ハイサイ、RIN(凛)ですニコニコ
【「走ろうぜ、マージ」(馳星周・著、角川書店)】

北海道出身で1965年生まれだから、私よりずっと若い50歳のバリバリ現役作家。
馳星周(はせ せいしゅう)という名前はペンネーム、
最初は読み方が解からなかった。
彼のベストセラー「不夜城」を読んだ時に初めて読み方を知った。
このペンネームは、著者が大ファンの周星馳(チャウ・シンチー)の名前を
単純に反対に並べ替えたもの。
周星馳は、監督、脚本、製作、主演をこなす、
世界で注目されている香港映画人で、
「ドラゴンボール エボリューション(2009年、ハリウッド映画)」のプロデュースや、
昨年の「西遊記~はじまりのはじまり~」の監督でも有名。
B級作品だけど「少林サッカー」も彼の映画。
「低学歴だけど、苦学して努力して才能を開花させ、夢を追い続けて成功した」
というところに著者が魅かれたのかもね。
馳 星周さんは、横浜市立大学在学中に、
新宿ゴールデン街のバー「深夜プラス1」でバーテンのアルバイトをしていた、という。
この店の経営者は内藤陳さん。
もう4年前に75歳で亡くなられているけど、
内藤陳さんは有名なコメディアンでエノケン(榎本健一)の最期の弟子、
といっても、若い方はエノケンも知らないだろうね。
内藤陳さんは「トリオ・ザ・パンチ」という三人組のお笑いトリオのメンバーで、
西部劇のガンマンスタイルで、
「おら、ハードボイルドだど!」
というギャグが有名だった。
ま、知らないだろうけどさ。
私が小学生当時、まだTVが白黒の頃だったから、
彼の全盛期はもうかれこれ50年くらい前だったと思う。
とにかく内藤陳さんはコメディアンとしては著名な方で、
馳 星周さんは、学生当時、この内藤さんの店のバーテンのバイトをされていた、
というエピソードがある。
また、私は東京在住時代に、
何度もゴールデン街にお酒を飲みに連れて行ってもらったことがあり、
店名は覚えてないけど、懐かしくて親しみを感じる。
馳 星周さんは1997年(32歳)「不夜城」で作家デビュー。
この作品が直木賞候補になり、一気にブレイクした。
この作品は、ひとことで言えば、
「日中混血の男女二人が、
新宿歌舞伎町に暗躍する中国人マフィアの抗争に巻き込まれる」
という内容で、
当時のベストセラーになっているから、読まれた方も多いはず。
【バナナ園でパパイヤが巨峰のように実る】

「走ろうぜ、マージ」という本は、
馳 星周さんの愛犬だったバーニーズマウンテンという犬種のマージという愛犬が、
バーニーズマウンテン特有の悪性組織球症という癌に侵され、
看取るまでの約3カ月、軽井沢の貸別荘での闘病記が
日記形式で克明に綴られている。
本書は著者の公式ホームページ(2005年7月15日~10月20日)に連載された
「軽井沢日記」を改題し加筆修正をして単行本化したものだけど、
マージが11歳で亡くなったのは2005年10月16日、
2005年-11年=1994年にマージを飼い始めた。
「不夜城」で作家デビューしたのは1997年(32歳)だから、
マージは著者が作家デビューするまでの苦楽、寝食を
著者と共にした同志、仲間でもあり、
また著者が初めて飼った犬がマージだから、
家族としての愛犬への思い入れも相当深かったに違いない。
【フルーツパパイヤは完熟すると野鳥に食べられる、早い者勝ち!】

11月6日の「夜、でっかい犬が笑う」の著者・丸山健二さんは
「でっかい犬」を飼うことにこだわり、
また自身がテーゲーな飼い方をするくせに犬の理想像が高く、
次々と犬を飼い換えては理由をつけて手放していく、という繰り返しで
「こんな人は犬を飼う資格はない!」
と思ったけど、
今回の「走ろうぜ、マージ」の著者・馳星周さんは、この真逆。
犬を家族として迎い入れ、犬が病気になったら、
犬が過ごしやすい(と思える)軽井沢で貸別荘を借り、
そこで懸命に介護する、立派な愛犬家といえる。
【高い所に上がり野犬がいないのを確認して降りるRIN(凛)君】

著者のマージに対する愛情は、
マージを看取った時の情景が以下のように書かれていることで、十分伝わってくる。

「おれのところに来てくれてありがとうな。
おれを選んでくれてありがとうな」
わたしはマージに覆いかぶさり、泣きながら本当の別れを告げた。


本の残りページが少なくなるにつれ、マージの容態はどんどん悪化し、
それに最後まで抗(あらが)う馳さんご夫妻の姿が痛々しく読んでいて辛い。
ペットを飼うと、いつかは訪れる、悲しいその日。
家族の死を考えること、それを受けとめること、
そしてその尊い家族の一生を想いやること、また想い続けること。
尊い家族は幸せだっただろうか、もっと何かしてあげることがあったんじゃないか…、
いろいろな葛藤があったに違いない。
けど、彼女(マージ)は家族に十分に愛され、それに見合う愛情を家族に与え、
家族に看護してもらい、家族に看取られた。
彼女は家族に感謝し、家族も彼女に感謝してお別れできたのだから、
彼女は大往生したに違いない。

【庭でガラスヒバァが大きなカエルを捕まえた!】

小池真理子さんは作家として有名だけど、
その夫・藤田宜永さんも作家、つまり作家夫婦。
今から25年前の1990年(平成2年)、1万冊近い蔵書と愛猫のため、
この作家夫婦は長野県軽井沢町に移住、
その後、著者と親交が深くなり、
マージが癌に侵されてから、軽井沢の作家夫婦が著者家族を招待、
マージを同行すると、マージがそこで生き生きとしたことで、
「最後の夏になるかもしれないマージ、
東京の酷暑の下で暮らすより、軽井沢で楽しく遊ばせたい」
という愛犬に対する配慮で、東京在住なのに
わざと軽井沢の貸別荘を借りている。
【「谷」に三匹の侍がいないのでガッカリのRIN(凛)君、彼らは最近不在が多い】

初めて犬を飼い、それを溺愛し依存した著者は、マージを失ったことで
典型的な重度のペットロス症候群になるパターンだったけど、
そのドツボにはまらなかったのは、
もう1頭ワルテルという名前のバーニーズマウンテンドッグが居るから。
やはり複数飼いというのは良さそうだね。
飼い主にとっても良さそうだけど、
犬同士にとっても、一緒に遊べるしストレスも回避されるだろうし、
時間や体力、コストに余裕があるなら、前向きに考えたいとこだけど、
私はもう老年で体力は落ちる一方、おまけに貧乏ではね…。
【沖縄では冬に収穫する冬バナナは美味しくない、ティーダカンカンを一杯に浴びないとダメ】

今春、12年苦楽を共にしたラブラドールレトリーバーが腎不全で亡くした。
その1年以上前から彼は股関節亜脱臼や変形性関節症などで
腰が立たなくなっていて、
毎日何度も私が後肢を持って、犬と一緒に歩くことをしていた。
最後の数か月は、ダダ漏れ状態で、毎日愛家の布団の洗濯。
それも介護なんだろうけど、彼がついに歩行できなくなり、
食事もとらなくなった最後の付き添いの3日間が
私流の介護だと思っている。
なので、この本はとても共感が持てる。
私は著者と違い、ペットロス症候群のドツボにはまり、
名護市の写真専門店カメラのキタムラに行って、
自動販売機みたいな写真注文機にUSBメモリーを差し込み、
デジカメ画像の中から良さそうな愛犬画像を数十枚セレクトして、
写真をプリントし、毎日何度も見てウツ状態に陥っていた。
それからほどなくして届けられたのがRIN(凛)。
RIN(凛)は体は小さいけど存在感が大きいから、
ペットロス症候群はいつの間にか消え去った。
そういえば、写真専門店の看板に書いてある「DPE」。
昔、友人に
「デタラメ、ピンボケ、イイカゲン」
の略だと聞いて信じていたけど、違うみたいだね。
【ヤクザチックな顔をしたRIN(凛)君、これでも仔犬】

この本の評価が「△」の理由は、
元気な頃のマージの記述がほとんどなく、
病魔に苦しんでいる描写ばかりで、
読み終わると、気分が凹むことはあっても
爽快な気分になることはない。
それに、マージの遺体を東大に献体して病医学に役立てようとしていたのに、
直前で思いとどまり、多磨霊園でお骨にしてしまった。
理由はマージが東大での検査などが苦痛で、
マージを連れて行く時の哀れな鳴き声などを想い出し、
「連れていかれるのを嫌がっていた東大=この世で一番嫌いな場所」
ということで中止に。
私が著者なら献体したと思う。
なので「△」評価にしたけど、
著者の犬への接し方、愛情には
「あっぱれマーク」3枚を差し上げたい。
【プロレスラー高山善廣さん】

馳星周さんは、野獣ボブ・サップが絶大な人気の頃に対戦した
日本のプロレスラー高山善廣に外見が似ている。
ボブ・サップが2002年4月、PRIDEで日本デビューすると、
次々に日本人選手を圧倒的なパワーで下し、
同年9月のK-1では、シリル・アビディにKO勝ち。
翌10月のK-1 WORLD GP2002開幕戦では、
K-1を過去3度制したアーネスト・ホーストにTKO勝ち。
この2か月後の12月初旬、K-1 WORLD GP2002、
決勝戦のGP準々決勝でアーネスト・ホーストと再戦、
ここでボブ・サップがまたしてもKO勝ち。
だけどボブ・サップが右の拳を痛めGP準決勝を棄権、
代わりに準決勝に出たホーストがその後勝ち進みK-1 GPを制覇。
ボブ・サップの評価がいよいよホンモノだと恐れられ、
2002年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2002で
プロレスラーの高山善廣と対戦。
ボブ・サップは3週間前のホーストとの戦いで右拳を痛めているので
打撃では勝負をせず、フットボールのタックルで高山選手を倒し、
腕ひしぎ十字固めでレフェリーストップによる勝ちを収めた。
ボブ・サップの対戦相手が誰になるのか、
なかなか決まらなかったと記憶している。
候補者が次々に恐れをなして対戦を断り、
高山選手が引き受けたように記憶している。
負けた高山選手は「勇気がある」と評価が急上昇したのは有名な話。
私も、それで初めて高山選手を注視するようになった。
そのこわもての高山善廣選手に著者がとてもよく似ている、と私は思っている。
人って外見では判断できないものだね。
私が何度も行った新宿のゴールデン街での著者のバイト経験や、
好感度ポイントが高い高山選手(今も現役?)に似ている著者は
親近感を覚える。
 
【作家・馳星周(はせ せいしゅう)さん、前の画像の高山選手と似てるよね?】