
昨日は寒い雨になり、今日は曇りだけど一段と寒い。
日中の気温が19℃、正月以降夏日が続いていたし、
今日は風も強く、よけいに寒く感じてしまう。
午後3時過ぎ、RIN(凛)君のサービスtime(ミニ散歩)で
西の空を見ると、厚い雲に覆われた空から
一時だけ山に陽が差していた。
この後光が差したような光景を見て、
東京在住時代に観た、劇団四季のミュージカル「cats」を想い出した。
当時は日本生命や第一生命の招待券のおかげで、
3回も最前列で観ることが出来たので、よく覚えている。
このミュージカルは観た人も多いはず。
都会のごみ捨て場を舞台に、個性的な猫たちが集まって開かれる、
ある意味、特別な猫社会の舞踏会。
その劇では、ミュージカルのため、多くの歌が歌われるけど、
代表曲ともいえる「メモリー」は、
終盤に老婆猫グリザベラが昇天していくときに切々と歌われる印象深い曲。
老猫が舞台の左側から右上に昇天していく場面が、
スポットライトで照らされるので、
今日見た、後光が差したような光景のように思えた。
老猫が昇天し、ステージに残った猫たちが、
讃美歌みたいな合唱をして、
宗教的な荘厳さをかもしだして終演になる。
劇団四季の「cats」は、様々な猫が登場し、
歌ったり、ダンスしたり、飛び跳ね、
子どもも楽しめるミュージカルで、観ていて楽しい。
けど、観終わった後に、多くの疑問を感じる。
つまり、STORYとして「なぜ?」が多い筋書きになっている。
脚本家の狙いが
「STORYがないことがキャッツの魅力」
というのも、もしかしたらあるのかもしれない。
例えば、
「見るたびに違った発見や解釈、感動がある」
「だから、何度も観てほしい」
みたいな。
だけど、それもちょっと違うような気がする。
多分に私の理解力が不足しているのだけど、
映画のミュージカルでは、
「The Sound of Music」や「雨に唄えば」、「オズの魔法使い」、
「ChittyChittyBangBang」、「West Side Story」、「シカゴ」、
「キャバレー」、「My Fair Lady」、「ドリームガールズ」、
「屋根の上のヴァイオリン弾き 」、「サタデー・ナイト・フィーバー 」、
「グリース 」、「Shall We Dance?」…、
けっこうミュージカル映画も観たけど、どれも判りやすかったように思える。
「cats」では、ラストシーンで、
天上に上る一匹の猫が選ばれますが、なぜあの老猫が選ばれたのか、
3回も観たのに理解出来なかったので、
ミュージカル化される前の原型、
ノーベル賞作家T.S.エリオットの詩を読んだり、
「cats」で歌われる曲の歌詞など、
いろいろ調べたけど、よく判らなかった。
天昇に選ばれた老猫は、若い頃娼婦だった。
「娼婦」や「歌詞」がキーワードなのだろうけど、
劇の進度が早く、理解できないまま、劇はどんどん進んでしまう。
私は2度目を観終わっても理解できなかったので、
劇中の曲の歌詞も読んでみた。
昇天する老猫グリザベラの歌う歌詞を理解しつつ劇を観ると、
劇の前半での歌では、娼婦として絶頂だった頃の栄光と、
現在の凋落した自分を哀れに思い、悲しみ、
それを他の若い猫たちに軽蔑されているのが、
劇の後半、他の猫が歌う「幸せの姿」で、
「本当の幸せの姿は、昔の思い出を糧として、
新しく思いを生まれ変わらせ、未来へ向かって歩き出すことだ」
と諭し、
フィナーレの「メモリー」で、
「陽はもうのぼる、この夜を思い出に渡して、明日に向かう」
と、老猫はついに「悟り」を開いて、未来への希望を抱き昇天していく?
要するに、「選ばれる」とか「救済」とか
「老い」とか「死」とか「尊厳」とか、
新約聖書が根底にあるらしく、
私のような無宗教者では理解しがたい内容になっている。
なので、劇の猫の振り付けとか展開は子供でも楽しめるのだけど、
劇を観終わってから、
「あの部分は、どういう意味なんだろう?」
と、いろいろ考えるのは、
それこそがキリシタンの布教みたいなものに思えて、後味が悪い。
映画でも演劇でも、誰にでも理解しやすいように
作品を仕上げてほしいと思う。
私が3回観た中で、2回は、劇中で猫がバラを一輪投げるのだけど、
私が受け取っている。
というより、私の座った席に投げるように決まっているみたいだった。
なんか、そういうのイヤだね。
なので「cats」には、あまり良い想い出はない。