり、
自分に利が得られるからこその下心や見返りが見え隠れして、
なんかぶりっ子の小ズルさを感じてしまう。


見返りを求めるのは「仕事」であり、ただの労働にすぎない。
RIN(凛)君は己の利ではなく、自発的な協力なので、
己を救うための善行は、すなわち「徳」といえるはず。


「徳」とは自発的ボランティアみたいなもので、
やり続ければ周りの人に喜ばれ、己は運気が良くなり、
おまけに自身が成長できる。


一見、人のためにやることが多いようだけど、
廻り回って、やがて自分に返ってくる。

人のために何かをすることは、
仏教では六波羅蜜(ろくはらみつ)の一つの「布施」。


布施は「三輪清浄」(さんりんしょうじょう)でなければならない、
とされている。

施す人、受け取る人、施す物がいずれも清浄、
つまり、
・施す人が見返りを期待してはいけない
・受け取る人が欲望にとらわれていてはいけない
・施す物が盗んだ物や、悪い物であってはいけない
ということ。


布施は無心で、自発的に行われなければならないらしい。

でも、私たちは通常、
何も考えず、自発的に、見返りを期待せず、誰かの為に…、
というのはなかなか出来ない。


心のどこかで、見返りとはいわないまでも
「相手が喜んでくれたら自分も気持ち良い」
とか、
「何か自分が良い人になったみたいで気持ち良い」
とか、
「善行を認めてほしい」
とか、無意識に自分に良い事があるように感じて善行を行ってしまうもの。


だとすると、RIN(凛)君が自発的に「自首」するのは、
「功徳を積み始めた」と考えていいはず。
やっぱり、RIN(凛)君はDOG=GODで神の使いに決まってる。


ちなみに、
スーパーで見かける「お徳用」の文字。
お客さんが「トクする」という意味であれば「お得用」のはず。
でも、もともとは
「お客さんの人徳に感じ入ったのでサービスさせて頂きます」
という意味だったらしい。
なら、徳川家康は欲深かったから得川家康ということになる?


RIN(凛)君は天災犬でなく、やはり天才犬だった。
周りから見たらバカ犬でも、
飼い主は自分の飼い犬が一番可愛いってことさ!

琉球犬、縄文犬、猟犬、天才犬、天災犬、 【夢心地の天才犬RIN(凛)君】