面会に行った話しなど | 額縁の外側

面会に行った話しなど




伊吹山〜。

滋賀県の名山的なやつですてへぺろ




乗換駅。

ここ夏場、笑ってしまう。




白いの激しくないはてなマークはてなマーク


母の面会行ってきました。

なかば予想通りというか
看護師さんから
「主治医すぐ来るのでお待ち下さい」
と言われてそこそこ待ち
手術の説明とかしていただきました。

骨折は大腿骨の付け根の股関節に接続している球体の部分。

手術でそこの部分を取って
人工のものを付けるそうです。

こけたら骨折しがちな部位らしいですね。
わりとよくある手術みたい。

だから手術自体は1時間〜1時間半ていど
前後の麻酔入れても3時間くらいらしいです。

高齢なんで早く離床させることが大切とのことで
手術は最速の来週月曜
一応手術翌日から立てるものではあるが
さすがに翌日立てる人はほぼいなくて
でも早くリハビリを始めて以前くらいに自立歩行出来ることを目指す、だそうです。

やっぱ合併症とかね、全身麻酔なのでリスクはあることで。
何かの時の延命治療の有無とかも話ししました。

一昨年、両親同時にコロナ感染した時に初めて現実味を伴って延命治療の話しが出て
昨年は父、今年は母が手術。

去年、父は脳の腫瘍を取る手術で(それも大きいの2つ)
それに比べたら今回の母のはすごい軽い?手術なんだけど
やっぱ帰り道、すごい不安になってしまった。

父は手術自体は成功して、様態も安定したかに見えての3日後、突然の心停止だったから。

母が最初、よぼよぼの老人感あったのですが
しゃべってるうちにかなり元気になって
そこに主治医が来たら
先生に「まだ生きたい」って言って泣くの。。

「うちらここまで大変な目に合ってきて」
って。

つまり、父に散々な目に合わされてきて、ようやく父居なくなったので、これからまだ生きたい。
ということです。

そのあと
「せっかく言うたらなんやけど、せっかくお父さんおらんようになって解放されたんやから、これから楽しく生きよう」
って、なんか私にしては、、なことを言ってきました。

でもほんとそうなんだよ。

何回か聞いたことがあるけど
母、寝てる時にうなされてすごい叫びをあげることがあるの。

私、怖くて泣いちゃうんだけど。

父の悪行の記憶は母のが何倍も色濃いんだよね。

母の姉は聞いてることがあって
「りゅきゃちゃんには言えないけど、色々あった」って。

私は父の娘でもあるから、母も父の悪行を私にそこまで言えないんだよね。

小さい時の方が色々聞かされたと思うんだけど、たぶん母、私にそういうの言わなくなったんだよね。

私は気持ちのぐちゃぐちゃしたの、ブログっていう吐出口があるけど
母はそういうのもないし。

私はめっちゃ母側についてたと思うのに
母はちょっと私が父サイドについてたみたいに思ってんのよね。

母と私の溝の一因なんだけど。

普通に分別がつく年頃になったら
父親がろくでもない男だってことは
普通に分かるわ。

ただその父に性格が似てしまっていることが
母の孤独感、、孤立感?
を深めていたことも分かってるけど。。


はぁ。。

明日は麻酔科の先生とお話しします。

父の手術は2回ともコロナ禍中だったから
自宅待機だったのね。
1回目は完全に面会も出来ないって言うし
東京でめちゃめちゃ感性拡大してたから大阪までも帰ってきてなくて。

母の手術は病院待機なんですよね。

一人で待ってないと。

高齢者のこの手術後の死亡率は数%なんだって。

数%って幅のあることだけど。
仮に5%としたら20人に1人ってことでしょ。

多いように感じてしまう。

早く始まって早く無事に終わってほしい。。