ハイサイ、RIN(凛)です
今日は「ウンケー」、旧盆の初日でご先祖様をお迎えする日。
大げさなくらい食材で飾りつけした仏壇に「ウートートー」(お祈りすること)して、
ご先祖様をを敬い、今を感謝する、沖縄では大切な日。
私は近所からウンケー料理を、おすそ分けして頂く、大切な日。
地井武男さんの「ちい散歩」は、
地井さんの誠実で謙虚な人柄と、ほのぼのとした温かい雰囲気でよく観ていたけど、
地井さんが亡くなり、加山雄三さんの「ゆうゆう散歩」になると、
何だか殿様が城下町を散策してるような、上から目線の生意気散歩が感じ悪くて
ほとんど観なくなった。
「関心、感動、感謝…人生の三かん王を目指して」
なんていう副題も、地井さんには合うけど、
威風堂々として謙虚さがない加山さんでは
押しつけがましくてイヤミな感じだったし、
タイトルの「ゆうゆう」は「悠々」だろうから、
このタイトルだけでも観たいという興味は失せていた。
もう78歳だから若大将ではなく老将軍で、観てても痛々しい。
加山雄三さんから、今度は高田純次さんが引き継ぐらしい。
今度は「テーゲー散歩」の予感がして、もう観ることはないだろうね。
日テレ系の「ぶらぶら・美術博物館」という番組、
本当は観たいのだけど、お笑いのおぎやはぎの無知と笑えないひと言ギャグで
腹立たしくなるので観ないことに決めている。
高田純次さんの散歩も、「おちょくり散歩」になるのが明白、
そう予想して、観たらその通りだったなんてことになったら最悪。
なので、観ないと決めた。
RIN(凛)君の散歩は、「RIN(凛)君のための散歩」でRIN(凛)君が主役。
エイブラハム・リンカーンの
「government of the people, by the people, for the people」
を、「散歩」と「RIN(凛)君」に置き換えたようなもの。
当たり前だけど、RIN(凛)君が満足できる散歩になるように、
出来るだけ配慮してあげている。
例えば、
ロープは原則として、ピ~ンと張らないように心がけている。
「ピ~ンと張る=引っ張る」
ことになり、主役は犬ではなく飼い主にあるような気がするから。
ロープを引っ張ると、何だか市中引き回しの刑を連想してしまうんだよね。
次の画像は、昨夕の出来事。
近所の養豚施設で病死した子豚の土葬が、いいかげんだと野犬やカラスが掘り返す。
RIN(凛)君は集団のカラスを追い払いたいのだけど、
行かせられないのでロープを引っ張って止めてるところ。
RIN(凛)君は猟犬なので、嗅覚や聴覚、視覚が発達しているので、
クンクン嗅ぎまわるのは当然にしても、
警察犬の捜索のように、足取りや痕跡を追うような動作をして、
前に行ったと思うと後ろに下がってみたり、見てるとけっこうせわしない。
早朝の林道は、車も人も来ないので、ロープを離す時も多いけど、
私が植物や空などを見ている、ほんの数秒の間に、RIN(凛)君の姿が見えなくなり、
あちこと、といっても幅約4mの林道の前方か後方か、というだけですけど、
もうワープ、瞬間移動したみたいに10m以上離れたところにいることも多々ある。
RIN(凛)君は、いまや片道約2km以上行かないと満足しないので、
そのお供をする私は心身とも疲れるけど、
RIN(凛)君が楽しめるようにずっと協力してあげたい。
「ちい散歩」の地井さんは、散歩自体を楽しみ、
そこで新たな発見や人々との触れ合いを楽しんでいたように、
好奇心や探求心が旺盛なRIN(凛)君にも、
いろいろな出会いや発見、一期一会を体験してほしいのです。
昔話・桃太郎でいえば、犬、サル、キジをお供にして鬼退治に行ったけど、
RIN(凛)君の悠々散歩では、RIN(凛)君が主役の桃太郎で私が家来というか、
私は随行員、付添い人、お供、ガイドみたいな立場。
これはコーヒー栽培でも同じこと。
コーヒーを栽培する人が主役ではなくて、主役はコーヒー。
コーヒーは栽培作物なので、人が介在しないとうまく育たない果樹。
管理という名のもとに、生産者がコーヒーを支配するのではなくて、
「コーヒーが元気に生育するお手伝いを人がするのが生産者」
というのが私の考え方。
元気に育ちたいコーヒーにとって、人はどうでもいい存在。
であるなら、うっとうしくならない存在の裏方に徹しないといけないはずだし、
過保護にしてもいけないはず。
主従の関係で、主がコーヒーだけど、従はただ従うだけでなく、
時には主に厳しい意見を言うのも義務のはず。
主君に対して裏表の無い態度を意味する概念、儒教の「忠」みたいなもの。
コーヒーが元気に生育し、花を咲かせ、実を付けるのは、子孫を増やすため。
なので「恵み」という形でありがたく頂かないと、コーヒーに申し訳ない。
RIN(凛)君は縁あって家族になったのだから、相利共生を目指したい。
RIN(凛)君は奴隷ではなく、純然たる家族の一員。
なのでRIN(凛)君の悠々散歩は、RIN(凛)君が主役。
それはいいんだけど、目に余るのは彼の、良い意味でいえばヤンチャ。
実体はムチャクチャなところが多々あるヤな性格。
室内の8畳間は、スペアの網戸を横にしてバリケード化して部屋を半分に仕切り、
RIN(凛)君の侵入を阻んでいる。
そこで洗濯物を干している。
RIN(凛)君のジャンプ力も日々向上しているので、高さ160cmあたりまでは
楽々飛びついて咥えて落とし、獲物を捕ったように室内を走り回る。
樹脂系のハンガーなんか、彼にとってはバリバリ破壊するおもちゃでしかない。
彼の食事中や、遊んでいるおもちゃ類に手を伸ばそうとすると、
「ガーッ!!」
と、唸り声を上げて、鼻にシワをよせて、
狼のような怒りの表情で瞬間的に咬もうとする。
けっこう怖いよ。
琉球犬の種の保存活動をされている新垣先生も、
犬の前脚を触ろうとして右手を咬まれ「、17針も縫った」と言われていた。
琉球犬って猟犬だし、そういう習性なんだろうね。
そういった彼の個性は尊重して、無理に直さず、
同時にRIN(凛)君も私との共同生活の、
最低限度のモラルやルールに合わせないといけない。
そのへんはお互い様だよね。
RIN(凛)君の名誉のために言っとくけど、
RIN(凛)君は24時間ムチャクチャじゃない。
常時ムチャクチャだったら、キチガイさ。
RIN(凛)君の狂気の時間は、食事の前後、就寝前の、延べ60分前後。
ムチャクチャになるには理由があるはず。
「雨天で散歩が十分に出来なかった」
「お腹が空いた」
「好みの食事じゃなかった」
などの不満だけでなく、
嬉しいとか眠い、というのも該当しているらしい。
人間の赤ちゃんは「泣くのが仕事」。
「おっぱい(ミルク)、寝んね、抱っこ、そそう(おむつ替え)、甘えたい…」
いろんな訴えごとを泣いて親に知らせる。
つまり、泣くのは合図。
こう考えると、RIN(凛)君がムチャクチャ王子とか
クラッシャー王子にに変身するのも、
何か理由があるからで、
「どうしたの?何が気に入らないの?」
と、ご機嫌をとろうとしたり、無視したり、
いろいろ試みるのだけど、RIN(凛)君の暴虐無道ぶりは増すばかり。
ふだんは、「叱ると怒るは違う」なんてへ理屈を垂れる私でも
さすがにブチ切れて、私も激昂仮面に変身して、
「RINTA!(=RIN太)、いいかげんにして!!!」
と怒鳴りつける。
月光仮面は正義の味方なんだけど…。
RIN(凛)君が暴君に変身し、私が激昂仮面に変身…、
この構図、なんかバカバカしいよね。幼稚すぎるさ。
後で冷静になって考えると、
「私はやっぱりRIN(凛)君に試されてるのかな?」
「私は人として、まだまだ不十分、未熟者」
と落ち込む。
正月生まれのRIN(凛)君も、今月末で満8か月目。
先はまだまだ長いけど、信頼関係は確実に深くなっている。
今日の題の
「Hey!Time for walkies!Walky time!」
は、明け方にRIN(凛)君が私に言う言葉。
といっても、RIN(凛)君は日本語が話せないので、
私を叩き起こすのだけど、私にはそう聞こえてるよ。
「ヒュルリ~、ヒュルリララ~
ついておいでと 啼(な)いてます」
森昌子さんの「越冬つばめ」の歌詞。
啼(な)いているのはRIN(凛)君?私?

今日は「ウンケー」、旧盆の初日でご先祖様をお迎えする日。
大げさなくらい食材で飾りつけした仏壇に「ウートートー」(お祈りすること)して、
ご先祖様をを敬い、今を感謝する、沖縄では大切な日。
私は近所からウンケー料理を、おすそ分けして頂く、大切な日。
地井武男さんの「ちい散歩」は、
地井さんの誠実で謙虚な人柄と、ほのぼのとした温かい雰囲気でよく観ていたけど、
地井さんが亡くなり、加山雄三さんの「ゆうゆう散歩」になると、
何だか殿様が城下町を散策してるような、上から目線の生意気散歩が感じ悪くて
ほとんど観なくなった。
「関心、感動、感謝…人生の三かん王を目指して」
なんていう副題も、地井さんには合うけど、
威風堂々として謙虚さがない加山さんでは
押しつけがましくてイヤミな感じだったし、
タイトルの「ゆうゆう」は「悠々」だろうから、
このタイトルだけでも観たいという興味は失せていた。
もう78歳だから若大将ではなく老将軍で、観てても痛々しい。
加山雄三さんから、今度は高田純次さんが引き継ぐらしい。
今度は「テーゲー散歩」の予感がして、もう観ることはないだろうね。
日テレ系の「ぶらぶら・美術博物館」という番組、
本当は観たいのだけど、お笑いのおぎやはぎの無知と笑えないひと言ギャグで
腹立たしくなるので観ないことに決めている。
高田純次さんの散歩も、「おちょくり散歩」になるのが明白、
そう予想して、観たらその通りだったなんてことになったら最悪。
なので、観ないと決めた。
RIN(凛)君の散歩は、「RIN(凛)君のための散歩」でRIN(凛)君が主役。
エイブラハム・リンカーンの
「government of the people, by the people, for the people」
を、「散歩」と「RIN(凛)君」に置き換えたようなもの。
当たり前だけど、RIN(凛)君が満足できる散歩になるように、
出来るだけ配慮してあげている。
例えば、
ロープは原則として、ピ~ンと張らないように心がけている。
「ピ~ンと張る=引っ張る」
ことになり、主役は犬ではなく飼い主にあるような気がするから。
ロープを引っ張ると、何だか市中引き回しの刑を連想してしまうんだよね。
次の画像は、昨夕の出来事。
近所の養豚施設で病死した子豚の土葬が、いいかげんだと野犬やカラスが掘り返す。
RIN(凛)君は集団のカラスを追い払いたいのだけど、
行かせられないのでロープを引っ張って止めてるところ。
RIN(凛)君は猟犬なので、嗅覚や聴覚、視覚が発達しているので、
クンクン嗅ぎまわるのは当然にしても、
警察犬の捜索のように、足取りや痕跡を追うような動作をして、
前に行ったと思うと後ろに下がってみたり、見てるとけっこうせわしない。
早朝の林道は、車も人も来ないので、ロープを離す時も多いけど、
私が植物や空などを見ている、ほんの数秒の間に、RIN(凛)君の姿が見えなくなり、
あちこと、といっても幅約4mの林道の前方か後方か、というだけですけど、
もうワープ、瞬間移動したみたいに10m以上離れたところにいることも多々ある。
RIN(凛)君は、いまや片道約2km以上行かないと満足しないので、
そのお供をする私は心身とも疲れるけど、
RIN(凛)君が楽しめるようにずっと協力してあげたい。
「ちい散歩」の地井さんは、散歩自体を楽しみ、
そこで新たな発見や人々との触れ合いを楽しんでいたように、
好奇心や探求心が旺盛なRIN(凛)君にも、
いろいろな出会いや発見、一期一会を体験してほしいのです。
昔話・桃太郎でいえば、犬、サル、キジをお供にして鬼退治に行ったけど、
RIN(凛)君の悠々散歩では、RIN(凛)君が主役の桃太郎で私が家来というか、
私は随行員、付添い人、お供、ガイドみたいな立場。
これはコーヒー栽培でも同じこと。
コーヒーを栽培する人が主役ではなくて、主役はコーヒー。
コーヒーは栽培作物なので、人が介在しないとうまく育たない果樹。
管理という名のもとに、生産者がコーヒーを支配するのではなくて、
「コーヒーが元気に生育するお手伝いを人がするのが生産者」
というのが私の考え方。
元気に育ちたいコーヒーにとって、人はどうでもいい存在。
であるなら、うっとうしくならない存在の裏方に徹しないといけないはずだし、
過保護にしてもいけないはず。
主従の関係で、主がコーヒーだけど、従はただ従うだけでなく、
時には主に厳しい意見を言うのも義務のはず。
主君に対して裏表の無い態度を意味する概念、儒教の「忠」みたいなもの。
コーヒーが元気に生育し、花を咲かせ、実を付けるのは、子孫を増やすため。
なので「恵み」という形でありがたく頂かないと、コーヒーに申し訳ない。
RIN(凛)君は縁あって家族になったのだから、相利共生を目指したい。
RIN(凛)君は奴隷ではなく、純然たる家族の一員。
なのでRIN(凛)君の悠々散歩は、RIN(凛)君が主役。
それはいいんだけど、目に余るのは彼の、良い意味でいえばヤンチャ。
実体はムチャクチャなところが多々あるヤな性格。
室内の8畳間は、スペアの網戸を横にしてバリケード化して部屋を半分に仕切り、
RIN(凛)君の侵入を阻んでいる。
そこで洗濯物を干している。
RIN(凛)君のジャンプ力も日々向上しているので、高さ160cmあたりまでは
楽々飛びついて咥えて落とし、獲物を捕ったように室内を走り回る。
樹脂系のハンガーなんか、彼にとってはバリバリ破壊するおもちゃでしかない。
彼の食事中や、遊んでいるおもちゃ類に手を伸ばそうとすると、
「ガーッ!!」
と、唸り声を上げて、鼻にシワをよせて、
狼のような怒りの表情で瞬間的に咬もうとする。
けっこう怖いよ。
琉球犬の種の保存活動をされている新垣先生も、
犬の前脚を触ろうとして右手を咬まれ「、17針も縫った」と言われていた。
琉球犬って猟犬だし、そういう習性なんだろうね。
そういった彼の個性は尊重して、無理に直さず、
同時にRIN(凛)君も私との共同生活の、
最低限度のモラルやルールに合わせないといけない。
そのへんはお互い様だよね。
RIN(凛)君の名誉のために言っとくけど、
RIN(凛)君は24時間ムチャクチャじゃない。
常時ムチャクチャだったら、キチガイさ。
RIN(凛)君の狂気の時間は、食事の前後、就寝前の、延べ60分前後。
ムチャクチャになるには理由があるはず。
「雨天で散歩が十分に出来なかった」
「お腹が空いた」
「好みの食事じゃなかった」
などの不満だけでなく、
嬉しいとか眠い、というのも該当しているらしい。
人間の赤ちゃんは「泣くのが仕事」。
「おっぱい(ミルク)、寝んね、抱っこ、そそう(おむつ替え)、甘えたい…」
いろんな訴えごとを泣いて親に知らせる。
つまり、泣くのは合図。
こう考えると、RIN(凛)君がムチャクチャ王子とか
クラッシャー王子にに変身するのも、
何か理由があるからで、
「どうしたの?何が気に入らないの?」
と、ご機嫌をとろうとしたり、無視したり、
いろいろ試みるのだけど、RIN(凛)君の暴虐無道ぶりは増すばかり。
ふだんは、「叱ると怒るは違う」なんてへ理屈を垂れる私でも
さすがにブチ切れて、私も激昂仮面に変身して、
「RINTA!(=RIN太)、いいかげんにして!!!」
と怒鳴りつける。
月光仮面は正義の味方なんだけど…。
RIN(凛)君が暴君に変身し、私が激昂仮面に変身…、
この構図、なんかバカバカしいよね。幼稚すぎるさ。
後で冷静になって考えると、
「私はやっぱりRIN(凛)君に試されてるのかな?」
「私は人として、まだまだ不十分、未熟者」
と落ち込む。
正月生まれのRIN(凛)君も、今月末で満8か月目。
先はまだまだ長いけど、信頼関係は確実に深くなっている。
今日の題の
「Hey!Time for walkies!Walky time!」
は、明け方にRIN(凛)君が私に言う言葉。
といっても、RIN(凛)君は日本語が話せないので、
私を叩き起こすのだけど、私にはそう聞こえてるよ。
「ヒュルリ~、ヒュルリララ~
ついておいでと 啼(な)いてます」
森昌子さんの「越冬つばめ」の歌詞。
啼(な)いているのはRIN(凛)君?私?