
昨秋から、RIN(凛)君散歩の道沿いで、、
オキナワスミレがあちこちに咲いているのを目にする。
それで、帰路に、RIN(凛)君と
スミレについてゆんたくすることにした。
スミレは、スミレ科スミレ属の植物で、
本土の開花時期は3月~5月頃の春の花。
北海道から沖縄まで日本列島には幅広く分布している。
琉球列島のスミレは、地理的に本土から遠く離れ、
気候的にも亜熱帯に属しているため、
本土では見られないスミレが10種あり、
その半数が沖縄島固有種となっている。
RIN(凛)君散歩で見かけるスミレは
「オキナワスミレ(Viola utchinensis)」
「Viola」は紫色、「utchinensis」はウチネンシスと読み、
沖縄方言で沖縄を指す「ウチナー」に由来しているらしい。
オキナワスミレは沖縄本島の海岸の隆起珊瑚礁や、
海岸沿線地域の日なたにだけに生える種。
本島南部のシマジリスミレというのは、
琉球石灰岩地域に生えるけど、それはオキナワスミレとはまた異種になる。
花は淡紫色で、葉はハート形、有茎種という地上に茎が延びて増殖する。
草丈は5~10cmの多年草で、か弱そうだけど、
海岸の強い海風に当たりながら生息しているから、
強い生命力があるけど、開発で生息域が狭められ、
絶滅危惧種に指定されている。
薄紫色のオキナワスミレが咲く時期は11月~4月頃と、
けっこう長い期間、花を楽しむことができるけど、
開花は沖縄の冬から初春で、花も小さいし、
オキナワスミレに気づく人はほとんどいないはず。
「スミレ」の語源は、
「その花の蕾の形が大工が使う墨入れ(墨壷)に似ている」
とか、
染料に使われるから「染みれ」が「スミレ」になった、
とか諸説ある。
古代、スミレは染料に用いられた他、
葉や根は食用、薬用にも供され、
春になると人々はこぞって野に出てスミレ摘みにいそしんだらしい。
万葉集でも(巻8の1424)、
「春の野に菫(すみれ)摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける」
という、山部赤人が読んだ歌がある。
「春の野にスミレを摘みにやってきた。
摘んでいるうちにすみれが綺麗だな、可愛いいなと夢中になり
ふと気が付いてみたら日が暮れてしまっていたが、
なお立ち去りがたく、とうとう一晩スミレのもとで過ごしてしまった」
という意味で、
公園とかで白詰草(=クローバー)が一面に広がっていると、
心が安らいで、つい座ったり寝転んだり、
お弁当を食べたくなったりしてしまう。
それと同じように、奈良時代の歌聖・山部赤人も、
野に群生するスミレに癒されたに違いない。
スミレは、小さくひっそりとさりげないのに、何やら魅力的。
松尾芭蕉は、京都から大津に至る逢坂山越えの道で、
「山路来て何やらゆかしすみれ草」
と詠んでいる。
「もうどのくらい山道を歩いたかな。
一休みと思って足もとを見ると、紫色のすみれ草が咲いている。
ひっそりたたずみ春を告げる姿に、つい心が引かれてしまう」
という意味。
スミレの花はさりげないけど、よく見ると誰でも心を引かれてしまうようだ。
宝塚歌劇団の愛唱歌というと、
「おお宝塚」や「宝塚歌劇団団歌」よりも
「すみれの花咲く頃」の方が一般には広く知られている。
宝塚大劇場は1924年(大正13年)に完成し、
1927年(昭和2年)に日本初のレビュー「モン・パリ」が上演され、
その3年後、1930年(昭和5年)の「パリゼット」の主題歌が
「すみれの花咲くころ」というから、
もうかれこれ86年も歌い継がれていることになる。
原曲では「リラの花」だけど、宝塚の演出家が、
日本の春をイメージする「すみれ」を選定したというから、
もしかしたらスミレ以外の花が選ばれていた可能性もあったわけだよね。
「すみれの花咲く頃」の歌詞は以下の通り。
1 春すみれ咲き 春を告げる
春何ゆえ人は 汝(なれ)を待つ
楽しく悩ましき 春の夢 甘き恋
人の心酔わす そは汝
すみれ咲く春
すみれの花咲く頃
はじめて君を知りぬ
君を思い 日ごと夜ごと
悩みし あの日の頃
すみれの花咲く頃
今も心奮(ふる)う
忘れな君 我らの恋
すみれの花咲く頃
2 花の匂い咲き 人の心
甘く香り 小鳥の歌に
心踊り 君とともに 恋を歌う春
されど恋 そはしぼむ花
春とともに逝く
すみれの花咲く頃
はじめて君を知りぬ
君を思い 日ごと夜ごと
悩みし あの日の頃
すみれの花咲く頃
今も心奮う
忘れな君 我らの恋
すみれの花咲く頃
スミレの花言葉は、
「小さな愛」
「小さな幸せ」
「誠実」
「小さな」という表現が、なんともスミレの花らしく謙虚で可愛い。
また、道ばたに、さりげなくひっそりと花を咲かせる姿は
たしかに「誠実」をイメージさせる。
西洋では「バラ・ユリ・スミレ」は「花のトリオ」とされ、
バラは「美」を、ユリは「威厳」、
スミレは「誠実・ひかえめ」を表し、
それらを兼ね備えた女性が理想といわれているらしい。
威厳はともかく、大和撫子みたいなのが女性の理想なのは、
世の東西を問わぬらしい。
産業革命時代の英国のロマン主義の詩人・ワーズワースは、
スミレの花を
「なかば人目にかくれて咲いている。
空に一つ光っている星のように美しい」
と言い、
日本では、このワーズワースの詩にちなんで、
1900年(明治33年)、与謝野鉄幹が創立した新詩社の機関誌「明星」に
寄稿した恋愛や甘い感傷を詩歌にうたったロマン主義文学作家たちを、
星やスミレに託して星菫(せいきん)派と呼んだ。
ちなみに与謝野鉄幹の妻・晶子は不倫の上の略奪婚。
今、世間で騒がれているベッキーの立場みたいなもの。
与謝野晶子は、女性の官能を謳う歌集「みだれ髪」を1901年に刊行。
また、1904年(明治37年)には、日露戦争に従軍した弟のための反戦詩
「あゝおとうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ」という有名な一節の
「君死にたまふこと勿れ」を刊行している。
鉄幹とは子供を12人出産している。
昔の女性はすごいね。
スミレは 小さく地味に見える。
道端でひっそりと。
スミレの花言葉「小さな愛」、「小さな幸せ」、「誠実」の他に、
紫の花には「貞節」という花言葉がある。
「貞節」とは、
「女性が特定の相手以外には心を許さない」
という意味。
矢口真里さんには、スミレはふさわしくないみたい。