「人生は祭りだ。一緒に楽しもう」
フェデリコ・フェリーニ (映画監督)
写真引用元:©OCVB
●そもそも祭りって?
「祭り」という言葉は世代で捉え方がずいぶん変わります。
若い人に聞けば
・出店
・デート
・花火
中年に聞けば
・おみこし
・山車
・盆踊り
シニアに聞けば
・町おこし
・出会いの場
民俗学を生んだ柳田國男は、祭りを「ハレ(非日常)とケ(日常)」のハレと言記しています。世代の違いに関わらず昔から祭りという非日常の時間は特別なものだったのでしょう。
現代では「祭り」はイベントと同義になっている事も多いですが本来は本来は神を「祀る」ことつまり「祀る」→「祭り」から来ていると言われています。
他にも「祭り」は「奉り」は、奉る(たてまつる)から派生している意味もあるという説もあります。神や上の位に者に献上や召し上げる事を指す事もあるようです。
いづれにしても(特に昔は)一般人にとってはハレ(非日常)の日であった事は間違いなさそうです。
●全国の祭り
2015年に発表された日本建築学会技術報告書によれば全国の祭り・イベントに対するアンケート調査をWeb上で実施したところ全国の「知っている祭り」のランキングは以下のとおりです。
引用:日本建築学会技術報告書
青森のねぶた祭りがダントツの認知度1位の祭りですね~。
ちなみに青森のねぶた祭りの由来は七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれていますが、その起源は定かではありません。
奈良時代(710年~794年)に中国から渡来した「七夕祭」と、古来から津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事が一体化して、紙と竹、ローソクが普及されると灯籠となり、それが変化して人形、扇ねぶたになったと考えられています。
最初の頃のねぶたは京都の祇園祭の山車に似ていたとも言われています。いづれにしても大きな変化を経て現代に続いているのです。
このアンケートで沖縄県の祭りでランクインしているのが「那覇ハーリー」と「全島エイサー祭り」です。
●沖縄の祭り
エイサーについてはこのブログでも『エイサー「変わる事」と「変わらない事』で採り上げていますので今回はハーリーについて少し見ていきたいと思います。
写真引用元:©OCVB
ハーリーとは「爬竜」と書きます。毎年旧暦の5月4日に沖縄県各地の漁港で行われる爬竜船(はりゅうせん)競漕とその祭りです。爬竜船(はりゅうせん)を漕ぎ競い合うことで航海の安全や豊漁を祈願するものです。「ハーレー」「ハーリー」と地域によって呼び名が違います。
基本的には「航海の安全」や「豊漁」を祈願する御願(ウガン)を主旨とした海の神事であるため、伝統に則り旧暦の5月4日に行いますが、近年ではハーリーシーズンの日曜日や祝祭日・ゴールデンウィークなどにずらして催し、観光化する地域もあります。(wikipediaより引用)
ちなみに「那覇ハーリー」は観光客にも見てもらいたいという意図もあり、ゴールデンウィークと重なる新暦の5月3日~5月5日の間に行われています。
初日は那覇市内の中学生による学校対抗戦と一部の職域対抗戦がおこなわれ、中日には「ハーリー一般体験乗船」が、そして最終日には職域対抗戦のほか御願バーリーと本バーリーがおこなわれます。
ハーリー競漕のほかにも、お笑いステージやライブ・相撲大会・打ち上げ花火など、さまざまなイベントを催しています。青森のねぶた祭りと同様に観光イベントとして近年は発展しているようです。ちなみに2018年の那覇ハーリーの人出は16万人だったそうです。沖縄県最大級の祭りですね。
●祀りとしての祭り
那覇ハーリーや青森のねぶた祭りは観光イベント化してしまい、少し残念な事に「祀り」としての性格は薄れてきています。しかしながら沖縄には「祀りとしての祭り」がまだ数多く残されています。
・小浜島結願祭(こはまじまきつがんさい)
毎年旧暦8月の己亥(つちのとゐ)の日から3日間(新暦9月~11月頃)、八重山諸島の小浜島内の神聖な御嶽で行われる伝統行事です。豊年祭と並ぶ島の大きなお祭りでその年の豊作への感謝と翌年の五穀豊穣を願って行われます。国の重要無形文化財に指定されており、島では伝統行事の伝承に積極的に取り組んでいます。
写真引用:竹富町HP
小浜島の年中行事の中で豊年祭と並ぶ大きな祭りで、人々は祭りに参加することで、心をひとつにしています。今年一年の豊作と健康、祈願成就に感謝し、一年の願解きと、来年の五穀豊穣と無病息災を祈願する祭事です。結願祭のメインは2日目のショウニツ(正日)。嘉保根御嶽(カフニワン)のザー(神庭)において、20数演目のさまざまな芸能が奉納されます。芸能を奉納するというのが素晴らしい伝統です!
そして小浜島の結願祭は、地謡(じかた)の演者もいっさいマイクや音響を使わないそうです。全員がすべて地声でやるのだとか。イベントしてではなく「祀りとしての祭り」を感じられます。相手は観客ではなく神様。何百年も前から続いているこの「あたりまえの風景」に伝統を守り続けている人々の想いを感じます。
プリミティブで、おごそかな、このお祭りを貴重な映像でご覧下さい。
さて、もうひとつ沖縄の「祀りとしての祭り」を見てみたいと思います。
・宮古島のパーントゥ
宮古島のパーントゥは平成5年(1993年)に重要無形民俗文化財に指定されました。島内の2ヶ所で行われている奇祭だが、それぞれ形式は異なっています。
写真引用元:©OCVB
島尻地区では旧暦9月上旬、仮面をつけて全身に泥を塗り、シイノキカズラの蔓草を巻きつけた3体の仮装神が出現します。パーントゥは厄払いの神として、泥をぬりつけることで、新築の家のお祓いや子供の無病息災を祈願します。ンマリガー(産まれ井戸)と呼ばれる井戸の底の泥を身に付けて奇声を発しながら各家を回ります。誰かれかまわず泥をなすりつける姿に、子供たちや観光客は悲鳴と笑い声を上げながら逃げ回ります。一般に有名なのはこちらのパーントゥです。
一方、上野野原(うえののばる)地区では旧暦12月最後の丑の日に行われます。男子小学生1人が仮面をつけ、その後ろに太鼓を叩く人、ほら貝を吹く人、クロツグとセンニンソウを頭や腰に巻き両手にヤブニッケイの小枝を持った女性たちが続き、鳴り物入りで陽気に集落を回り厄払いをします。
宮古島のパーントゥには神に対する尊敬の念と畏怖の念が現れていると感じます。特に泥を塗られた子どもたちはそのリアルな感触が一生忘れないものになるはずですし、それを自分が大人になり子どもが生まれたら、自然に同じ体験をさせる・・・これが途切れる事なく続いてきたのでしょう。
動画でぜひご覧下さい。
もうひとつ沖縄の祭りを見ていきましょう。
・多良間島の八月踊り
宮古島と石垣島の中間に浮かぶ人口1100人余りの多良間島。その多良間村は、日本で最も美しい村といわれています。この島で毎年、旧暦の8月8日~10日にこの島の豊年祭で演じられる「八月踊り」は、国の重要無形民俗文化財に指定されており、この時期には多くの観光客や研究者が島を訪れます。
写真引用:youtube
1600年代、首里王府が宮古・八重山に課した人頭税、その重税に苦しめられた島民が、税金完納のお礼と次年の豊作祈願のために行った八月御願(バチュガツウガン)での奉納踊りが八月踊りの起源とされています。元々は、祝い酒に浮かれての踊りだったものが、島で創作された民俗踊りへと変化し、さらに明治時代になって本島から古典踊りや組踊が伝わり、現在の形となりました。
多良間島の八月踊りは、当時その八月御願が行われていた仲筋地区の土原御願と塩川地区のピトゥマタ御願で開催されます。仲筋地区では「忠臣仲宗根豊見親組」と「忠孝婦人村原組」が、塩川地区では「忠臣公之組」と「多田名組」が演じられます。本島に伝わる古典の組踊と比べ、八月踊りで演じられる組踊は、野趣で優美さに欠けるとの意見もありますが、これはプロと半ば素人の演者の技量の差や、多良間土着の民俗芸能の影響でもあります。中央とは異なる伝統と捉え、素直に楽しみましょう。また、組踊以外の演目である「狂言座」という民俗踊りは、多良間の人々の喜怒哀楽をコミカルに演じ、多良間方言がわからない人でも楽しむことができます。
その様子をぜひ動画でお楽しみ下さい。
多良間島の八月踊りは島の苦難の歴史や綿々と続く伝統の中で育まれたその地域ならではの素晴らしい祭りだと感じます。ぜひ、一度生で見てみたいですね。
●衰退する祭り
沖縄の祭りに限らない事ですが、祭りは王や貴族から出たものと庶民から出てきたものがあります。しかし、祖先崇拝や神への尊敬と畏怖という事は変わらないと思います。
イベントとしての祭りは盛隆ですが、本来の「祀りとしての祭り」はだんだんと衰退しているように感じます。
崇高過ぎて「祭り」と読んでいいのか?迷いますが久高島のイザイホーはまさしくその現実が突きつけられています。
イザイホーとは
沖縄県南城市,久高島で 12年に一度,午年の旧暦 11月15~18日の 4日間行なわれる大祭です。
島で生まれ育った女性は,30歳を過ぎると 70歳になるまで,島の神々の祭祀に携わる神女として生きます。
イザイホーは,前回の祭り以降に 30歳以上になった女性を新たに神女とする祭りで,先輩の神女に導かれつつ森に入るなどして神女としての資格を得ます。
初日の夕刻,ナンチュと呼ばれる新入りの神女が,唱え詞(となえことば)をしながら祭場の拝殿を 7度回り,「七つ橋」と呼ばれる仮設の橋を渡って森に入る儀式がありますが,この際に橋から落ちる者は日頃の素行が悪く,神女の資格がないとされます。
最終日には,神女全員が男性と綱引きをして東方の海上にあるとされる異郷,ニライカナイの神を迎えてまつり,最終的に神女としての資格を得られます。
だが,1990年以降,新たに神女となる若い女性がいなくなったことから,行なわれていないのです。
イザイホーの貴重な様子をご覧下さい。
もしかしたらイザイホーはこれから先も復活する事はないかもしれません。
しかし、本来「祭り」が「祀り」であったとしたら残念ですがその現実を静かに受け入れる事が自然なのかもしれません。
●琉球舞踊と祭り
芸能が奉納される祭りをさきほど紹介しました。奉納とは、神仏や精霊などに対して供物を捧げる宗教的な行為です。神に喜んでもらい、その代わりに人々の繁栄や安全、豊作をお願いするものです。
神に喜んでもらうには最上級の物が必要です。それが踊りなどの芸能という事はとても素晴らしい事だと思います。
動画を観てもらえば分かりますが踊っている人々の表情は誇らしげです。神様も喜んでいると思います。
祭りではありませんが2017年に沖縄全戦没者追悼式前夜祭が沖縄県糸満市摩文仁の沖縄平和祈念堂で開かれました。
高さ12メートルの沖縄平和祈念像の前で歌三線や琉球舞踊を奉納し、恒久平和を誓い、み霊を慰めました。その光景はまさしく「奉納」でした。見ていて涙が溢れました。
琉球舞踊は、ルーツをたどれば沖縄各地に古くから伝承されている祭祀舞踊が母体です。それが、やがて琉球王国の儀式として王や中国からの使者の前で披露されることにより、より洗練された舞台芸能として進化してきました。
祭祀舞踊という事は古来から神に奉納されていたのでしょう。その価値や意味合いが少しも変わる事なく今も日常生活や祭りに息づいている事は奇跡に近い事だと思います。
祭りは歴史そのものです。だからこそ祭りは「今を」楽しむ、かけがえのないものなのです。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました!
■ポチッと押していただくと嬉しいです!■