大河ドラマでは「どうする家康」見ております。
松潤はドラマ『きみはペット』を見てからファンです。
今回のジャニーさん問題、1988年元フォーリーブスの北公次が暴露本出していたのを知っているし、何を今さらって感じがします。
ジャニーズに入門することは、そういうリスクがあると理解している男の子が応募すると思っておりました。
芸能界こそ「枕営業」ありきだと。
マスコミなんて、そんな当たり前の事実を知っているのにね。
国連人権理事会の専門家が来たっていうのも、日本バッシングの活動なのでしょう。
むかーし、嵐のファンから聞いたこと。
「嵐は特別だから、嵐専属の夜のお姉さまが手ほどきをしていた」と。
その話には納得です。
だって、松潤のあの色気!
若くして醸し出せるものではありませんから。
話が変わります。
先日、湯島聖堂を訪れた際に見つけた会報です。
漢字が書くことが苦手であり、識字障害かもしれない…と考えている私なのですが、読むことは出来ます。
(識字障害であるディスレクシアについては、また別の機会に…)
新漢字文化なる会報の「会長 徳川斉正」氏の名前が飛び込んできました。
この会報によると、かつての藩主同志の交流あると。
ちなみに、この徳川斉正氏は水戸藩でありますから、我が家のご先祖様のお勝の方と大変ご縁が深いです。
つい、先日も稚拙ブログで触れました。
会報を見つけたことでシンクロニシティが発動したようです。
徳川斉正氏は「江戸時代は封建時代であり、将軍が駄目と言えば駄目だが、将軍が全部決めていたわけではなく幕閣が合議の上で政策を決定し、将軍に許可をもらい実行していた。今の政治の仕組みの礎はこの時代から出来上がっているのではないか。」
とても納得する一文であります。
徳川斉正氏は「東京海上日動火災保険常勤顧問」の肩書がありました。
江戸城天守を再建する会の会長、太田資暁氏(太田道灌18代子孫)の経歴も「東京海上専務、東京海上あんしん生命社長」ですから、お二人は繋がりがおありなのでしょうね。
次に続く徳川家広氏の見解も「あ~なるほど」と。
「(豊臣)秀吉が位人臣を極めたことから「自分も頑張れば何とかなるかも」と考える日本中にあふれてしまった。
また、秀吉は朝鮮出兵を行った。戦争自体は失敗であったが、日本兵は勇敢に戦い、おかげで日本人は強国意識に目覚めてしまった。江戸時代になっても「朝鮮出兵がまたあれば、手柄を挙げて出世できるのに」などと考える庶民が、特に西日本には数多く存在していた。」
稚拙ブログに書いた江藤淳氏の祖父、江頭安太郎氏の話と結びつきました。
軍隊に行くことで国に忠誠心を示せるし、そこで手柄を立て出世した人生を物語っていると思います。出自は関係ありませんから。
海軍中将になった祖父の江頭安太郎の存在があったからこそ、江藤家が台頭したのでしょう。
この会報の最後のページにあった「追悼 石川忠久先生」
どんな方かウィキペデイアで調べてみました。
1932年、東京府豊多摩郡代々幡町(現 渋谷区代々木)生まれであり、東京大学を卒業と。
演出家で俳優の野田秀樹と似ている経歴のような…
野田秀樹は渋谷区幡代小学校の卒業であります。
東京大学は中退していますが、演劇の世界に学歴は必要ありませんしね。
「代々幡」地域と言えば「初台の局」と徳川家の繋がりがあります。
初台局は、第2代将軍・徳川秀忠の乳母でもありますから。
「初台の局」をググったところ…
「湯島と代々木に二つの専西寺が置かれることになった」とあるので、この石川忠久先生は「初台の局」に見込まれた人物だったのでしょう。
時空を超える話に聞こえるかもしれませんけど、見えない力があるような…
そうそう、時空を超える話って、野田秀樹が最も得意とするお話です。
「初台」をググったところ…
(初台の)地名の由来は、代々木村に太田道灌が作った8か所の砦の内、一の砦(狼煙台)のあった場所から、初台と呼ばれるようになったといわれる。
このブログを書いて初めて知った事実!
父は私に一言も言わなかったから、知らなかったのでしょう。
だって、知っていたら自画自賛したハズですから。
これも不思議なシンクロニシティでありました。