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山田忠男のブログ

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神一輪の経綸とはいうが、私は誠に呑み込みが悪いからか?こんな体験があります。
それは、時が合わねば、で思い当たる体験ですが、
一月くらい前のことですが、酔っ払った知り合いが、その人の自宅兼仕事場の事務所で、「太鼓橋渡りなはれ、その奥で黄色いおもちゃを拾うてきなはれ。手のひらに乗るほど小さなおもちゃな」と、深夜過ぎまで話していて、急に改まった口調で言いだしました。
私は何のことか?と思いましたが、住吉大社に参れと言っているのがわかったので、「そのうちに機会見てお参りします」と返すと、「いや、明日、明日の朝参らないかんのや」と背筋伸ばして言います。
それで、朝から自転車で住吉大社まで行きました。
黄色い小さいおもちゃ?なかったら帰りに100均か日本橋のホビーショップで何か買って帰るくらいの軽い気持ちだったんですが、大社につき太鼓橋を渡る辺りですっかりそのことが頭から飛んでました。
四つの本殿をお参りして、裏手の住吉の神様が降臨された楠珺社にお参り済ませて帰ろうとした時、急に大きな声で「おい、黄色いの探せ!」という声が掛かり、その方向を見ると、すぐ近くにいた老夫婦のご主人が奥さんに言っておられました。
そこで黄色いおもちゃの事を思い出して、思わず地面を見ました。間髪入れずに「黄色い松葉や!」
ご主人が奥さんの「黄色い何やの?」という質問に答えていました。
松葉か?初夏に古い松葉を落とす時期のこと、私は黄色い松葉を探しましたが、褐色になった松葉しか見つけられませんでした。
それでも、まあいいか?と、三つばかり拾い上げて、太鼓橋を渡る時に黄色い割石の小砂利も三粒並んで落ちているのも拾い、「大昔の子供のおもちゃ」と自分を納得させて、絵馬殿のベンチでそれらをティッシュに包もうとすると、松葉は褐色から黄色くなっていました。
知り合いには朝から電話を入れて出発しましたが、何か歯切れの悪い応答、
知り合いの家にそれらを届けると、
「これ、ほんまの話か?」
疑いの目を向けられ、何か納得いかずに自宅に戻ると、
部屋に着くなり携帯が鳴り、出ると知り合い、
「ごめん、あの、昨夜かなり飲んでたから、なんも覚えてないんや。で、松葉と石ころは、どういうこと?」
 今は、しっかり松葉と石ころはしっかりお祀りしてますが……

後日、住吉大社にもう一度行きましたが、老夫婦がいたと思っていた場所は、スペースそのものがありませんでした。
現実に斯様なことは起こるんですね。
知り合いからは、
「神様が微かに示される事があっても我々二人気ぃつかんと素通りしてしまうから、ここまで懇切丁寧に示しはるんか?ちょっと情け無いな」
と言われました。