紅型(びんがた)は人々の心にいつまでも咲きほこる | あなたの知らない沖繩と琉球舞踊

あなたの知らない沖繩と琉球舞踊

観光や日常生活では気づかない知っているようで知らない沖繩や琉球の歴史や文化、華やかな琉球舞踊の事を徒然と書いていきます。

 

一生の最もすぐれた使い方は、
それより長く残るもののために費やすことだ。

ウィリアム・ジェームズ 



●光の花

 

光のあるところに希望があり、希望は光になります。
人は電球を発明してから光を自由に操れるようになりました。

 


沖縄では夜間にたくさんの電球を点けて菊を照らして咲く時期を遅くするように調整した電照菊が盛んです。菊の黄色い色は電球の光と太陽の光の2つの光を受けて力強く育ちます。
 

 


●あなた黄色は好きですか?

 

黄色は有彩色の中で一番明るい色です。明るい色なので光のイメージに近いですね。エネルギッシュにも感じます。知性を刺激し行動を活性化するとも言われています。

 




また自然の中でも黄色は花に多い色です。昆虫の可視光線領域は紫外線側に偏っているため、黄色、白、オレンジ、ピンクなどは見やすいようです。逆に人間などには見えやすい赤は虫には見えにくいのだそうです。

 


また、「黄色い声援」という言葉があるように、明るい雰囲気の表現にも黄色が使われていますね。他にも、高級スポーツカーにも黄色は欠かせない色です。威圧的というか目立ちますよね!

 




黄色の心理的な特徴として、

●集中力を発揮させる

●記憶力を高める

●判断力アップ

●気分が明るくなる

●注意をうながす 

 

 

など様々なものがあります。信号の黄色にも代表されるようにアピール力が高いですよね!
 

 


●目を奪われる黄色

 


この鮮やかな黄色の着物をご存知ですか?
これは国宝の「黄色地鳳凰蝙蝠宝尽くし青海立波模様衣裳」という「紅型」という染織物ものです。

 




清代の官服に用いられた海の波と波涛を図案化した文様「海水江芽文」を写しており、国王の正装衣裳「皮弁服」の裾部と一致するそうです。格式の高い文様から、公的な場面で着用されたものとされています。肩と背に鳳凰と瑞雲、裾に嶮山・立浪・火炎宝珠を配し、胴に蝙蝠や竹・丁字などの中国的な吉祥文を散らした紅型衣裳です。(那覇市歴史博物館HPより)

 


「紅型」とは琉球王国の時代、主に王族や士族の衣装として染められていたものです。紅型は13世紀頃には存在していたようです。「紅」は色全般を指し、「型」は様々な模様を指していると言われます。

 

 

この定義をしたのは鎌倉芳太郎と伊波普猷とする説がありますが、鎌倉芳太郎が1924年に初めて使用した「紅型」の漢字表記が広く普及され始めたのは昭和期に入ってからだそうです。

 

 

沖縄県は「びんがた」と平仮名表記する場合が多いです。

 

 

古文書に現れる文字は「形付」、「形附」で「紅型」表記はない。高年者や下級士族向けの藍色の濃淡で染めるものは藍方(えーがた)と呼びますwikipedia参考)



沖縄の歴史は中国と日本の影響を受けていますが紅型も例外ではありません。古紅型と呼ばれるものは江戸時代頃の作品が多いです。本土の影響からか友禅とモチーフが共通したものが多いともされています。

 


しかし、ほとんどは中国の吉祥文様を図案とし、当時の王族・士族階級の女性および成人前の男子の衣装として作成され、文様に衣装を身に着ける者への加護の意味が込められているそうです。

 

 

鶴を赤や緑で染めたり、桜を黄色やえんじで染めるなど色の扱いは「非常に奔放」と、現在の染色家に評価されています。江戸時代は袋物などの小物用生地、明治からは着物などにも使われていました。wikipedia参考)

 


しかし琉球国は、薩摩に侵略されてしまいます。その後、明治時代になり王府廃止により庇護を失った染屋は廃業を余儀なくされました。鮮やかな作品を生み出した職人がいなくなり、宮廷のために生まれた紅型は衰退していくのでした。

 

 


●失われた紅型


昔の作品は古紅型と呼ばれています。それらは時代にすると江戸時代頃の作品が多いそうです。本土の影響からか友禅とモチーフが共通したものが多いともされていますが実は中国の吉祥文様を図案としているそうです。

 

 

当時の王族・士族階級の女性および成人前の男子の衣装として作成され、文様に衣装を身に着ける者への加護の意味が込められているそうです。

 


現代の染織物の専門家から見ると鶴を赤や緑で染めたり、桜を黄色やえんじで染めるなど色の使い方が自由と評価されているそうです。

 


しかし歴史は残酷です。第二次世界大戦で多くの型紙や道具が焼失します。しかし一部型紙等は日本の染織家であり、沖縄文化研究者の鎌倉芳太郎により本土へ渡り保管されていました。

 


戦後、それら型紙を分けてもらい紅型復興に尽力したのが、王朝時代から、紅型宗家として染物業に従事してきた城間家の城間栄喜と知念家の知念績弘だったそうです。

 

 

戦後の材料不足の中、拾った日本軍の地図に下絵を描き型紙として利用して、割れたレコード盤を糊(防染糊)置きのヘラに、口紅を顔料のかわりに、薬莢を糊袋の筒先に使用するなど、工夫をしながら紅型の復興に尽力されたそうです。  

 


そんなたくさんの人の苦労を経て紅型は再び蘇りました。そして最近ではこの紅型の振り袖が人気なのだそうです。

 


日本の伝統的な柄とは異なるところが注目されているのだそうです。

イオ・ライフ・マーケット アジアの手仕事~生活と祈り~より写真引用

 

 

イオ・ライフ・マーケット アジアの手仕事~生活と祈り~より写真引用

 

 

イオ・ライフ・マーケット アジアの手仕事~生活と祈り~より写真引用

 

 

 


●新しい紅型の潮流


伝統的な紅型は美しいです。紅型がなぜ美しいか?は個人の趣向により違いがあると思いますが「繊細で複雑な図案」にその魅力を感じる人は多いと思います。

 


芸術の世界では若い新しい才能が、伝統的なものに新しく生命を吹き込んでくれる事が多くあります。JAZZの世界では新しい才能がJAZZの新たな境地を切り拓いていますし、日本の伝統芸能でも歌舞伎が現代風な解釈で様々な演目が演じられています。

 


そして紅型でも若い才能が新たな生命を吹き込んでいます。

沖縄県宜野湾市にある 紅型研究所 染千花の染色家の知花幸修さんの作品では伝統的な紅型を守りつつ新しい価値を提案しています。

 

 

 

 

 

 

 



紅型研究所 染千花さんホームページ 

新しい紅型の可能性を目にして感動と興奮を覚えます!

 

 

 


●紅型と琉球舞踊

 


琉球舞踊を志す者として、紅型衣裳は憧れです。
特に「黄色地紅型打掛衣裳」は高貴で高価でもありますが、自前で持ちたい衣裳です。

 



以前、敬愛する染色家の先生にその衣裳の染めをお願いした際、先生が仰るに黄色地を染める時は、少しの埃でも付着すると変色しものすごく繊細な作業のため、中々、満足する作品ができないとのことで快諾はして頂けませんでした。

 


それでも、私は先生の作品が好きなので何年かかっても良いのでと懇願しました。

 


それから、数年後、先生ご自身が納得いく作品が仕上がったので見て欲しいとご連絡頂き、早速、その作品を拝見し、とても感動したことを今でも覚えています。

 


琉球王朝時代の紅型を復元されてこられた先生のその作品は、尚家伝来の大胆な図柄が格調高く繊細な技術で、唯一無二の作品に染め上がっていました。

 


私はその衣裳を着て舞う度に、今は亡きその先生の思いに包まれ、紅型衣裳の美しさで舞を引き立ててもらっています。

 


紅型染め衣裳は貴重で高価です。昨今は、大勢の人数による群舞、屋外などの舞台、天候や舞台のコンディションで、プリントで化繊の紅型衣裳を使用することも多々あります。

 


琉球王朝時代から受け継がれてきた本来の「紅型」も「琉球舞踊」も貴重な技です。グローバル化が進み、伝統文化への興味が薄れずに、大切な文化遺産を次世代へ確実に継承し、世界へ更なる発信をしてほしいと思います。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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