「PERFECT DAYS」(覆る) | 額縁の外側

「PERFECT DAYS」(覆る)


「PERFECT DAYS」観てきました。

朝の情報番組で主演の役所広司が
主人公の「足るを知る」生活、生き方を良いとしたうえで
自分はそうは成れない。
と言っていて
私も役所広司側だから(なんか不遜な言い方だ!)
観たいなぁと思っていたのですよ。

そこにブロ友さんが映画館で観ることをお勧めしてくれたので
水曜サービスデーに行ってきました。

ネタバレるのでご注意下さい。

主人公はトイレの清掃員、平山。
日の出前に起きる規則正しい生活をしています。
後輩から
「なんでそんな頑張るんすか? どうせすぐ汚れるのに」
と言われるけれど、トイレ掃除を工夫をこらしとても熱心にやっています。

朝起きていつものルーティンをこなし
ドアを開け
夜が明けたばかりの外へ出たとき
彼は空を見上げ毎日少し微笑むんですよね。

新しい一日に感謝する、そこに喜びを感じているような表情。

たしかに、「足るを知る」美しさだな、って。

公衆トイレの清掃員という
誰にもかえりみられない自分自身を自分はちゃんと見つめることが出来るのか
ということを思いました。

社会で生きていると世間的な序列や
序列が下であるがゆえに雑に扱われること敏感になったりするしね。

そこで心や目を曇らせない、淀ませないことはなかなか難しいと思う。

平山のように朝の日差しに感謝する目を保つことって難しいんじゃないかなって。

「今在るもの」で満足している=「足るを知る」ということか、と思いました。

平山の実家は資産家のようです。
父と確執があり交流を絶って今の生活を送っているよう。

その父も「色々分からなくなり」「昔と違って」ーということは平山の妹から語られます。

まず最初、妹の娘(姪)が家出して平山の元に転がり込んできたんです。

「お母さんは(平山とは)住む世界が違うって言ってた」
と姪は語ります。

平山も、この世界には同じ場所にあってもたくさんの世界があって、住む世界が違うということは在るかもしれない、って肯定するんですよね。

私この時、一つの場所にたくさんのカプセルトイが並んでいる様子が浮かんだんですよ。

透明なプラスチックの容れ物に一つずつ「世界」が入っている。

隣にあっても、見えていても、世界が違う。

それは、、分かるな。って思いました。

でも、覆ったんですよね。
妹が運転手付きの車で姪を迎えに来た時。

姪が先に車に乗り込んで兄妹の別れの時。

少しの沈黙のあと、平山が妹を抱きしめたんですよ。
その時、妹はお兄さんがそうしてくれることを待ってたんだ、って分かって。

たしかに、世界にはたくさんの世界があっても
プラスチックのように強固な境界線のあるものではないんだな、って。
触れ合えないような境界があるわけじゃないんだな、って思いました。

アナログ時計が盤の上で時を刻むような生活でしたが
そうやって姪が転がり込んできたり
後輩がバックレたり
実は休みの日に顔を出す小料理屋の女将さんに少し惚れていたり
かと思ったらその女将さんの元だんながやってきたり。

外からの波紋が彼の生活に変化を生みます。

それは彼にとっては生活を乱すことなんだけど
そういう外からの、自分でコントロール出来ない波紋というのは、生きる上で必要だったりするよなぁ、とかも思ったり。

煩わしいんだけど
人から煩わされることって気持ち的に「生きる」うえで必要というか。

人と繋がりを持つことで、肉体的にではなく精神的に「生きる」こと、みたいなやつですけど。

姪も女将の元夫も元居た場所に帰り
飛んだバイトの後任に頼もしい雰囲気の代打がやってきてー

また彼の規則正しい生活が繰り返される。

いつものように朝日の中、車を運転して仕事に向かう平山。

でもこの時の彼の表情で
「足るを知る」彼の像が覆ったんですよね。

その時、彼の目に映っていたのは「今在る光」の美しさだけじゃない。

戻らない過去、見えてはいても届かないもの
憧憬、諦念、、それらすべてを引っくるめて「美しい」と感じる心。

ストーリー中何度か、あるホームレスが出てきて。
彼は「普通の」人ではなく
白痴のような
まあすごく簡単に言うと頭のおかしいホームレスで
光に手を差し出しその美しさを追ってるんですね。

もしかしたら「今在る光」の美しさだけを追っているのはそのホームレスだけなのかな、って。

「普通の」でひっくるめちゃうとあれだけど
普通の人は、それは正常なにも言い換えられるけど
どの瞬間にもたくさんのことを内包しているな、って。

一瞬一瞬の景色を見る時
そこにたくさんの何かが重なっているみたいな。

人と同じ重なりもあるし、その人だけのものもあるし。

そしてその一瞬はすべて違って繰り返すことなく一瞬が死ぬまで続いていく。

そう思うと、生まれてから死ぬまでを一つの単位として見ると、それは美しいかもしれない。

そう思いました。