虎は永遠に死せずー中島敦『山月記伝説』の真実
島内景二「中島敦『山月記伝説』の真実」
読了
「山月記」・・・大好きな小説です。
高校生の時、国語の教科書で読んでから、何度読み返したでしょうか。
肥大化した自尊心により、虎と化す李徴。
その「山月記」の著者のバックボーンや、交友関係に迫ったのが本作です。
私は「山月記」を読むとき、「李徴」しか見ていませんでした。
その友、「袁さん」(『さん』漢字でない・・・)との友人関係って、
全然スポットを当てて読んでなくて、
「李徴」の独白の聞き手くらいにしかとらえていませんでした。
あと、李徴の「虎」という立場を、官吏という立場から引き立てる役目、というか。
けれど本書では、多くの部分を、中島敦の交友関係に当てていて、
敦からみた「袁さん」を探るんです。
そして著者自身、かつては「李徴」側から読んでいたが、
歳を経るにつれ、「袁さん」の気持ちで読むことが増えたと記します。
その読み方はしてこなかったな、と驚き。
歳を経るにつれ、
「友に誠実であったか」「差し伸べられる手はなかったかと」自分自身に問うことが
増えてくるとのこと。
私自身はまだまだ、李徴の気持ちですが、
いずれ私も、「袁さん」の気持ちで読む時がくるのでしょうか。
あぁ。それにしても「山月記」
本当にいいです。
本書では、山月記に投影された中島敦という人物がたくさん書かれいて、
読むほどに、敦自身の息遣いが「山月記」という小説から聞こえてきます。
まさに、入魂の一作、逸策だったんだな、と。
中島敦の描いた虎は、多くの人に、自分の中の虎を意識されるきっかけとなり、
その虎は、永遠に生き続け、小説は語り継がれるのです。
中島敦は若くして死ねど、虎は死せず。
心に残る一冊となりました。
読了
「山月記」・・・大好きな小説です。
高校生の時、国語の教科書で読んでから、何度読み返したでしょうか。
肥大化した自尊心により、虎と化す李徴。
その「山月記」の著者のバックボーンや、交友関係に迫ったのが本作です。
私は「山月記」を読むとき、「李徴」しか見ていませんでした。
その友、「袁さん」(『さん』漢字でない・・・)との友人関係って、
全然スポットを当てて読んでなくて、
「李徴」の独白の聞き手くらいにしかとらえていませんでした。
あと、李徴の「虎」という立場を、官吏という立場から引き立てる役目、というか。
けれど本書では、多くの部分を、中島敦の交友関係に当てていて、
敦からみた「袁さん」を探るんです。
そして著者自身、かつては「李徴」側から読んでいたが、
歳を経るにつれ、「袁さん」の気持ちで読むことが増えたと記します。
その読み方はしてこなかったな、と驚き。
歳を経るにつれ、
「友に誠実であったか」「差し伸べられる手はなかったかと」自分自身に問うことが
増えてくるとのこと。
私自身はまだまだ、李徴の気持ちですが、
いずれ私も、「袁さん」の気持ちで読む時がくるのでしょうか。
あぁ。それにしても「山月記」
本当にいいです。
本書では、山月記に投影された中島敦という人物がたくさん書かれいて、
読むほどに、敦自身の息遣いが「山月記」という小説から聞こえてきます。
まさに、入魂の一作、逸策だったんだな、と。
中島敦の描いた虎は、多くの人に、自分の中の虎を意識されるきっかけとなり、
その虎は、永遠に生き続け、小説は語り継がれるのです。
中島敦は若くして死ねど、虎は死せず。
心に残る一冊となりました。