ハイサイ、RIN(凛)です
今日は、ヘビの話題なので、ヘビが苦手の方は、ここでスルーして下さいね~。
私はヘビが好きではないし、嫌いでもない。
自然保護や動物愛護に傾倒しているわけでもありません。
「東洋のガラパゴス」といわれる山原(やんばる)に住んでいれば、
人に会うより、圧倒的に自然界の動物と会う方が多い。
ヘビでもオオムカデでも、私でもRIN(凛)君でも、野鳥でも、蝶でも…、
共に相互関係を持ちながら、共に理解しあい、共に幸せに暮らしたい、
不可侵条約みたいな、お互いの生活圏に踏み入れないような、
理想論でいえば「共存共栄」みたいな、
そういう生活をしたい、というより、望む望まないに関係なく、
山原(やんばる)に住むのであれば、そういう生活を目指さざるを得ないのです。
「鏡よ鏡、この国でいちばん美しいのはだれ?」
と魔法の鏡に聞いたのは、白雪姫の継母(王妃)ですが、
鏡を見て、笑うと、鏡の中の自分も笑い、
プンプン怒っていると、鏡の中の自分も怒っている、
当たり前ですよね。
日常の生活の中では、これと同じようなことが起こっているように思えるのです。
私が楽しそうにすれば、相手も楽しいはずですし、
私が怒っていれば、相手もイヤな感じになる。
自分が相手にした感情が、相手に伝播し、
今度は相手から自分に、鏡のようにそのまま返ってくるような気がするのです。
だとするなら、ヘビでもオオムカデでも、遭遇したときに
「うわ~、イヤだ、気持ち悪い~」
と思うと、ヘビやオオムカデも私に対して、
同様な嫌気(けんき)感情、敵対感情が生まれるんじゃないかな、と。
ハブは猛毒があることで忌み嫌われていて、
近所の方々は、
「ハブは見つけ次第、殺す。生きものを殺すのはイヤだけど、
殺さないで見逃すと、部落の他の人が咬まれるかもしれない。
ヘビを殺さないなんて、ナイチャーはお人よしさ~ね~」
と、私にイヤミを言うのですが、
そういう殺意オーラが、ハブに瞬時に伝わり、
ハブが攻撃態勢に入って咬みつかれる、と思うのです。
たしかに楽天的な考え方かもしれません。
今や、ヘビ発見機のRIN(凛)君がいるから安心ですが、
RIN(凛)君が我が家に来る以前、というか今もそうですが、
ヘビがいると何となく感じるところがあるのです。
「ここに居るから、気を付けてね」
というようなオーラを。
山原(やんばる)に来る前は、本島南部の南風原(はえばる)町に住んでいて、
そこで約300坪の農地を借りて、コーヒーやバナナなどを植えていました。
ある日の夕方、一心不乱にバナナの子株堀りをしていて、
何本か子株を掘り出して、一息つこうと思ったら、
私のすぐ近くを、2m超級のハブが、ゆっくりと動いて、
私は恐怖で鳥肌が立ったのですが、
後から考えると、巨大なハブは、私が作業する間、
じっと草陰で見ながら様子を伺っていたと思うのです。
私はハブに気づいていないのですから、ハブは攻撃しようと思えば出来たはずです。
ハブは、私が危険人物かどうかを伺っていたと思うのです。
私の横を通り過ぎるハブが姿を見せたのは、
「ここに居たんだよ」
と示すことで、
「次は、少し気を付けてね」
ということだったんじゃないかな、と。
数年前のテレビ番組でハブが取り上げられていて、
「動かなければハブは襲わない」
という実験をしていたのを観たことがあります。
イカ釣り漁船で使うような、胸までカバーする長靴みたいなの、ありますよね。
司会者にそれを着用させて、司会者を、故意に動かせてハブを離すと、
ハブは司会者の腰のあたりの高さに飛んできました。
司会者の手前1mくらいのところでとぐろを巻き、頭をS字にさせて、
避けられない速さで、口を270度に開けて飛んでくるのです。
口を大きく開けて、口がどこかに触れた瞬間に
そこをガブリと強烈に咬みつくのだそうです。
司会者は恐怖で、終始ギャーギャー叫んで、冷静さを欠き、うろたえていました。
死ぬかもしれない、でも番組を壊したくない、
そういう恐怖と責任感が痛いくらい伝わりました。
次に、司会者が直立して動かず、そこにハブを離すと、
ハブは温度センサーの舌を出して、人間像をキャッチ、
だけど司会者が動かないので、ハブは攻撃態勢に入らず、
悠々と、半泣き司会者の脇を通過して行ったのです。
私の場合も、これと同じような現象だったんじゃないかな、と。
ハブが人間をキャッチすると、自分より明らかに巨大な動物なので、
戦うと、ヘタすると自分が死ぬかもしれない。
であるなら、まずは避けたい。
だけど、相手が攻撃態勢にあるなら、専守防衛というか正当防衛で
身を守らないといけない。
そういうことなんじゃないかな、と。
私は過去、何度もヘビと至近距離で遭遇していますが、
とぐろを巻かれて攻撃態勢に入ったヘビはいません。いたら困るけどね~。
「東洋のガラパゴス」といわれる山原(やんばる)では、
生きるために必要最小限の生物は殺生しなければなりませんが、
それは恵みとして感謝して、それ以外の殺生は避けるのがルールだと思うのです。
このブロックを積み上げたオブジェは、芸術作品ではなくて燃焼炉です。
ここでは燃やすのは、
古新聞と月桃(げっとう、沖縄方言ではサンニン)などの薬草です。
要するに、夕方に大量に出てくる蚊やハエ、蛾などに対する忌避効果を目的にした、
巨大な蚊取り線香、香炉なのです。
本土では桜餅があり、桜の葉に殺菌効果があり、
また芳香と血液さらさら作用があるクマリン成分もあり、
昔から桜の葉が使われていますが、
沖縄では、それが月桃なのです。
沖縄では、旧暦の12月8日(例年新暦の1月下旬から2月上旬頃、今年は1月27日)に、
健康長寿の祈願のための縁起物として「鬼餅(ムーチー)」を食べる風習がありますが、
その「鬼餅(ムーチー)」を、月桃の葉でくるみ、蒸すのですが、
沖縄の厄除けソウルフードなのです。
月桃の効能は、
「抗菌・殺菌・消臭・防虫・健胃 ・血圧降下・血糖値降下・去痰…」
など幅広く、
冷蔵庫内の脱臭剤としてヤシ殻活性炭が登場する前は、
沖縄では月桃の葉を冷蔵庫内の棚に入れていたそうです。
また、タンスの虫除けでは、ナフタリンとか「タンスにゴン」とかいろいろありますが、
沖縄では月桃の葉を入れて防虫していました。
1972年に沖縄が返還される前、米軍基地内の機密書類の棚でも
月桃の葉を入れていたようですから、それなりの効果があるということでしょう。
昨夕、ブロックによる簡易焼却炉兼香炉に、古新聞と半乾燥の月桃を入れていたら、
RIN(凛)君が「Wooo…」と警戒態勢に入ったので、
炉の反対側を見ると、子ハブが休憩中だったのです。
蚊やハエ、蛾などの忌避が目的であるなら、なぜ蚊取り線香や電気蚊取り、
エアゾール式殺虫剤など文明の利器を使わないのかというと、
これらは農薬由来製品だからです。
私は有機農法や自然農法主義で、農薬、除草剤、化成肥料は使わない。
食器や洗濯の洗剤も、合成洗剤は使いません。
以前は、蚊取り線香は使ったことがありますが、
農薬由来なので、灰を畑に撒けない。そうなると面倒。
なので、薬草をいぶして煙を出して蚊やハエ、蛾などを追い払うという
縄文時代や弥生時代さながらの生活様式になってしまうのです。
朝日と共に起き、陽が暮れたら寝るという生活が出来れば、
「もう電気もいらんわ!」
と覚悟を決められるのですが、
それは、もうちょっと先のことですね。
この子ハブは、木の枝で、菜園に降ろしてあげました。
最近は、
「ヘビは気味悪い」
なんて、忌み嫌う人が多いけど、ヘビはいつ頃から嫌われてしまったのかな?
脱皮を繰り返すことから「長寿」「再生力」の象徴、
ネズミなど害獣を食べることから「豊穣」「魔除け」の象徴、
マムシなどの毒で、敵を一撃のもとに倒す「不敵」の象徴…、
それらが崇拝、畏怖(いふ)となり、
縄文時代には、ヘビは信仰の対象になっていたのに、
「古事記」「日本書紀」「 万葉集」など
現存最古の史書・文学が登場した奈良時代には、
ヘビは退治される存在に成り下がっています。
なんでかね~?
スサノオの八岐大蛇【ヤマタノオロチ)退治は、
弥生時代か、古墳時代に入って来た渡来人が、
「ヘビ信仰の縄文人の子孫をやっつける」
という説を唱える学者もいますが…。
それでも、縄文時代のヘビ信仰が、
綿々と現在までつながっているのは、
神社の拝殿や神木、各家庭の神棚などに掲げられている「しめ縄」。
それは「ヘビ」で、ヘビの交尾を表し、
神聖・清浄な場所を区切るために張られる結界だというのです。
その起源は、古事記に
「天照大神が須佐之男命(スサノオノミコト)の乱暴を畏(おそ)れ、
天石屋戸に隠れた時、この天石屋戸(あめいはやと)のまえで
天宇受売命(アメノウズメノミコト)らの神々が賑やかな宴を催した。
これを怪しんだ天照大神が覗いたところ、
傍に隠れていた天手力男(アメノタヂカラオ)神がその手をとり
天石屋戸から引き出だした。
そして布刀玉命(フトダマノミコト)が尻久米縄(しりくめなわ)を
その後ろへ張り渡し「ここより内に戻れませぬぞ」と告げた」
と書かれていますが、
その「尻久米縄(しりくめなわ)」とは、
わらの縄を引き渡して,入ることを禁じるしるしとしたもの。
神社の御神木に、わらの縄が巻いてあったりしますが、
それも「尻久米縄(しりくめなわ)」で、
後世の「しめ縄」になっているのです。
また、ヘビがトグトを巻いた形から、円錐形の姿をした山が信仰の対象になったり、
ヘビは古代に「カカ」と呼ばれ、鏡餅(カガミ餅)はヘビのトグロであり、
鏡(カガミ)はヘビの目だというのです。
田を守る「案山子(かかし)」も、ヘビからきている、という説もあるのです。
(関西に多い丸餅はヘビの卵の造型らしい)
また、沖縄では、ヘビの抜け殻が「金運、長寿」として
財布に入れるなどの風習があります。
「ヘビは苦手」
とか
「うわ~、イヤだ、気持ち悪い~」
とか言ってる人も、お正月には実家の神棚や初詣で神社に行って、
ヘビに向かって祈願をしていることになる。
お正月の「しめ縄」や「鏡餅」などの縁起物は、
実は「ヘビモチーフ」ということになるわけさ~ね~。
なので、古代蛇信仰の残る国「日本」は「蛇パン」なんでしょうかね~?
明日から、ヘビを見かけたら二拝二拍手一拝しないと!
6月2日の樹上の子ハブも金ハブだったけど、
6月28日の子ハブの方が体長が短いので、兄弟ではなさそう。
ハブの出産は梅雨前後で、5~8匹は孵化するはずさ。
孵化直後で体長約40cm、成長途中でカラスなどの攻撃に遭うので、
1年後の生存率は3割くらいかな、半数以上は生き残れないはず。
ハブ研究家によると、
「目撃数の5倍が、ニアミス数」
という。
だとすると、今年の目撃数は5回、
ということは、ニアミスが25回もあったことになるさ~ね~。
我が家の庭付近には、ハブを含めてヘビがうようよ。
それだけ、カエルやネズミがいるってことです。
でも、ヘビは基本的に、人をキャッチすると先に逃げていく。
なので、ヘビは多いはずだけど、遭遇は少ない。
仲良くは出来ないけど、共存を目指すしかないさ~。

今日は、ヘビの話題なので、ヘビが苦手の方は、ここでスルーして下さいね~。
私はヘビが好きではないし、嫌いでもない。
自然保護や動物愛護に傾倒しているわけでもありません。
「東洋のガラパゴス」といわれる山原(やんばる)に住んでいれば、
人に会うより、圧倒的に自然界の動物と会う方が多い。
ヘビでもオオムカデでも、私でもRIN(凛)君でも、野鳥でも、蝶でも…、
共に相互関係を持ちながら、共に理解しあい、共に幸せに暮らしたい、
不可侵条約みたいな、お互いの生活圏に踏み入れないような、
理想論でいえば「共存共栄」みたいな、
そういう生活をしたい、というより、望む望まないに関係なく、
山原(やんばる)に住むのであれば、そういう生活を目指さざるを得ないのです。
「鏡よ鏡、この国でいちばん美しいのはだれ?」
と魔法の鏡に聞いたのは、白雪姫の継母(王妃)ですが、
鏡を見て、笑うと、鏡の中の自分も笑い、
プンプン怒っていると、鏡の中の自分も怒っている、
当たり前ですよね。
日常の生活の中では、これと同じようなことが起こっているように思えるのです。
私が楽しそうにすれば、相手も楽しいはずですし、
私が怒っていれば、相手もイヤな感じになる。
自分が相手にした感情が、相手に伝播し、
今度は相手から自分に、鏡のようにそのまま返ってくるような気がするのです。
だとするなら、ヘビでもオオムカデでも、遭遇したときに
「うわ~、イヤだ、気持ち悪い~」
と思うと、ヘビやオオムカデも私に対して、
同様な嫌気(けんき)感情、敵対感情が生まれるんじゃないかな、と。
ハブは猛毒があることで忌み嫌われていて、
近所の方々は、
「ハブは見つけ次第、殺す。生きものを殺すのはイヤだけど、
殺さないで見逃すと、部落の他の人が咬まれるかもしれない。
ヘビを殺さないなんて、ナイチャーはお人よしさ~ね~」
と、私にイヤミを言うのですが、
そういう殺意オーラが、ハブに瞬時に伝わり、
ハブが攻撃態勢に入って咬みつかれる、と思うのです。
たしかに楽天的な考え方かもしれません。
今や、ヘビ発見機のRIN(凛)君がいるから安心ですが、
RIN(凛)君が我が家に来る以前、というか今もそうですが、
ヘビがいると何となく感じるところがあるのです。
「ここに居るから、気を付けてね」
というようなオーラを。
山原(やんばる)に来る前は、本島南部の南風原(はえばる)町に住んでいて、
そこで約300坪の農地を借りて、コーヒーやバナナなどを植えていました。
ある日の夕方、一心不乱にバナナの子株堀りをしていて、
何本か子株を掘り出して、一息つこうと思ったら、
私のすぐ近くを、2m超級のハブが、ゆっくりと動いて、
私は恐怖で鳥肌が立ったのですが、
後から考えると、巨大なハブは、私が作業する間、
じっと草陰で見ながら様子を伺っていたと思うのです。
私はハブに気づいていないのですから、ハブは攻撃しようと思えば出来たはずです。
ハブは、私が危険人物かどうかを伺っていたと思うのです。
私の横を通り過ぎるハブが姿を見せたのは、
「ここに居たんだよ」
と示すことで、
「次は、少し気を付けてね」
ということだったんじゃないかな、と。
数年前のテレビ番組でハブが取り上げられていて、
「動かなければハブは襲わない」
という実験をしていたのを観たことがあります。
イカ釣り漁船で使うような、胸までカバーする長靴みたいなの、ありますよね。
司会者にそれを着用させて、司会者を、故意に動かせてハブを離すと、
ハブは司会者の腰のあたりの高さに飛んできました。
司会者の手前1mくらいのところでとぐろを巻き、頭をS字にさせて、
避けられない速さで、口を270度に開けて飛んでくるのです。
口を大きく開けて、口がどこかに触れた瞬間に
そこをガブリと強烈に咬みつくのだそうです。
司会者は恐怖で、終始ギャーギャー叫んで、冷静さを欠き、うろたえていました。
死ぬかもしれない、でも番組を壊したくない、
そういう恐怖と責任感が痛いくらい伝わりました。
次に、司会者が直立して動かず、そこにハブを離すと、
ハブは温度センサーの舌を出して、人間像をキャッチ、
だけど司会者が動かないので、ハブは攻撃態勢に入らず、
悠々と、半泣き司会者の脇を通過して行ったのです。
私の場合も、これと同じような現象だったんじゃないかな、と。
ハブが人間をキャッチすると、自分より明らかに巨大な動物なので、
戦うと、ヘタすると自分が死ぬかもしれない。
であるなら、まずは避けたい。
だけど、相手が攻撃態勢にあるなら、専守防衛というか正当防衛で
身を守らないといけない。
そういうことなんじゃないかな、と。
私は過去、何度もヘビと至近距離で遭遇していますが、
とぐろを巻かれて攻撃態勢に入ったヘビはいません。いたら困るけどね~。
「東洋のガラパゴス」といわれる山原(やんばる)では、
生きるために必要最小限の生物は殺生しなければなりませんが、
それは恵みとして感謝して、それ以外の殺生は避けるのがルールだと思うのです。
このブロックを積み上げたオブジェは、芸術作品ではなくて燃焼炉です。
ここでは燃やすのは、
古新聞と月桃(げっとう、沖縄方言ではサンニン)などの薬草です。
要するに、夕方に大量に出てくる蚊やハエ、蛾などに対する忌避効果を目的にした、
巨大な蚊取り線香、香炉なのです。
本土では桜餅があり、桜の葉に殺菌効果があり、
また芳香と血液さらさら作用があるクマリン成分もあり、
昔から桜の葉が使われていますが、
沖縄では、それが月桃なのです。
沖縄では、旧暦の12月8日(例年新暦の1月下旬から2月上旬頃、今年は1月27日)に、
健康長寿の祈願のための縁起物として「鬼餅(ムーチー)」を食べる風習がありますが、
その「鬼餅(ムーチー)」を、月桃の葉でくるみ、蒸すのですが、
沖縄の厄除けソウルフードなのです。
月桃の効能は、
「抗菌・殺菌・消臭・防虫・健胃 ・血圧降下・血糖値降下・去痰…」
など幅広く、
冷蔵庫内の脱臭剤としてヤシ殻活性炭が登場する前は、
沖縄では月桃の葉を冷蔵庫内の棚に入れていたそうです。
また、タンスの虫除けでは、ナフタリンとか「タンスにゴン」とかいろいろありますが、
沖縄では月桃の葉を入れて防虫していました。
1972年に沖縄が返還される前、米軍基地内の機密書類の棚でも
月桃の葉を入れていたようですから、それなりの効果があるということでしょう。
昨夕、ブロックによる簡易焼却炉兼香炉に、古新聞と半乾燥の月桃を入れていたら、
RIN(凛)君が「Wooo…」と警戒態勢に入ったので、
炉の反対側を見ると、子ハブが休憩中だったのです。
蚊やハエ、蛾などの忌避が目的であるなら、なぜ蚊取り線香や電気蚊取り、
エアゾール式殺虫剤など文明の利器を使わないのかというと、
これらは農薬由来製品だからです。
私は有機農法や自然農法主義で、農薬、除草剤、化成肥料は使わない。
食器や洗濯の洗剤も、合成洗剤は使いません。
以前は、蚊取り線香は使ったことがありますが、
農薬由来なので、灰を畑に撒けない。そうなると面倒。
なので、薬草をいぶして煙を出して蚊やハエ、蛾などを追い払うという
縄文時代や弥生時代さながらの生活様式になってしまうのです。
朝日と共に起き、陽が暮れたら寝るという生活が出来れば、
「もう電気もいらんわ!」
と覚悟を決められるのですが、
それは、もうちょっと先のことですね。
この子ハブは、木の枝で、菜園に降ろしてあげました。
最近は、
「ヘビは気味悪い」
なんて、忌み嫌う人が多いけど、ヘビはいつ頃から嫌われてしまったのかな?
脱皮を繰り返すことから「長寿」「再生力」の象徴、
ネズミなど害獣を食べることから「豊穣」「魔除け」の象徴、
マムシなどの毒で、敵を一撃のもとに倒す「不敵」の象徴…、
それらが崇拝、畏怖(いふ)となり、
縄文時代には、ヘビは信仰の対象になっていたのに、
「古事記」「日本書紀」「 万葉集」など
現存最古の史書・文学が登場した奈良時代には、
ヘビは退治される存在に成り下がっています。
なんでかね~?
スサノオの八岐大蛇【ヤマタノオロチ)退治は、
弥生時代か、古墳時代に入って来た渡来人が、
「ヘビ信仰の縄文人の子孫をやっつける」
という説を唱える学者もいますが…。
それでも、縄文時代のヘビ信仰が、
綿々と現在までつながっているのは、
神社の拝殿や神木、各家庭の神棚などに掲げられている「しめ縄」。
それは「ヘビ」で、ヘビの交尾を表し、
神聖・清浄な場所を区切るために張られる結界だというのです。
その起源は、古事記に
「天照大神が須佐之男命(スサノオノミコト)の乱暴を畏(おそ)れ、
天石屋戸に隠れた時、この天石屋戸(あめいはやと)のまえで
天宇受売命(アメノウズメノミコト)らの神々が賑やかな宴を催した。
これを怪しんだ天照大神が覗いたところ、
傍に隠れていた天手力男(アメノタヂカラオ)神がその手をとり
天石屋戸から引き出だした。
そして布刀玉命(フトダマノミコト)が尻久米縄(しりくめなわ)を
その後ろへ張り渡し「ここより内に戻れませぬぞ」と告げた」
と書かれていますが、
その「尻久米縄(しりくめなわ)」とは、
わらの縄を引き渡して,入ることを禁じるしるしとしたもの。
神社の御神木に、わらの縄が巻いてあったりしますが、
それも「尻久米縄(しりくめなわ)」で、
後世の「しめ縄」になっているのです。
また、ヘビがトグトを巻いた形から、円錐形の姿をした山が信仰の対象になったり、
ヘビは古代に「カカ」と呼ばれ、鏡餅(カガミ餅)はヘビのトグロであり、
鏡(カガミ)はヘビの目だというのです。
田を守る「案山子(かかし)」も、ヘビからきている、という説もあるのです。
(関西に多い丸餅はヘビの卵の造型らしい)
また、沖縄では、ヘビの抜け殻が「金運、長寿」として
財布に入れるなどの風習があります。
「ヘビは苦手」
とか
「うわ~、イヤだ、気持ち悪い~」
とか言ってる人も、お正月には実家の神棚や初詣で神社に行って、
ヘビに向かって祈願をしていることになる。
お正月の「しめ縄」や「鏡餅」などの縁起物は、
実は「ヘビモチーフ」ということになるわけさ~ね~。
なので、古代蛇信仰の残る国「日本」は「蛇パン」なんでしょうかね~?
明日から、ヘビを見かけたら二拝二拍手一拝しないと!
前回6月2日のヘビの記事
(前半)RIN(凛)君が、次々にヘビを発見するんだけど、それがなにか!?
(後半)RIN(凛)君が、次々にヘビを発見するんだけど、それがなにか!?
6月2日の樹上の子ハブも金ハブだったけど、
6月28日の子ハブの方が体長が短いので、兄弟ではなさそう。
ハブの出産は梅雨前後で、5~8匹は孵化するはずさ。
孵化直後で体長約40cm、成長途中でカラスなどの攻撃に遭うので、
1年後の生存率は3割くらいかな、半数以上は生き残れないはず。
ハブ研究家によると、
「目撃数の5倍が、ニアミス数」
という。
だとすると、今年の目撃数は5回、
ということは、ニアミスが25回もあったことになるさ~ね~。
我が家の庭付近には、ハブを含めてヘビがうようよ。
それだけ、カエルやネズミがいるってことです。
でも、ヘビは基本的に、人をキャッチすると先に逃げていく。
なので、ヘビは多いはずだけど、遭遇は少ない。
仲良くは出来ないけど、共存を目指すしかないさ~。