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山田忠男のブログ

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聊斎志異の中の短いお話です。小坊~中坊だった子供の頃、思いっきり心に残ってた話だったので、ネットで原文捜してコピぺして、それにええ加減な訳を付けてみました。(古本屋 の特売品で買った平凡社の中国古典文学大系上下の聊斎志異ひっくり返して探してみましたよう見つけんかったです)


(清の順治帝世のころ、滕、嶧という地域は、十人のうち七人が盗人だったとか。役人もあえて捕まえることをせずに、そのうち帰順させようとしていたそうで、村の役所では(良民)と区別して「盗戸」としたという。大体賊(盗戸)と良民が争うと、役人は心ならずも、盗戸の肩をもった。おそらくは報復のための叛乱が恐かったからだろう。

後に訴訟を起こすものは自分が盗戸であると偽り称し、それに対して恨みを呑む家はその偽りを暴こうと躍起になった。

毎回、原告被告の陳述の時は、訴訟の曲直そっちのけで、先ずは盗戸かどうかの真偽が繰り返し討論されて、両者ヘトヘトになり、役人は戸籍の確認に煩わされたそうだ。

ちょうどその頃、その役場の所轄地域にキツネが多くいて、宰(村長)の娘がキツネに惑わされたそうで、術士を招いて、護符使って、瓶にキツネを封じ込めて、焼き殺そうとすると、キツネは大声で「俺は盗戸だ❗️」って叫んだそうで、周りにいた者みんな思わず笑ってしまった)


(順治間 ,滕、嶧之區 ,十人而七盜,官不敢捕,後受撫、邑宰別之為「盜戶」。凡賊與良民爭,則曲意左袒之、蓋恐其復叛也。後訟者輒冒稱盜戶,而怨家則力攻其偽;每兩造具陳 ,曲直且置不辨,而先以盜之真偽,反覆相苦,煩有司稽籍焉。適官署多狐,宰有女為所惑,聘術士來,符捉入瓶,將熾以火,狐在瓶內大呼日:「我盜戶也!」聞者無不匿笑。)




   





順治年間に ,滕、嶧の地域では、十人の人がいたら七人が盜人であって,官吏も敢て捕らえずに放置し,官権に帰順させようと考えていた。(これらの盗人を)地方の役所は「盜戶」として(良戸とは)別にした。凡そ盗戸と良民が爭うと,結果として、官吏は本意を曲げて盗戸に加担した。おそらく、彼らがまた官憲に謀反することを恐れたのである。そこで、後に訴訟する者は盜戶を騙り称し,それに対して怨みを持つ家は、その偽りを暴こうと努めた;毎回(訴訟のたびに)原告被告の両者が、その真偽をこまごまと陳述し、訴訟自体の曲直は、わきに置かれて弁論されず,先に盜戸の真偽が,反覆して討論されて双方とも互いに苦心し、裁判の役人は、盗戸の戸籍の確認に忙殺されたものだった。この役所の所轄地域には、多くの狐がいて,村長の娘が狐に惑わされた。術士が招聘されやって來て,護符を用いて狐を捉え瓶に入れた。すると狐は瓶の中で火を燃やし,大声で叫んだ「私は盜戶である!」これを聞く者は、皆笑いを隠す者はなかった。




  順治間,滕、嶧之區,十人而七盜,官不敢捕。後受撫,邑宰別之為「盜戶」。凡值與良民爭,則曲意左袒之,蓋恐其復叛也。後訟者輒冒稱盜戶,而怨家則力攻其偽;每兩造具陳,曲直且置不辨,而先以盜之真偽,反復相苦,煩有司稽籍焉。適官署多狐,宰有女為所惑,聘術士來,符捉入瓶,將熾以火。狐在瓶內大呼曰:「我盜戶也!」聞者無不匿笑。

  異史氏曰:「今有明火劫人者,官不以為盜而以為姦;踰牆行淫者,每不自認姦而自認盜:世局又一變矣。設今日官署有狐,亦必大呼曰『吾盜』無疑也。」

  章丘漕糧徭役,以及徵收火耗,小民常數倍於紳衿,故有田者爭求託焉。雖於國課無傷,而實於官橐有損。邑令鐘,牒請釐弊,得可。初使自首;既而奸民以此要上,數十年鬻去之產,皆誣託詭挂,以訟售主。令悉左袒之,故良懦者多喪其產。有李生為某甲所訟,同赴質審。甲呼之「秀才」;李厲聲爭辯,不居秀才之名。喧不已。令詰左右,共指為真秀才。令問:「何故不承?」李曰:「秀才且置高閣,待爭地後,再作之未晚也。」噫!以盜之名,則爭冒之;以秀才之名,則爭辭之:變異矣哉!有人投匿名狀云:告狀人原壤,為抗法吞產事:身以年老不能當差,有負郭田五十畝,於隱公元年,暫挂惡衿顏淵名下。今功令森嚴,理合自首。詎惡久假不歸,霸為己有。身往理說,被伊師率惡黨七十二人,毒杖交加,傷殘脛肢;又將身鎖置陋巷,日給簟食瓢飲,囚餓幾死。互鄉地証,叩乞革頂嚴究,俾血產歸主,上告。」此可以繼柳跖之告夷、齊矣。


[異史氏曰く(作者蒲松齢さんの独り言……)

今やたいまつつけて押し込みしたものを、役人は(叛逆行為する奴と混同しないため)盗と言わず姦という。で塀乗り越えて淫行やったものは、姦とは自認せず盗と自認する。世の中変わっちまった。 (姦通言われるより謀反人言われる方がいいらしい)。もし今役所あたりにキツネがいれば、こいつら絶対「俺は盗賊だっ」て叫ぶのは間違いなし。


山東省の章丘の(年貢として穀類を船便で北京に送る)漕糧の夫役と、(政府で徴収する租税として使われる、馬蹄形の純銀の延べ棒の鋳造の時の目減り分の足し前のための)火耗銭の徴収は、(地域の有力者や上流階級である)紳衿よりも小民の負担が常に何倍も重かったから、田畑持ちは先を争い紳衿の名義にしてもらっていた。国の課税には支障ないけど、実際上役所の懐には、きつい損失。

で、邑令(県知事)の鍾は、牒つまり公文書でこの弊害を改めたいと請い、許可を得たそうな。それで手始めに自己申告させることにした。そうするとやがて、奸民はこれ幸いと ネタにして数十年来紳衿たちに売り渡した資産を、みな、名義を借りたのだとか、偽って登録したのだなどと 申し立て、売った相手を訴えた。邑令はことごとく奸民の言い分を認めたため、善良でおとなしい人はその財産を多く喪ってしまった。

紳衿である李生員という人が某甲に訴えられ、甲とともに質審の場に赴いた。(生員は中国明朝及び清朝において国子監の入試である院試に合格し、科挙制度の郷試の受験資格を得たもののことをいう。秀才と美称された)

甲が李を「秀才」と呼ぶと、李は声をはげまして抗弁し、秀才という呼びかたを受け付けない。さわぎがおさまらぬので、邑令が側近に真偽をただすと、みんな指さして、本当に秀才です、と言う。そこ邑令が、

「なぜ不承知のだ?」

と聞くと、李は言った。

「『秀才』は一旦高閣に置いておいて、地権争いがすんでからまた取り出しても晩くはありませんからね」

ああ、盗の名は、争ってこれを詐称し、秀才の名は、争って辞退する。なんという変異だ。


ある人が匿名の訴状を投下  それにはこう書かれていた

告訴人   原壌

               不法に資産を奪われた件

私は

寄る年波に夫役に当たること能わず、負郭の田が五十畝ございましたのを、隠公の元年、ひとまず悪紳衿顔淵の名義で登記してもらいました。今や政令冒し難く、当然お届けいたさねばなりませぬ。ところがなんと 悪紳衿めがいつまでもそのままにして返さず、むりやりにお己のものにしてしまったのでございます。私が参って道理を主張しましたところ、彼奴の師匠に悪党七十二人をひきい、かわるがわるしたたかに杖で打擲されて、脛をぶち折られたうえ、 身を陋巷に幽閉されて、日々給されるのは、一箪の食、一瓢の飲、おかげで危うく飢え死をするところでございました。互郷の土地台帳にもとづき、名義の書き替えを厳重に糾明し、血の財産を持ち主に返させてくださいますよう、頓首してお願い申し上げる次第でございます。

    上告

この人は、柳跖の伯夷・叔斉の告発を承け継げよう。]



異史氏曰く  ーー

いま たいまつをつけて押し込みをはたらいたものを、官では、「盗」とせずに「姦」とし(叛徒と混同せぬよう、)塀を  のりこえて姦淫を行なったものは、「姦」と自認せずに「盗」と自認する。(押し込みと混同されぬよう)世相がなんと一変してしまった のだ、(姦《まおとこ》よりも盗《むほんにん》の方がよしとされるとは、)

 もし今日、官署に狐がおれば、これもかならず、「俺は『盗』だぞ」と叫ぶこと疑いない。

章丘(山東省) の漕糧の夫役と火耗銭の徴収とは、細民が常に郷紳よりも何層倍も重かったから、田畑を持っているものは争って郷紳の名義にしてもらった。国の課税には支障がないとはいえ、実際上役所の財布には響くのである。

かくて県知事の鍾は、公文書をもって弊風を改めたいと願い、その許可を得た。そこで、手始めに届け出させることにした。すると、やがて奸民どもがこれをたねに郷紳をおびやかし、数十年来郷紳たちに売り渡してきた資産を、みな、名義を借りたのだ、偽って登録したのだ、と 申し立てて、売った相手を訴えた。だのに、知事がことごとくこれに贔屓したから、善良でおとなしいものは多くその財産を失ってしまった のだった。

郷紳の李生員が某甲に訴えられ、いっしょに対審に出頭した。甲が李を「秀才」と呼ぶと、李は声をはげまして抗弁し、秀才という呼びかたを受け付けない。さわぎがおさまらぬので、知事が側近に真偽をただすと、みんな指さして、本当に秀才です、と言う。そこで知事が、

「なぜ嫌うのだ?」

と聞くと、李は言った。

「『秀才』はさしあたりお倉に入れておいて、土地の争いがすんでからまた取り出したって晩くはありませんのでね」

ああ、「盗」という呼びかたを採れば、争ってこれを詐称し、「秀才」という呼びかただと、争って辞退する。なんたる異変だ。

だれやら匿名の訴状を投げ込んだものがあったーー

告訴人   原壌

               法に背いて資産を横領された件

私こと

寄る年波に夫役に当たることができませず、、負郭の田が五十畝ございましたのを、隠公の元年、ひとまず悪郷紳顔淵の名義で登記してもらいました。今や政令冒し難く、当然お届けいたさねばなりませぬ。ところがなんと 悪郷紳めがいつまでもそのままにして返さず、むりやりにお己のものにしてしまったのでございます。私が参って道理を主張しましたところ、彼奴の師匠に悪党七十二人をひきい、かわるがわるしたたかに杖で打擲されて、脛をぶち折られたうえ、 身を陋巷に幽閉されて、日々給されるのは、一箪の食、一瓢の飲、おかげで危うく飢え死をするところでございました。互郷の土地台帳にもとづき、名義の書き替えを厳重に糾明し、血の財産を持ち主に返させてくださいますよう、頓首してお願い申し上げる次第でございます。

    お係様

こいつは、柳跖の伯夷・叔斉の告発を承け継げよう。