あたしには真の味が分かりません
これ食べたー
あとから入れるっぽい大きめの小袋(大きめの小袋?)が付いていたのですが
入れる前に台所の魔窟に落としたー
説明しよう、魔窟に一度落ちたものは二度とすくいあげられることはないのだ
だから入れずに食べたので
私にはこのカップラーメンが目指す本当の味が分かりません。
ただ味の濃さは十分でした。
何
あの大きめの小袋、なんやったん
母から昨日だったかなー
いや、その数日前に
「いま卓球見てるよ」
ってメールきて
昨日かには
「今日卓球ないんかな?」
ってメール来たんですよね。
さっきたまたまチャンネルが合ってて見たら
世界卓球やってるんですね。
あー、、そうか。
父の趣味が卓球だったんですよ。
知る限り一番長く続いた趣味。
私の小学校、なんせ父が団塊世代、私が団塊ジュニアだから
親も子もたくさんいるわけですよ。
それで小学校には親の部活みたいなのがあって
父は卓球クラブに入っていたんですね。
ってか親の部活は、卓球部以外に何かあったのか不明ですけど。
毎週に近い頻度で日曜の午前中に地元中学に行って
練習してました。
私はその中学通ってないですけど
小学生の時はよく父に着いていっていて。
スクールウォーズの時代なんでマジあんな感じ。
校舎の窓ガラスはだいたい割れてて中学生が校庭でタバコ吸ってる。
平日は校門の前に警察の護送車が停まっているという環境でしたが。
荒れに荒れてて教師も下手に手が出せないし
だいたい教師が肝試しで女子生徒に下半身ポロリしちゃうレベルだったので😂
(昭和後期から平成初期、すげーなw)
話しずれちゃった。
私のあとから子どもも親も減ってくので
親の部活は最盛期の父の世代の人らが、子どもが成人してもずっとやってたんですよね、たしか。
新入部員はほとんど入って来ず
部員の平均年齢がどんどん上がっていくってやつ。
いつしかその部活もなくなったけど
父、父の弟と卓球やり始めてね。
弟は大阪北部に住んでいるから
やっぱ月に何度も会って卓球やってました。
晩年の父の読書ノートにも
卓球の技術について書き写したページがありました。
だもんだから父、テレビで卓球の試合ある時は必ず見てたんですよ。
テレビのチャンネル権は父にあって
両親二人暮らしになってからは
父と母、1階と2階で別々にテレビ見ることも多かったけど
父が1階の居間でテレビ見る時間もけっこう長かったみたいで
母はその間、自分の好きなテレビ見られないってウザがってました。
卓球も、だから一緒に見てたんだと思うけど。
母、一人になっても卓球見てるんだ。。
母、ケアマネさんに父への恨み辛み語るとき、私がドン引きするくらいの憎しみのつのりようなんですけど、私の2 倍以上の時間を父と過ごしてるんですよね。。
そもそもはお互い恋愛して結婚相手に選んだわけで。
結婚から2年弱で私が生まれて
そこから20年3人で過ごしたけど
私が家出たあと25年以上二人で過ごしてたんだからね。。
一人の人とそんなに長い時を過ごすなんて考えられないや。
私が生まれる前、50年前からの恨み辛みを、
ケアマネさんに私も聞いたことないガチの恨み口調でドロドロしゃべってたんですけど
(たまにチラっとこっち見て「この子お父さんのこと悪く言うと嫌がんねん」って言いながら・・・)
マイナスであれ父への感情は強かったわけだからなぁ。。
父のいなくなったあの家に母が一人って思うと
とくに母、あんな父でさえ入院で不在になる時は怖いって言ってたから
夜、家に一人の母を思うと私も心中穏やかってわけじゃないけど
私が母と二人で暮らせるわけじゃないしね。
お互いのために距離取っとかないとダメなんだよ。
でも卓球見ながらも
今これ書きながらも泣いてしまいますね。。