7月24日は故・ミックカーン氏の誕生日。
この個性的すぎるベーシストへのリスペクトの意味を込めて
ラジオ「幻界からの一撃!」では彼の特集をしました。

前回のブログで、JAPANのメンバーとしての活躍を書きました。
天才、孤高のベーシスト、ミックカーン氏
JAPANでの華々しい活躍は
もちろん多くの人の記憶に残りますが
その類稀なる腕とセンスを買われて
様々なセッションのシーンで活躍しています。
英国のニューウェーブ系シンガー
ゲイリーニューマンのアルバムに参加したのは1981年。
"Dance"

このアルバムは、大胆なシンセ導入に
ミックカーンの個性派ベースを大々的にフィーチャー。
どことなくオリエンタルな要素だけでなく
ゲイリー自身も歌唱法をまるでデヴィッドシルヴィアンの如くに変え
アートを意識したメイクとともに
JAPANの影響をもろに出した作品。
ここでのミックさまのプレイ。
コード進行に合わせて、フレットレスならではの「ゆらぎ」を上手く使って
エフェクター(コーラスもしくはピッチシフター)などで
さらに包み込むようなサウンドで
曲の幹でありながらアクセントをつける、という手法。
その後、ポップス界で一世を風靡する
ピノ・パラディーノさまの手法に受け継がれたのではないかと思います。
(リズムボックスの使い方も継承されたように思えます)
実際、次のアルバム"I Assassin" ではピノさまを起用。
「まるでミックカーン」みたいなプレイが聴けます。
その後、ポールヤングやティアーズフォーフィアーズのプレイで
「フレットレスベースの第一人者」となったピノさま
メロディアスなアプローチと「アレンジとしてのベースライン」
シンセベースのような、ときにシンベと共存する
80年代の薫りあふれたピノさまのプレイ
そのブレイクのキッカケに、
ミックカーンの存在があったのは間違いない。
話しをミックさまの戻しますと。
1982年には、矢野顕子さまのソロアルバムに
JAPANとともに全面参加。
夢の様な豪華キャストのアルバムです!
「愛がなくちゃね」矢野顕子

ニッポンの土着メロを生かした「日本的」セクションと
YMO~JAPAN的な耽美に矢野顕子流のユーモアを加えたセクションの二つからなり
後者のセクションでミックさま大活躍です。
JAPANのサポートギタリストだった土屋昌巳氏と意気投合した傑作
"Rice Music" 1982年

ここでは、デヴィッドボウイ的流れから
JAPAN経由の、完成された音の世界があります。
もう、完璧なベース!
そして1982年には、待望のソロアルバムをリリース!

前半(アナログのA面)は、ミック節爆裂のアート的インスト。
後半(B面)は彼の歌が楽しめるポップな内容。
名盤!
というか奇盤!
いまでこそ、「面白いベース」が
フィーチャーされたものはたくさんありますが
1982年当時
フュージョン的に「上手い」「すごい」
とか
ロック~メタルてきな質実剛健とも違う
こういった独特なベースを前面に
しかも、特殊なジャズとかプログレとかでなく
ポップスのフィールドで展開したところに
彼の功績の大きさが伺えます。
"Tribal Down"
最初に突如フラフラッと流れるベース。
てきとうに、ランダムに弾いてるんじゃないか
そう思ってしまいますが
ええ。
これが、やがて曲の「ベースライン」になるなんて!
こんな「ベースライン」彼以外には思いつかない!
え?
ほんとに「ポップス」のフィールドなのか、って?
はい。
シングルカットだってされたんですから!

そしてミックさま
遂にJAPAN以来の「バンド」を始動。
かねてから親交のあった、英国のニューウェイブでありながら
シュールレアリスムに傾倒した「ゴシックの源流」バウハウス

その首謀者にしてメインボーカル
「ゴスの帝王」ピーターマーフィーとのチームを結成
"Dali's Car"

ポップでありながらアートでシュール
ウォーホルを軽くしのぐ総合芸術だ、と
僕は思います。
ここでのミックさまのベースプレイは
ある意味、彼の頂点の一つと言ってもいいんじゃないかなー
本来の曲のメロディに対してのカウンターメロディ
(いや、もう一つ独立したメロディと云うべきか)
で、ありながら、しっかりボトムの役割も果たし
細かいニュアンスによって曲全体の空気を支配する。
テクニック上も卓越しています。
あらゆる技巧をちりばめ
その結果として「上手いという称賛」ではなく
「シュールさ」を求めるというあたり
ベーシストでもミュージシャンでもなく「アーティスト」である
ミックカーンさまの本領発揮。
そうです、彼は彫刻家でもあります。

(自身の作品とともに)
ギリシャとトルコ、アラブの間に有るキプロス出身らしく
古代へのロマンを感じさせながら
極めて現代的な、テクノ的なシュールさも併せ持つ。


この "Satchimo" という作品
高村光太郎の「手」に匹敵すると思いませんか!

しかしながら、音楽ビジネスに於いては
「アート性」は両刃の剣。
80年代も半ば以降は、音楽ビジネスの中心がアメリカに移り
さらなる「コマーシャリズム」に拍車がかかったことが要因かもしれません
Dali's Car は、その先進性、アートとしての完成度にもかかわらず
セールスは思ったほど振るいませんでした。
ロック界はボンジョビ、LAメタル勢
映画とタイアップしたソフトなロックミュージック
ポップフィールドは、マイケルジャクソンらの
よりビートが売りのブラック系と
シンディローパー~カイリーミノーグ etc
ヨーロッパ系でさえ、ワム!や、スイングアウトシスター。
暗欝で思索的なアートよりも
わかりやすくて軽くて明るく楽しくなる音楽、でないと難しい
そんな時代。
しかしミックさまは自分を決して曲げず
独自の路線を突き進みます。
80年代後半には、ECM系ギターの鬼才
デヴィッドトーンの作品に参加。
ビル・ブラッフォードらと共演を果たします。
ミックさまのさらに上をゆく個性派たちとの共演に
彼も満足げ。
そして、ソロ作ではかつての盟友デビッドシルヴィアンとの曲を発表
これは大きな話題になり
いまだに「JAPAN的なもの」が望まれていることが再認識されました。
恩讐を超えて、JAPAN主要メンバーが再び終結した
"Rain Tree Crow"
アート性をさらに強めた傑作ですが
やはりセールスは振るわず
また、メンバー感の確執も完全には瓦解せず
再びミックさまはソロおよびセッション活動へ。
そして、彼のベースのエッセンスを凝縮した傑作
"Bestial Cluster" 1993年リリース。

キャリアを総まとめにしたような
無国籍サウンドを、当時最新鋭のサウンドに乗せて
ベースのサウンドメイクも抜群の冴え。
同曲のスタジオライブ(レコーディング?)では
完全に「巨匠」の域に達した彼のプレイが観られます。
その後も、テリーボジオとデヴィットトーンとのトリオで臨んだ
前衛ロック "Polytown"
日本のエレクトロニカミュージックの鬼才、半野喜弘とのコラボや
ビビアン・スー、土屋昌巳、佐久間正英、屋敷豪太との"The d.e.p"
布袋さんや SUGIZOさんとのコラボなど意欲作を次々にリリース。
どんな場面でも、強靭なブルーヴと確固たる個性が
ゆるぎない「ヴァイブレーション」を提供することを示しました。
「デヴィッドシルヴィアン抜きのJAPAN」とも言える
"JBK" では、メインヴォーカルも務めました。
(実は、もともとJAPANは結成時、ミックさまがヴォーカルの予定だったとか)
・・・と、上げればキリがない天才ミックさまの活動歴。
僕が個人的に思うミックさまの最高傑作は
1995年リリース "Tooth Mother"

そこに収録された "Thundergirl Mutation"
ベースの音作りからタイム感、
微妙な音程感(ピアノ的な平均律に囚われない)
フレージング
そして、「歌」という解りやすい主題を
あえて外しながらも抽象的にならずに
まるでペルシャの絨毯のように
織り込まれたそれぞれの個性的な色が
全体として「あるイメージ」を強烈にアピールする。
一方
セッションでの最高傑作は
土屋昌巳さまの "Mod's Fish" 1997年

この中に収録された "Sea Monster"
これまた凄すぎる!
当時流行した「ドラムンベース」に乗って
あたかも巨大な海のモンスターが唸りのたうつような
タイトルそのままの世界観。
サウンドももちろん素晴らしく
ベースのフレーズは神がかっているほどに強烈。
パッと聴くと、この独特の雰囲気に流されてしまいそうですが
微に入り細に入り、考え尽された至高の
いや、孤高のベースが堪能できます。
そんなミックカーンさま。
2000年代後半には、がんとの闘病を明らかにしました。
いくら最高のベーシストといえども病魔にはやすやすと勝てず
そして、いくら最高のアーティストであっても
現代のコマーシャリズム最優先のビジネス界にあって
その生活は決して楽とは言えず
治療費もままならずHPなどで寄付を募っていました。
しかしながら、世界中のファンの願いもむなしく
2011年1月4日、鬼籍の人となりました。
あまりにも大きな損失。
70年代後半、ベースと言えば
ブラック系の派手なスラップ
ジャズ系のやたらゴージャスなテクニカル系が注目され
フレットレスベースというフィールドでは
ジャコ・パストリアスを誰もがコピーした時代。
そんな時代に
奇抜なメイクと唯一無二のアート性を背負って
それまでごくマニアのものだった
「パーシージョーンズ系のフレットレススタイル」
を、より噛み砕いて
さらに自身のルーツに根差した独特の感性を加味して
あえてのポップスのフィールドで
ベースが「テクニカル」という意味でなく主役になれる
音楽を決定づけられることを身を持って示し
結果として
80年代以降の音楽構造の在り方
ベースという楽器の立ち位置までも変えてしまった天才ミック。
今頃天国で
あれほど背を向けたジャコと、気軽にセッションしているのでしょうか。
いや、彼自身が強烈に憧れた
サルバドール・ダリと一緒に、なにか
現世では実現できなかったとてつもなく素晴らしいアート作品を
創造しているのかも知れませんね・・・
あらためて、RIP。

(^-^)
この個性的すぎるベーシストへのリスペクトの意味を込めて
ラジオ「幻界からの一撃!」では彼の特集をしました。

前回のブログで、JAPANのメンバーとしての活躍を書きました。
天才、孤高のベーシスト、ミックカーン氏
JAPANでの華々しい活躍は
もちろん多くの人の記憶に残りますが
その類稀なる腕とセンスを買われて
様々なセッションのシーンで活躍しています。
英国のニューウェーブ系シンガー
ゲイリーニューマンのアルバムに参加したのは1981年。
"Dance"

このアルバムは、大胆なシンセ導入に
ミックカーンの個性派ベースを大々的にフィーチャー。
どことなくオリエンタルな要素だけでなく
ゲイリー自身も歌唱法をまるでデヴィッドシルヴィアンの如くに変え
アートを意識したメイクとともに
JAPANの影響をもろに出した作品。
ここでのミックさまのプレイ。
コード進行に合わせて、フレットレスならではの「ゆらぎ」を上手く使って
エフェクター(コーラスもしくはピッチシフター)などで
さらに包み込むようなサウンドで
曲の幹でありながらアクセントをつける、という手法。
その後、ポップス界で一世を風靡する
ピノ・パラディーノさまの手法に受け継がれたのではないかと思います。
(リズムボックスの使い方も継承されたように思えます)
実際、次のアルバム"I Assassin" ではピノさまを起用。
「まるでミックカーン」みたいなプレイが聴けます。
その後、ポールヤングやティアーズフォーフィアーズのプレイで
「フレットレスベースの第一人者」となったピノさま
メロディアスなアプローチと「アレンジとしてのベースライン」
シンセベースのような、ときにシンベと共存する
80年代の薫りあふれたピノさまのプレイ
そのブレイクのキッカケに、
ミックカーンの存在があったのは間違いない。
話しをミックさまの戻しますと。
1982年には、矢野顕子さまのソロアルバムに
JAPANとともに全面参加。
夢の様な豪華キャストのアルバムです!
「愛がなくちゃね」矢野顕子

ニッポンの土着メロを生かした「日本的」セクションと
YMO~JAPAN的な耽美に矢野顕子流のユーモアを加えたセクションの二つからなり
後者のセクションでミックさま大活躍です。
JAPANのサポートギタリストだった土屋昌巳氏と意気投合した傑作
"Rice Music" 1982年

ここでは、デヴィッドボウイ的流れから
JAPAN経由の、完成された音の世界があります。
もう、完璧なベース!
そして1982年には、待望のソロアルバムをリリース!

前半(アナログのA面)は、ミック節爆裂のアート的インスト。
後半(B面)は彼の歌が楽しめるポップな内容。
名盤!
というか奇盤!
いまでこそ、「面白いベース」が
フィーチャーされたものはたくさんありますが
1982年当時
フュージョン的に「上手い」「すごい」
とか
ロック~メタルてきな質実剛健とも違う
こういった独特なベースを前面に
しかも、特殊なジャズとかプログレとかでなく
ポップスのフィールドで展開したところに
彼の功績の大きさが伺えます。
"Tribal Down"
最初に突如フラフラッと流れるベース。
てきとうに、ランダムに弾いてるんじゃないか
そう思ってしまいますが
ええ。
これが、やがて曲の「ベースライン」になるなんて!
こんな「ベースライン」彼以外には思いつかない!
え?
ほんとに「ポップス」のフィールドなのか、って?
はい。
シングルカットだってされたんですから!

そしてミックさま
遂にJAPAN以来の「バンド」を始動。
かねてから親交のあった、英国のニューウェイブでありながら
シュールレアリスムに傾倒した「ゴシックの源流」バウハウス

その首謀者にしてメインボーカル
「ゴスの帝王」ピーターマーフィーとのチームを結成
"Dali's Car"

ポップでありながらアートでシュール
ウォーホルを軽くしのぐ総合芸術だ、と
僕は思います。
ここでのミックさまのベースプレイは
ある意味、彼の頂点の一つと言ってもいいんじゃないかなー
本来の曲のメロディに対してのカウンターメロディ
(いや、もう一つ独立したメロディと云うべきか)
で、ありながら、しっかりボトムの役割も果たし
細かいニュアンスによって曲全体の空気を支配する。
テクニック上も卓越しています。
あらゆる技巧をちりばめ
その結果として「上手いという称賛」ではなく
「シュールさ」を求めるというあたり
ベーシストでもミュージシャンでもなく「アーティスト」である
ミックカーンさまの本領発揮。
そうです、彼は彫刻家でもあります。

(自身の作品とともに)
ギリシャとトルコ、アラブの間に有るキプロス出身らしく
古代へのロマンを感じさせながら
極めて現代的な、テクノ的なシュールさも併せ持つ。


この "Satchimo" という作品
高村光太郎の「手」に匹敵すると思いませんか!

しかしながら、音楽ビジネスに於いては
「アート性」は両刃の剣。
80年代も半ば以降は、音楽ビジネスの中心がアメリカに移り
さらなる「コマーシャリズム」に拍車がかかったことが要因かもしれません
Dali's Car は、その先進性、アートとしての完成度にもかかわらず
セールスは思ったほど振るいませんでした。
ロック界はボンジョビ、LAメタル勢
映画とタイアップしたソフトなロックミュージック
ポップフィールドは、マイケルジャクソンらの
よりビートが売りのブラック系と
シンディローパー~カイリーミノーグ etc
ヨーロッパ系でさえ、ワム!や、スイングアウトシスター。
暗欝で思索的なアートよりも
わかりやすくて軽くて明るく楽しくなる音楽、でないと難しい
そんな時代。
しかしミックさまは自分を決して曲げず
独自の路線を突き進みます。
80年代後半には、ECM系ギターの鬼才
デヴィッドトーンの作品に参加。
ビル・ブラッフォードらと共演を果たします。
ミックさまのさらに上をゆく個性派たちとの共演に
彼も満足げ。
そして、ソロ作ではかつての盟友デビッドシルヴィアンとの曲を発表
これは大きな話題になり
いまだに「JAPAN的なもの」が望まれていることが再認識されました。
恩讐を超えて、JAPAN主要メンバーが再び終結した
"Rain Tree Crow"
アート性をさらに強めた傑作ですが
やはりセールスは振るわず
また、メンバー感の確執も完全には瓦解せず
再びミックさまはソロおよびセッション活動へ。
そして、彼のベースのエッセンスを凝縮した傑作
"Bestial Cluster" 1993年リリース。

キャリアを総まとめにしたような
無国籍サウンドを、当時最新鋭のサウンドに乗せて
ベースのサウンドメイクも抜群の冴え。
同曲のスタジオライブ(レコーディング?)では
完全に「巨匠」の域に達した彼のプレイが観られます。
その後も、テリーボジオとデヴィットトーンとのトリオで臨んだ
前衛ロック "Polytown"
日本のエレクトロニカミュージックの鬼才、半野喜弘とのコラボや
ビビアン・スー、土屋昌巳、佐久間正英、屋敷豪太との"The d.e.p"
布袋さんや SUGIZOさんとのコラボなど意欲作を次々にリリース。
どんな場面でも、強靭なブルーヴと確固たる個性が
ゆるぎない「ヴァイブレーション」を提供することを示しました。
「デヴィッドシルヴィアン抜きのJAPAN」とも言える
"JBK" では、メインヴォーカルも務めました。
(実は、もともとJAPANは結成時、ミックさまがヴォーカルの予定だったとか)
・・・と、上げればキリがない天才ミックさまの活動歴。
僕が個人的に思うミックさまの最高傑作は
1995年リリース "Tooth Mother"

そこに収録された "Thundergirl Mutation"
ベースの音作りからタイム感、
微妙な音程感(ピアノ的な平均律に囚われない)
フレージング
そして、「歌」という解りやすい主題を
あえて外しながらも抽象的にならずに
まるでペルシャの絨毯のように
織り込まれたそれぞれの個性的な色が
全体として「あるイメージ」を強烈にアピールする。
一方
セッションでの最高傑作は
土屋昌巳さまの "Mod's Fish" 1997年

この中に収録された "Sea Monster"
これまた凄すぎる!
当時流行した「ドラムンベース」に乗って
あたかも巨大な海のモンスターが唸りのたうつような
タイトルそのままの世界観。
サウンドももちろん素晴らしく
ベースのフレーズは神がかっているほどに強烈。
パッと聴くと、この独特の雰囲気に流されてしまいそうですが
微に入り細に入り、考え尽された至高の
いや、孤高のベースが堪能できます。
そんなミックカーンさま。
2000年代後半には、がんとの闘病を明らかにしました。
いくら最高のベーシストといえども病魔にはやすやすと勝てず
そして、いくら最高のアーティストであっても
現代のコマーシャリズム最優先のビジネス界にあって
その生活は決して楽とは言えず
治療費もままならずHPなどで寄付を募っていました。
しかしながら、世界中のファンの願いもむなしく
2011年1月4日、鬼籍の人となりました。
あまりにも大きな損失。
70年代後半、ベースと言えば
ブラック系の派手なスラップ
ジャズ系のやたらゴージャスなテクニカル系が注目され
フレットレスベースというフィールドでは
ジャコ・パストリアスを誰もがコピーした時代。
そんな時代に
奇抜なメイクと唯一無二のアート性を背負って
それまでごくマニアのものだった
「パーシージョーンズ系のフレットレススタイル」
を、より噛み砕いて
さらに自身のルーツに根差した独特の感性を加味して
あえてのポップスのフィールドで
ベースが「テクニカル」という意味でなく主役になれる
音楽を決定づけられることを身を持って示し
結果として
80年代以降の音楽構造の在り方
ベースという楽器の立ち位置までも変えてしまった天才ミック。
今頃天国で
あれほど背を向けたジャコと、気軽にセッションしているのでしょうか。
いや、彼自身が強烈に憧れた
サルバドール・ダリと一緒に、なにか
現世では実現できなかったとてつもなく素晴らしいアート作品を
創造しているのかも知れませんね・・・
あらためて、RIP。

(^-^)