
「初日の出だから拝みたい」
というのではなく、
散歩コースに太平洋側の崖があるので、
「初日の出を撮るので、晴れてるし散歩は海コースにしようか」
という、散歩ついでの不謹慎な選択で、
まだ暗い6時半ごろにRIN(凛)君と家を出た。
初日の出を撮る場所はあらかじめ決めておいたのに、
すでに車が2台駐車してあり、
RIN(凛)君のお好みの展望台は先客に占有されていた。
RIN(凛)君からすると、縄張りを荒らされたことになる。
例えば、浅草寺境内で行われる羽子板祭りでは
テキヤ組織の露店が整然と並ぶ。
これを無視して、自分のお気に入りの場所にテントを張り
屋台を出したら、おそらく若い衆が飛んできて
「誰の許可得て店を出してんだ?」
と威嚇し、強制排除しようとするはず。
RIN(凛)君もそうした縄張り意識で先客たちを威嚇するので、
少し離れた場所で初日の出を撮影することにした。
いつもの朝散歩では、何となく明るくなって東の空を見ると
地平線から日の出が見え始めるのだけど、
今朝は年明けの最初の日の出ということもあって、
少し早めに意気込んで出発したのが失敗だったね。
日の出って、待ってるとなかなか出て来ない。
RIN(凛)君はじっと待てないし、
先客の後からも続々と車や人がやってきて、
その中に犬連れの人がいたらしく、
RIN(凛)君がいきなり突進しようとして、
私は岩場で転倒、元旦から怪我するところだった。
初日の出を撮影して、早々と近くのビーチに移動したけど、
こっちは先客ゼロで、いつものRIN(凛)君の貸し切り状態。
こっちで初日の出を撮影すれば良かったね。
RIN(凛)君は元旦の今日で満1歳を迎えた。
また、RIN(凛)君が我が家の家族になって早9か月半が経過した。
すっかり家族の一員になったけど、
meism(ミーイズム)を押し通そうとする困ったちゃんは健在。
RIN(凛)君の誕生日=私も誕生日=ついに還暦。
60歳÷3=20時
これは、「人生時計」という、人生を1日24時間で表し、
長い人生を短い時間に置き換えて、
人生を判りやすく考えようとする考え方。
自分の年齢を3で割ると、人の一生を24時間で例えたときの、
今の立ち位置が分かるというもの。
つまり、「24時間×3=72歳寿命説」という設定。
昨年の日本人の平均寿命(男性80.50歳、女性86.83歳)からすると
72歳は短いかもしれないけど、
生物は産まれた瞬間から死へのカウントダウンが始まり、
いつ死ぬのかは誰にも判らない。
平均寿命より早い人もいれば遅い人もいる。
1日24時間の中で、自分の年齢は何時なのか、というとらえ方なので、
細かいこと言わないで、大まかに考えておけばいいのさ。
1日24時間で考えると、早朝目を覚まして、
家を出る準備を始めるまでの時間帯というのは、
歯を磨いたり、朝ご飯を食べたり。
その日が楽しみでウキウキしたり、身なりをキチンと整えたりすることが、
その日一日にとってすごく重要になる。
年齢では15歳から21歳がその出勤前の時間帯(5時~7時)にあたり、
人生として考えると子供と大人のちょうど中間地点にあたる。
ここでの時間は経験を積む、勉強をすることや、
礼儀や作法、社会人としての常識を身につける、
そういうことを学ぶことがすごく大切な期間ということになる。
その後、8時以降になり、自立して社会に出ると、
慣れない社会人として、社会の洗礼を受ける時期に入り、
仕事を覚え、没頭し、同時に自分が一生やること、やりたいことを決める時期になる。
30歳でも、まだ10時。
もう年寄りだという人が多いけど、実はまだ午前中。
36歳で、ようやくお昼の12時。
午前中精一杯働いて、昼食を楽しんで、午後の仕事の備える。
同時にひとつの区切りとして見つめなおす時間帯でもある。
午前中の仕事の進み具合を見て、
午後の後半戦をどうするか計画を立て直すのがランチタイムということになり、
自分が出来ること、やりたいこと、
やらなければいけないことを見つめ直す、重要な充電期間ということになる。
午後1時、39歳になると、夕方まで、精一杯仕事に没頭し、
50歳を過ぎるようになると、夕暮れが訪れ、日没が迫ってくる。
働き盛りでもあるが、同時に老化と死の備えに入る集大成の時期となる。
桶狭間の戦い前夜、今川義元軍の尾張侵攻を知った清洲城の織田信長は、
「人間五十年、下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり
ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」
と、能や歌舞伎の原型といわれる幸若舞(こうわかまい)の
「敦盛」の一節を謡い舞い、陣貝を吹かせた上で具足を着け、
立ったまま湯漬を食し、甲冑を着けて出陣した、
と「信長公記」に書かれている。
「人間の一生は所詮50年にすきない。
天上世界の時間の流れに比べたらはかない夢や幻のようなものであり、
命あるものはすべて滅びてしまうものだ」
という意味だけど、
信長は、
「所詮人生は50年しかない。
であるなら、ここは決死の覚悟で思い切ってやってみよう」
という覚悟に思える。
信長公は「失敗したら死ぬ」という「必死」の覚悟だったけど、
現代人は、「必ずその結果になる」という「必至」になるような
目標設定と努力が必要になる。
還暦=60歳÷3=20時。
1日24時間では、残り4時間、残された時間は少ない。
これをどう有意義に使うか、
今まで以上に時間を大切に使わないといけないし、
今まで積み重ねてきたことの集大成を
まとめ上げなければいけない大切な時間帯でもある。
同時に、残りの時間は楽しめる時間帯でありたいし、
一層健康に気遣う必要がある。
そう考えると、困ったちゃんのRIN(凛)君と
より信頼関係を深めていかなければならない。
RIN(凛)君が18年の寿命だとすると、あと17年。
私の年齢60歳+17年=77歳。
RIN(凛)君を看取って、
その翌日にポックリ死ぬのが私の理想だけど、
今や二人に一人が癌にかかり、三人に一人が癌で死ぬ時代。
健康だけが取り柄の私であっても、
いつなんどきどんなことが起きるかわからない。
なので、今年こそは琉球大学でいご会に入会するつもり。
つまり、自分が死んだ時の遺体を、
医学教育・研究のために
無償で提供することを生前から約束する「献体」の申し込みをしたい。
これは、本人の意思は当然だけど、
家族全員の承諾が入会の前提になっていて、
私の娘が返事を保留にしているので、
昨年までは入会できなかったけど、
今年は強行しないといけない。
私の実家は「南無阿弥陀仏」の浄土真宗だったけど、
バリバリの信者ではなくて、
法要では「南無阿弥陀仏」と手を併せて唱えるだけだった。
つまり私は不謹慎ながら無宗教に等しく、
お墓にもこだわっていないし、葬儀も不要と思っている。
つまりお寺や葬儀社の天敵ということ。
私は多くの果樹を植えている。
これからもまだまだ植えるつもり。
子や孫が、いつか
「これは、おばぁが植えた木だ」
と、少しでも覚えていてくれるなら嬉しいし、
それが忘れ去られたとしても構わないし、ちっとも寂しくない。
なぜって、その時は私の両親やご先祖様たちに会えるし、
昨年亡くなったRIU(琉)君や
もしかしたらRIN(凛)君と一緒に遊べる。
そのうち、子や孫だってやってくるのだから。