ハイサイ、RIN(凛)です
カニやヤドカリって、私が子供の頃から
「海が引き潮になった磯で見るもの」
という固定観念に凝り固まっていたことで、
我が家の庭やバナナ園で、カニやヤドカリを時々見かけては、
「海から直線距離で1kmも離れているし、海抜約80mもあるのに、
どうやって海からここまで来たんだろう?」
と、つい最近まで不思議に思っていたのです。。。
先週5月16日(土曜)に
「カニさんトンネルに行ってきました!けど、少しガッカリさ~!」
というお話をしましたが、
その「カニさんトンネルについて」という石標を見て、
我が家の庭やバナナ園で見かけるカニやヤドカリが陸生なんだと、
初めて知り、その疑問がやっと解けたのです。
「陸生のオカヤドカリだったのか、しかも国の天然記念物だったなんて…」
って。
ふつう、カニやヤドカリが陸にいるなんて思わないさ~。
でも、よく考えると、山原(やんばる)、というよりも、
バナナ園には国と県の天然記念物指定で絶滅危惧種の
「リュウキュウヤマガメ」という陸ガメがいますから、
陸生のオカガニやオカヤドカリがいたって、
ちっとも不思議じゃないのかもしれないけど、
長い間の思い込み、固定観念が邪魔して、
「庭や畑にカニやヤドカリがいる」
というのは、なんかちょっと変な気分になりますね。
こんな天然記念物のヤドカリを、ペットとして飼う愛好家がいるらしい。
オカヤドカリは、特別に指定された観賞魚販売業者などを通じて
消費者が購入するのは違法行為ではないらしい。
だけど、南西諸島や小笠原諸島などを訪れた旅行者が、
オカヤドカリを直接採取してしまうと、
文化財保護法に違反する行為になるらしい。
なんか、変ですね。
ペットというと、犬ネコだけでなく、
私が子供の頃は、ニワトリやアヒル、インコ、十姉妹、文鳥、カナリア…、
なんて飼う人がいて、
その後は、フェネックやハムスターがブームになりましたが、
最近は、さらに多種多様な生物にまで広がり、
イグアナ、ヘビ、猛禽類、サル、ミニブタ、ザリガニ、カメ、ウサギ、
カメレオン、トカゲ、カエル、クワガタ、ムカデ、サソリ、タランチュラ、
カマキリ、コウモリ、猛禽類…、
なんか、ペットとして飼いたくないような動物が飼われているようです。
飼い主は、それぞれに名前を付けて、
愛情を注ぎ込み、癒されているのでしょう。
なんか、ヲタクっぽいさ~。
犬と、サル、キジを飼ったら桃太郎だけど、
そういうペット愛好家はいないのかな?
頭に日の丸はちまきを巻いて、背中に「日本一」と書いた旗を付けて、
犬、サル、キジを従えて散歩するような人は。
まあ、ホントにいたとしても、警官に変質者と間違われて
職務質問を受けてしまうかもね。
私のところのRIN(凛)君は犬だけど、
沖縄にはサルやキジはいないので、残念ながらそれは出来ません。
沖縄にはウサギもいませんよ。
そうやって考えると、オカヤドカリを飼うのも「有り」かもしれませんね。
昔の縁日のお祭りの露店では、
ピンクに塗装したヒヨコとか、
ヤドカリみたいのが売られているのを見たことがありますが、
最近はどうなんでしょうね?
「カニやヤドカリは磯に住む」
という、思い込みや固定観念は、大いに反省しなければなりません。
狭い見識にとらわれて、他に広い世界があることを知らないで、
自分の住んでいるところがすべてだと思い込んでいる人のことを
「井の中の蛙、大海を知らず」
といいますが、
それは私のことですね。
2001年、2005年の世界陸上の400mハードルで2大会銅メダルを取られ、
現在はスポーツコメンテーターの為末大さんの、2010年のTwitterでは、
「思い込みは、あると気付いた時にはもう思い込んでおらず、
思い込んでいる間は、ある事すら知らない。
つまり人は常に何かを思い込んでいてそれに気付いていない。」
と書かれていました。
たしかにその通りで、こうなってくると、
境遇や環境で人それぞれが勝手に思い込んでいる「常識」というものも、
人それぞれで微妙に違うし、その「常識」自体が正しいのかどうかも
時々整理して考え直す必要がありそうです。
ふつうは、結婚した時に、最初にトラブルになるのは常識の違いが多いはず。
「こういう時は、こうするのが常識だよ」
と。
自分の常識が正しく、相手を、つい非常識化してしまい、トラブルになるのです。
夫婦それぞれの常識論は微妙に違う。
なので、夫婦としての、共同の新常識を構築する必要性があり、
やがて、それに気づくわけですよね。
それが気づかない夫婦は、残念ながら、そこで
「お達者で~」とか「二度と顔も見たくない」とか、
いろいろなお別れの場面がやってきて、
それぞれが新たな伴侶を見つける敗者復活戦に回るわけです。
RIN(凛)君が我が家に来たのは3月14日のホワイトデーの日。
RIN(凛)君はまだ2か月余りしか生活していません。
今はまだ、RIN(凛)君と、お互いの許容範囲の確認中で、
生活ルールを築いているところです。
RIN(凛)君の生涯約18年を、私は見守る義務と責任があり、
同時に、RIN(凛)君も私も、その約18年間を大切な思い出にしたいから、
「これダメ、あれダメ」
という「しつけ」という名のおしおきではなく、
苦しいことや辛いこと、悲しいことがあるにしても、
「Enjoy Life」
をRIN(凛)君と共有していきたい。
そういうルールを作り上げていきたいのです。
仕事の給料を、とかく
「我慢料」
「忍耐料」
と、とらえる人がいますが、
それは、その人が苦悶に満ちた仕事をしていることになり、
とても充実した人生を歩んでいるようには感じられません。
それなら、楽しく仕事を出来るようにするには、
どうしたらいいのかを考えた方がいい。
そう考えています。
Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.
(常識とは、18才までに得た偏見のコレクションである)
これは、アインシュタインの名言です。
「18才の常識」とは、それ以前の、子供の狭い視野や理解から得た、
ある意味「偏見」とも言えますよね。
それは大人の考えではなく、社会に通じるものでもなく、
いわば真実からかけ離れた「思いこみ」にほかならない。
つまり、アインシュタインは、
「自らの狭量と判断の正しさを疑い、常識ではなく真理に目を向けるべき」
と、言いたかったのだと思うのです。
常識という「固定観念」を打ち破ることはなかなか難しい、
でも、それにとらわれず、常に真理、正しさを追いかけることの大切さ。
「ソレダメ!~あなたの常識は非常識!?~」
というテレビ東京の番組があったり、
「常識を疑うことから始めよう」
という考え方もありますが、
常識を疑うのは、
「もっと自由に人生を創造しよう」
ということじゃないかな。
アインシュタインが言ったように、
常識は「思い込み」にすぎない。
「思い入れ」なら良いけど、「思い込み」はダメだってことですね。
オカヤドカリのことで、思わぬ哲学的考察に発展してしまいました。
ごめんなさい。

カニやヤドカリって、私が子供の頃から
「海が引き潮になった磯で見るもの」
という固定観念に凝り固まっていたことで、
我が家の庭やバナナ園で、カニやヤドカリを時々見かけては、
「海から直線距離で1kmも離れているし、海抜約80mもあるのに、
どうやって海からここまで来たんだろう?」
と、つい最近まで不思議に思っていたのです。。。
先週5月16日(土曜)に
「カニさんトンネルに行ってきました!けど、少しガッカリさ~!」
というお話をしましたが、
その「カニさんトンネルについて」という石標を見て、
我が家の庭やバナナ園で見かけるカニやヤドカリが陸生なんだと、
初めて知り、その疑問がやっと解けたのです。
「陸生のオカヤドカリだったのか、しかも国の天然記念物だったなんて…」
って。
ふつう、カニやヤドカリが陸にいるなんて思わないさ~。
でも、よく考えると、山原(やんばる)、というよりも、
バナナ園には国と県の天然記念物指定で絶滅危惧種の
「リュウキュウヤマガメ」という陸ガメがいますから、
陸生のオカガニやオカヤドカリがいたって、
ちっとも不思議じゃないのかもしれないけど、
長い間の思い込み、固定観念が邪魔して、
「庭や畑にカニやヤドカリがいる」
というのは、なんかちょっと変な気分になりますね。
こんな天然記念物のヤドカリを、ペットとして飼う愛好家がいるらしい。
オカヤドカリは、特別に指定された観賞魚販売業者などを通じて
消費者が購入するのは違法行為ではないらしい。
だけど、南西諸島や小笠原諸島などを訪れた旅行者が、
オカヤドカリを直接採取してしまうと、
文化財保護法に違反する行為になるらしい。
なんか、変ですね。
ペットというと、犬ネコだけでなく、
私が子供の頃は、ニワトリやアヒル、インコ、十姉妹、文鳥、カナリア…、
なんて飼う人がいて、
その後は、フェネックやハムスターがブームになりましたが、
最近は、さらに多種多様な生物にまで広がり、
イグアナ、ヘビ、猛禽類、サル、ミニブタ、ザリガニ、カメ、ウサギ、
カメレオン、トカゲ、カエル、クワガタ、ムカデ、サソリ、タランチュラ、
カマキリ、コウモリ、猛禽類…、
なんか、ペットとして飼いたくないような動物が飼われているようです。
飼い主は、それぞれに名前を付けて、
愛情を注ぎ込み、癒されているのでしょう。
なんか、ヲタクっぽいさ~。
犬と、サル、キジを飼ったら桃太郎だけど、
そういうペット愛好家はいないのかな?
頭に日の丸はちまきを巻いて、背中に「日本一」と書いた旗を付けて、
犬、サル、キジを従えて散歩するような人は。
まあ、ホントにいたとしても、警官に変質者と間違われて
職務質問を受けてしまうかもね。
私のところのRIN(凛)君は犬だけど、
沖縄にはサルやキジはいないので、残念ながらそれは出来ません。
沖縄にはウサギもいませんよ。
そうやって考えると、オカヤドカリを飼うのも「有り」かもしれませんね。
昔の縁日のお祭りの露店では、
ピンクに塗装したヒヨコとか、
ヤドカリみたいのが売られているのを見たことがありますが、
最近はどうなんでしょうね?
「カニやヤドカリは磯に住む」
という、思い込みや固定観念は、大いに反省しなければなりません。
狭い見識にとらわれて、他に広い世界があることを知らないで、
自分の住んでいるところがすべてだと思い込んでいる人のことを
「井の中の蛙、大海を知らず」
といいますが、
それは私のことですね。
2001年、2005年の世界陸上の400mハードルで2大会銅メダルを取られ、
現在はスポーツコメンテーターの為末大さんの、2010年のTwitterでは、
「思い込みは、あると気付いた時にはもう思い込んでおらず、
思い込んでいる間は、ある事すら知らない。
つまり人は常に何かを思い込んでいてそれに気付いていない。」
と書かれていました。
たしかにその通りで、こうなってくると、
境遇や環境で人それぞれが勝手に思い込んでいる「常識」というものも、
人それぞれで微妙に違うし、その「常識」自体が正しいのかどうかも
時々整理して考え直す必要がありそうです。
ふつうは、結婚した時に、最初にトラブルになるのは常識の違いが多いはず。
「こういう時は、こうするのが常識だよ」
と。
自分の常識が正しく、相手を、つい非常識化してしまい、トラブルになるのです。
夫婦それぞれの常識論は微妙に違う。
なので、夫婦としての、共同の新常識を構築する必要性があり、
やがて、それに気づくわけですよね。
それが気づかない夫婦は、残念ながら、そこで
「お達者で~」とか「二度と顔も見たくない」とか、
いろいろなお別れの場面がやってきて、
それぞれが新たな伴侶を見つける敗者復活戦に回るわけです。
RIN(凛)君が我が家に来たのは3月14日のホワイトデーの日。
RIN(凛)君はまだ2か月余りしか生活していません。
今はまだ、RIN(凛)君と、お互いの許容範囲の確認中で、
生活ルールを築いているところです。
RIN(凛)君の生涯約18年を、私は見守る義務と責任があり、
同時に、RIN(凛)君も私も、その約18年間を大切な思い出にしたいから、
「これダメ、あれダメ」
という「しつけ」という名のおしおきではなく、
苦しいことや辛いこと、悲しいことがあるにしても、
「Enjoy Life」
をRIN(凛)君と共有していきたい。
そういうルールを作り上げていきたいのです。
仕事の給料を、とかく
「我慢料」
「忍耐料」
と、とらえる人がいますが、
それは、その人が苦悶に満ちた仕事をしていることになり、
とても充実した人生を歩んでいるようには感じられません。
それなら、楽しく仕事を出来るようにするには、
どうしたらいいのかを考えた方がいい。
そう考えています。
Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.
(常識とは、18才までに得た偏見のコレクションである)
これは、アインシュタインの名言です。
「18才の常識」とは、それ以前の、子供の狭い視野や理解から得た、
ある意味「偏見」とも言えますよね。
それは大人の考えではなく、社会に通じるものでもなく、
いわば真実からかけ離れた「思いこみ」にほかならない。
つまり、アインシュタインは、
「自らの狭量と判断の正しさを疑い、常識ではなく真理に目を向けるべき」
と、言いたかったのだと思うのです。
常識という「固定観念」を打ち破ることはなかなか難しい、
でも、それにとらわれず、常に真理、正しさを追いかけることの大切さ。
「ソレダメ!~あなたの常識は非常識!?~」
というテレビ東京の番組があったり、
「常識を疑うことから始めよう」
という考え方もありますが、
常識を疑うのは、
「もっと自由に人生を創造しよう」
ということじゃないかな。
アインシュタインが言ったように、
常識は「思い込み」にすぎない。
「思い入れ」なら良いけど、「思い込み」はダメだってことですね。
オカヤドカリのことで、思わぬ哲学的考察に発展してしまいました。
ごめんなさい。
