ウクライナとロシアの戦争、そしてイスラエルとパレスチナの戦争。

最近の戦争を見ていると「ユダヤ人」の存在を感じます。
「ユダヤ人」について語る多くの書物がありますが、今のところ読んではおりません。

私から見える世界ですので、その辺りはご了承下さいませお願い

 


ベアテ・シロタ・ゴードン氏のウィキです。
 

 

スクリーンショットです。



 

 

 

 

 

ベアテ・シロタ・ゴードン氏の両親のことに注目しました。


「軽井沢の別荘(旧有島武郎別荘「浄月庵」 )へ強制疎開させられていた両親は、終戦直前の1945年7月31日、一週間後に警察への出頭を命じられた。 一週間後の8月6日、米国は広島市に原爆を投下。出頭しなかったが、憲兵は現われず、翌日も翌々日も連絡がなく、やがて1945年8月15日、ポツダム宣言を受諾した日本が降伏し敗戦を迎えたため、両親は官憲の追及を免れた。」

「強制疎開」の言葉に注目しましたが、軽井沢の別荘とは…
「収容施設」と違うニュアンスですよね。「強制労働」もありません。

日本は先の大戦でドイツと同盟を組んでいたのに、政府はユダヤ人夫妻を大事に匿ったという見方になるのでしょう。


「乃木坂のシロタ家では、母オーギュスティーヌがたびたびパーティを開き、山田耕筰や近衛秀麿(近衛文麿の弟)、画家でロシア文学教師のワルワーラ・ブブノワやその妹でヴァイオリニストの小野アンナなどの芸術家・文化人、在日西欧人や訪日中の西欧人、徳川家、三井家、朝吹家など侯爵や伯爵夫人らが集まるサロン(社交場)となる。」

日本のエスタブリッシュメントの方々と深い関わりがあったご夫妻であることも理由ですよね。

 

 

見出しだけ、スクリーンショットしました。


「ベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon)さんは、GHQ民政局員として日本国憲法草案作成に携わり、第14条「法の下の平等」、第24条「両性の平等の原則」の条文を作成しました。1990年頃からは、日本各地で講演活動を活発に行いました。」


この一文からやウィキペディアを見ても「憲法9条」については関わっていないように見受けられます。

憲法9条を保持したい勢力の人達を考えると、このベアテ・シロタ・ゴードン氏を祀り上げたいのかなと、勝手に思い込んでおりましたからウインク


生前のベアテ・シロタ・ゴードン氏と直接お目にかかった人の話によると、大変チャーミングな方だったそうです笑ううさぎ笑ううさぎ笑ううさぎ

子供の頃、若い頃、晩年の頃の写真を拝見しても大いに納得です。

また、とても謙虚な方ですよね。


「戦後米国でのジャパン・ソサエティー、アジア・ソサエティー活動で活躍したベアーテだが、1990年代半ばまで自らが憲法草案に関わったことは公表していなかった。その理由について「(法律の専門家でもない22歳の女性だった)自分の存在が改憲派の学者に悪いように利用されると思っていましたから」という。実際、ベアーテは通訳として日本側との交渉に同席した自分を「ハデな化粧と服装(の女)」と揶揄する文章を目にしたことがあるという。ただ、憲法制定過程について発言してきた元上官ケーディスが自らの高齢を気にかけ、生き証人としての役割をベアーテに求めると「ケーディスさんが女性の権利起草についてみなさんに話しなさい、というんですもの。何年たってもボスの命令には逆らえませんから」と重い口を開き始めた。」

それにしてもお父様も律儀な方です!

「東京音楽学校に対する契約履行義務を盾に「私を待っている生徒たちがいるのだから戻らないといけない」と反論し、両親は(ホノルル)一ヶ月の滞在の後、9月になって日本に向かう船に乗ってしまった。」

日米開戦が始まることを恐らく予想しながらも、学校との約束を反故することが出来ないからって理由ですけど、ご立派な方ですね。

お母様もご立派です。

だって、お母様はアメリカに残ることを望んでいたのに、一緒に日本に付いて来たのですから。

娘を米国に残し、夫婦は敵国になるかもしれない国に戻るってびっくり

今、大河ドラマで「どうする家康」が放映されていますから、関ヶ原の戦いでの真田家のことを思い出しました。

父・昌幸と幸村が石田三成の西軍に味方し、信之は徳川家康の東軍へ。

家族がそれぞれ別れて、家を守るということ。

こういうエピソードは日本人好きですからね。

ゴードン家の皆様が果たして「シオニスト」であったかは解りませんが、流浪の民である「ユダヤ人」の運命なのでしょう。

ユダヤ人が生き残る為に、語学の習得と芸術や学問などが大事であり、国の有力者と親しくなることが必須であるようです。