春夏秋冬✦浪漫百景

春夏秋冬✦浪漫百景

季節の移ろいの中で...
歌と画像で綴る心ときめく東京千夜一夜物語

チムチムチェリー

Chim Chim Cheree

映画「メリー・ポピンズ」 チム・チム・チェリー Chim Chim Cheree

Original Soundtrack Recording

ミュージカル 「メリー・ポピンズ」 の中に出てくる曲です。 

題名の意味は “煙突そうじ屋さん” というような意味で、

大変陽気な歌詞がついています。

1964年アメリカ制作。

映画は実写とアニメが合成されたミュージカル仕立てになっており、

監督はそれぞれ、

ロバート・スティーヴンソン(実写)とハミルトン・ラスク(アニメ)が務めました。

主演はジュリー・アンドリュース(メリー役)、

共演にはディック・ヴァン・ダイク(バート役)のほかデヴィッド・トムリンソン、

グリニス・ジョンズ(バンクス夫妻)が出演してます。

音楽はシャーマン兄弟(兄:ロバート、弟:リチャード)による作詞・作曲で、

アカデミー賞を受賞してます。

この映画は他にジュリー・アンドリュースが初主演でアカデミー主演女優賞にも輝きました。

チム・チムニー(煙突)
チム・チムニー
チム・チム・チェリー
煙突掃除はこの上なく幸運

チム・チムニー
チム・チムニー
チム・チム・チェルー
幸運は移る 握手した時に

それか投げキッスでも
それもラッキーなことさ

はしごの生活は緊張しっぱなし
君は思うかもしれない
煙突掃除なんて最下層の仕事だって

いつも灰と煙まみれだけど
この世界でこんなに幸せな奴はいない

チム・チムニー
チム・チムニー
チム・チム・チェリー
煙突掃除はこの上なく幸運

チム・チムニー
チム・チムニー
チム・チム・チェリー
幸運は移る 握手した時に

Chim Chim Cheree

チムチムチェリー/倍賞千恵子

訳詞:あらかわひろし 作詞:Richard Sherman 作曲:Robert Sherman 編曲

小川寛興 ディズニー映画「メリー・ポピンズ」(1964年)挿入歌 

昭和46年発売「ディズニーの楽しいおとぎの世界」に収録

このアルバム全28曲中、半分近い13曲を歌っている倍賞千恵子さんは、

ディズニーの歌にふさわしい声の持ち主です。

澄んだ透明なソプラノで、ひとつひとつの楽句をていねいに歌いあげています。

JULIE ANDREWS

Mary Poppins

 

巨人V9の真実~それは日本野球の革命だった~

巨人のV9は1965年(昭和40年)から始まっている。

同級生のほとんどが巨人ファンで、アンチジャイアンツの僕は肩身が狭い思いをした。

因みに、僕は弱い時代から現在まで生粋の広島カープファンである。

巨人は優勝を逸するイメージは小学生~中学生だった僕にはほぼなかったと記憶している。

 

日本におけるスモールベースボールの先駆けとなった。

このV9の時期はまた、日本の高度経済成長期とほぼ重なり、

その終焉もオイルショックによるそれの終焉と同時期であった。

このことから、時代を象徴する出来事の一つとして語られることも多い。

1960年代前半に普及したテレビ中継とともに巨人は爆発的な人気を獲得し、

「子供の好きなものといえば『巨人・大鵬・卵焼き』」という言葉ができるなど、

V9が始まる前に社会現象となっていた。

なお、これをもじった、

「大人の好きなものは『大洋・柏戸・水割り』」などの対語も見られる。

いわゆる常勝軍団。

それは川上哲治という指揮官によって成立したものだということがよくわかる。

 

V9時代の主要メンバーには、以下の選手たちが挙げられます。

  • 野手:

    • 長嶋茂雄(三塁手)
    • 王貞治(一塁手)
    • 柴田勲(外野手)
    • 高田繁(外野手)
    • 末次利光(末次民夫)(外野手)
    • 黒江透修(遊撃手)
    • 土井正三(二塁手)
    • 森昌彦(捕手)
    • 吉田孝司(捕手)
  • 投手:

    • 城之内邦雄
    • 渡辺秀武
    • 堀内恒夫
    • 高橋一三
    • 倉田誠
    • 宮田征典
    • 金田正一

 

堀内恒夫は、

1965年の第1回ドラフト会議で巨人から1位指名されて入団したピッチャーだ。

入団と同時に川上監督から言われたことは

「三振を取る、完封する、完全試合をするのが野球じゃない。

1点でも多く点を取って、1点でも少なく点を取られないことが肝心だ」。

その土台となったのが、アル・カンパニス著「ドジャースの戦法」。

1956~59年まで巨人はセ・リーグで優勝するも、

日本シリーズで負けて4年連続日本一を逃していた。

1961年、巨人軍はドジャースのキャンプ地であるアメリカのベロビーチを視察した。

「1つのボールに対し、9人の選手全員が繋がっている」。

点を与えない野球、守備の野球を徹底的に学んだ。

 

すなわち、チームプレーだ。バントシフトを徹底した。

ファーストは前進し、セカンドは一塁をカバー、ショートが二塁をカバーする。

そして、細かいサイン。

実に100種類もの複雑なサインを覚えさせ、

ミーティングは新聞記者などはシャットダウンし、「哲のカーテン」と呼ばれた。

また、リリーフ専門のピッチャーを作った。

宮田征典は「8時半の男」という異名を取り、抑えだけで20勝を挙げた。

 

1965年から3年間は2位中日に対し、10ゲーム以上の差をつけて優勝した。

65年~67年、王貞治はホームラン王と打点王に。

66年は長嶋茂雄が首位打者になった。

まさに鬼に金棒の野球で、それまでの西鉄のV3の記録を塗り替えた。

 

大洋に入団した平松だが、巨人戦で活躍できないでいた。転機は入団3年目。

ベテラン選手から「ストレートとカーブしかないのか」と言われ、

社会人野球時代に一度だけ教わったシュートを思い出し、投げてみた。

「長嶋に打たれたら一人前じゃない。平松はすごいと思われたい」。

その一心でバッターボックスの長嶋に向かった。通算181打席35安打。

生涯打率3割5厘の男を1割9分3厘に抑え、

長嶋が「あのボールはカミソリみたいだよ」と言ったのがカミソリシュートの名前の由来だ。

 

打倒巨人。平松以外にも、阪神の江夏豊、中日の星野仙一ら巨人キラーが現れた。

巨人は2位とのゲーム差を65年から67年までは10ゲーム以上引き離していたが、

68年から70年は数ゲーム差と接近された。点を取りながら、点をやらない。

機動力と守備の川上野球が他球団のチーム力を底上げしたことは間違いない。

 

ペナントレース
  1965 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 1973
1位 巨人 巨人 巨人 巨人 巨人 巨人 巨人 巨人 巨人
2位 中日 中日 中日 阪神 阪神 阪神 中日 阪神 阪神
3位 阪神 阪神 阪神 広島 大洋 大洋 大洋 中日 中日
4位 大洋 広島 大洋 サンケイ 中日 広島 広島 ヤクルト ヤクルト
5位 広島 大洋 サンケイ 大洋 アトムズ 中日 阪神 大洋 大洋
6位 サンケイ サンケイ 広島 中日 広島 ヤクルト ヤクルト 広島 広島

 

V9の後半は重圧との闘いで苦戦を強いられた。

柴田、高田、王、長嶋、末次、黒江…と続く不動のラインナップも高齢化が進んだ。

世界のホームラン王、王貞治も1971年には、

それまで続いていたホームラン40本の記録が途切れ、3年連続首位打者もその座を譲った。

そして、守備の要であるキャッチャーの森祇晶の肩の衰えも目立ってきた。

1971年の阪急との日本シリーズは、盗塁王の福本豊を徹底的に封じ込める作戦が取られた。ピッチャーの堀内は投球フォームを変え、森もスローイングの訓練を繰り返した。

第1戦、9回に福本が出塁して逆転のピンチになるも、

盗塁を刺して点を与えるチャンスを防いだ。

1972年も同じ阪急との日本シリーズ。

9回逆転のピンチでピッチャーが関本から堀内に交代。

バッター岡田はバントを試みるが、

セカンドの土井がショートの黒江に三遊間寄りに守るように指示したことが功を奏して、

ピンチを切り抜けた。ドジャース戦法の賜物だった。

1973年は2位阪神と0.5ゲーム差でセ・リーグ優勝をもぎとるも、

長嶋が骨折で日本シリーズを不出場。他の選手たちが長嶋の穴を埋めるべく奮戦した。

対戦相手の南海は野村克也が捕手兼任監督。

ワンアウト1塁2塁のチャンスでバッターボックスに立った堀内に対し、

野村は「バントやろ」と得意のささやき戦法を試みるも、

何とレフトスタンドに飛び込むホームランを放った。

こうして、9年連続日本一、V9を達成した。

 

日本シリーズ
1965年 巨人 4-1   南海
1966年 巨人 4-2 南海
1967年 巨人 4-2 阪急
1968年 巨人 4-2 阪急
1969年 巨人 4-2 阪急
1970年 巨人 4-1   ロッテ
1971年 巨人 4-1   阪急
1972年 巨人 4-1   阪急
1973年 巨人 4-1   南海

だが、翌1974年には中日が優勝。

長嶋は引退し、川上監督も勇退、そして森も退団した。

まさにV9戦士が終焉を迎えたのだった。

「皆で勝とう」と結集した巨人の選手たちの野球の原点は、

1961年のベロビーチで学んだドジャース戦法にあったと森は振り返った。

そして、現在の大リーグにも通用する日本の緻密な野球につながっているのだと感じた。

 

記録としては意外にも、

V9期間中に規定打席に到達しての打率3割は王・長嶋以外誰も記録できず、

本塁打数30本以上を記録したのも王(9回)と長嶋(3回)の2人だけであった。

V9時代のエースだった堀内恒夫も、当時は自分と高橋一三しかいなかったと語っており、

この2人が先発した2日後にはリリーフで登板するなど、フル回転でチームに貢献した。

9年間を通じて、日本シリーズで第7戦までもつれこんだことは一度もなかったが、

逆に無傷の4勝もなかった。

4勝1敗(V1、V6からV9)または4勝2敗(V2からV5)で日本一を達成している。

 

 

男と女

Un Homme Et Une Femme

「男と女 Un Homme Et Une Femme」サウンドトラック、Soundtrack

1966年のフランスの恋愛映画。監督はクロード・ルルーシュ。

出演はアヌーク・エーメとジャン=ルイ・トランティニャンなど。

第19回カンヌ国際映画祭でグランプリ(当時)を受賞し、

ルルーシュの名を世界に知らしめた。

クロード・ルルーシュの盟友である、フランシス・レイが担当している。

「ダバダバダ」のスキャットが全編に流れる主題歌は非常に有名で、

後に様々なアーティストにカバーされている。

歌っているのは、フランシス・レイの盟友であり、

出演もしているピエール・バルーと、

『愛と哀しみのボレロ』や『個人教授』で歌声を披露している

ニコール・クロワジール(フランス語版)である。

なお、この映画中の曲「サンバ・サラヴァ(邦題:男と女のサンバ)」は、

ヴィニシウス・ヂ・モライスとバーデン・パウエルが作った曲

「サンバ・サラヴァ」をピエール・バルーがフランス語に訳して自ら歌ったものである。

たちきれぬ過去の想いに濡れながら 

愛を求める永遠のさすらい...

その姿は男と女 

 (1966年劇場公開当時のキャッチコピー)

Un homme et une femme

      死因はいまも闇の中…謎の最期を遂げた伝説のハリウッド

栄光とスキャンダルの果てに…映画史に残るミステリー

夢と希望であふれるハリウッドの世界の裏、数多くの謎が残る死を遂げた女優たちがいる。
順風満帆なキャリアに突然訪れた死は、スターが抱える闇ゆえの自殺か、
偶然の事故か、はたまた恨みを買ったことによる他殺か…?
 
事故死判断に疑問の声も

ナタリー・ウッド(1938-1981)

代表作:『捜索者』(1956)、『ウエスト・サイド物語』(1960)


 ハリウッド黄金期を彩った名女優の1人、ナタリー・ウッド。

その華やかなキャリアとは対照的に、彼女の最期はいまなお謎のままとなっている。

 

 ナタリー・ウッドは1938年7月20日、

アメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコに生まれた。

ロシア系移民の家庭に育ち、幼い頃から映画界で活動を開始。

子役として頭角を現し、1947年公開の『三十四丁目の奇蹟』で一躍注目を浴びた。

 

 思春期以降も着実にキャリアを重ね、

1955年の『理由なき反抗』ではジェームズ・ディーンと共演。

揺れ動く少女の心情を丁寧に描き出し、アカデミー助演女優賞にノミネートされている。

 

 さらに『草原の輝き』(1961)では主演女優賞候補となり、

同年公開の『ウエスト・サイド物語』で演じたマリア役は世界的な成功を収め、

純粋さと情熱をあわせ持つヒロイン像は、彼女の名を不動のものとした。

 そんな人気女優のナタリー・ウッドが亡くなったのは1981年11月29日。

映画の撮影休暇中、夫で俳優のロバート・ワグナーや、

共演者のクリストファー・ウォーケンらとヨットで過ごしていた際に行方不明となり、

後に海で遺体が発見された。

当初は事故として処理されたものの、

正確にどのような経緯で水中に転落したのかは特定されていない。

 

 しかし、遺体には打撲や擦り傷の痕跡が確認され、

当初の事故死判断には不確定な要素があるとの指摘が出た。

そのため、公式報告書では2000年代に死因の表記が、

「事故」から「溺死やその他の不明要因」へと変更された。

 

 さらに2011年には、ヨットの船長デニス・ダバーンが警察に新たな証言を行い、

死亡前にウッドと夫ロバート・ワグナーの間で口論があった可能性が浮上。

これを受けて捜査が再開された。

目撃証言や関係者の証言が再検討され、2018年にはワグナーが捜査対象の1人とされたが、

その後、関与を示す決定的な証拠は確認されていない。

 

 こうした経緯から複数の見方が報道やネット上で語られているが、

真相はいまも明らかになっていない。

 

 

《出典「映画チャンネル」》

追憶

The way we were

「追憶 The way we were」バーブラ・ストライサンド、Barbra Streisand

1973

作詞はアラン・バーグマン(Alan Bergman)とマリリン・バーグマン(Marilyn Bergman)夫妻、

作曲はマーヴィン・ハムリッシュ(Marvin Hamlisch)。

1973年アカデミー主題歌賞を獲得した。

解説 

バーブラ・ストライサンドとロバート・レッドフォード共演による恋愛ドラマ。

 1937年、

大学の創作クラスで出会ったケイティ(ストライサンド)とハベル(レッドフォード)の、

その後20年にわたる愛の変遷を激動の時代を背景に描き出す。 

監督は「雨のニューオリンズ」「ひとりぼっちの青春 」のシドニー・ポラック。

the way we were 過去形なので「あの頃の私たち」 の意味。

 and yet は「それなのに」という意味。

Memories Light the corners of my mind Misty watercolor memories 

Of the way we were Scattered pictures 

Of the smiles we left behind Smiles we gave to ...

「THE WAY WE WERE/BARBRA STREISAND」

 

『高校教師』1993

1993年1月8日から3月19日まで放送された日本のテレビドラマ。

脚本は野島伸司。主演は真田広之と桜井幸子。

TBS系列「金曜ドラマ」枠で、毎週金曜22:00 - 22:54に放送された。

 

 

概要

教師と生徒の恋愛・同性愛・強姦・近親相姦・自殺など、

当時すでに問題となっていた「社会的タブー」を真正面から扱った作品として

大きな反響を呼んだ。

「登場人物らの背景に何があるのか」「最終回の結末はどうなったのか」など、

サスペンスの要素を織り込んだことも反響に拍車をかけた。

本作と同じく野島伸司脚本のTBS金曜ドラマ(22時台)枠で放送された、

1994年の『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』、1995年の『未成年』と合わせて、

一般的に「TBS野島三部作」と呼ばれる

高校のロケ地は日本基督教短期大学で、一部シーンでは宗教団体の施設を利用している。

また、

最終回の舞台となったJR信越本線の青海川駅(野島伸司の出身地の新潟県柏崎市にある)

ロケ地巡礼に訪れる視聴者が増加した。

 

 

主人公とヒロイン

羽村 隆夫〈32〉
演 - 真田広之
主人公。出生地と実家は新潟県。家族構成は両親と兄。
父親は病弱で肝臓病を患っている。
もともとは大学の研究室で三沢教授の助手をしていたが、
三沢教授の娘の千秋と婚約直後、教授の紹介で日向女子高校へ理科の講師
(科目は生物)として赴任。下北沢のアパートで一人暮らし。
年度末である3月で契約を終え、研究室に戻るつもりでいたが、
千秋の本心を知って破談になった直後、実は教授から疎まれており、
千秋との縁談は論文を盗作したことへの口封じであったことと、
結婚しても研究室へは復帰できなかったことが露見する。
運動は苦手だが、一時期はバスケットボール部の顧問を担当する。
時に孤独な一面を持ち、繊細で温厚で人当たりはいいがお人好し、
そして良識的な性格だが、二宮繭との出会いで変化していく。
また、千秋からは「話が退屈で基本的につまらない人」、
田辺からは「知性があって繊細で少し幼児性を残している所も魅力的」と評される。
その一方で自分の都合が悪くなると意見すら言えないほど沈黙を決め込んだり、
時には奇声を発して暴れたりするなど、精神的に幼い一面もある。
終盤では新東京国際空港で耕介をノミで刺した。
そして実家のある新潟へ繭とともに逃亡する。
 
 
二宮 繭〈17〉
演 - 桜井幸子
高校二年生のヒロイン。一見、明るく自由奔放な性格だが、陰のある少女。
2年B組出席番号22。昭和50年生まれで星座は蟹座。
血液型はO型。ブルボンのエリーゼが好物。自宅は浜田山駅近辺。
定期券の期限切れで駅員に注意されていた時に羽村に助けられる。
初対面時から羽村に好意を寄せ始めて付きまとうようになる。
普段は控えめながら芯の強い性格だが、好意を寄せる羽村絡みのことになると、
突発的な行動も見られる。また羽村や直子など親しい人の前では笑顔でよく喋るが、
それ以外の人の前では無愛想なことが多い。
嫌われたりいじめられたりしている様子は見られないが、相沢直子以外に友人はおらず、クラスでは半ば孤立している。
父子家庭で父親と2人暮らし。父親に干渉されることを嫌ってはいるが、
父の製作活動時は作業中に出たゴミを拾ったり道具の準備などを手伝う。
母親を15歳の時に心臓病で亡くしており、存命していた頃は憎悪を向けられていた。
母親が亡くなる数年前から、父親からの倒錯的な溺愛に悩む。
運動神経は抜群で持久走では先頭に立つほどであるが、
一方で「家庭科は得意」というものの、
裁縫に関しては指を絆創膏だらけにしてしまうほどであり、器用とはいえない。
作中では、時々自身と羽村を猫のキャラに見立てたイラストを描いている。
終盤で父親と海外に引っ越そうとするが、空港に現れた羽村が父親を刺し、
重傷を負った父親の希望で自宅へ戻ることになる。
エンディングの解釈
青海川駅

作中、羽村によるモノローグが「過去形」になっていることから、

最終話のラストシーンについては、当時から謎とされて視聴者により議論がなされ、

心中説 (2人とも死亡。最も一般的な解釈とされる) 
自殺説 (羽村のみ死亡し、走馬灯を見ている) 
居眠り説 (駆け落ちor心中しに行く途中)
羽村の夢・空想説 繭の幻影・亡霊説(羽村は生きており、繭は死亡している?)

羽村の夢・空想説、繭の幻影・亡霊説については、

また心中説については、当日繭が起きたのは朝刊が届くころの時間だったのに対し、

このシーンの台本で野島が書いたト書きでは、

「永遠の昼寝をしているような二人」としか書かれておらず、

最終話のサブタイトルは「永遠の眠りの中で」である。

このことからも、二人は死亡したとみられるが、

どのようにして命を絶ったのかについても不明であるため、

謎の残るラストとなっている。

このため最終回終了直後から「羽村と繭の生死」について視聴者からの問い合わせが、TBSの視聴者センターでは対応しきれないほど殺到した。

特急電車が駅を出るのは正午ごろだったため、電車には間に合ったものの、

ラストシーンで小指に赤い糸を付けた繭の手が死んだようにぶら下がること、

車掌が二人に声をかけても起きなかったことから、

青海川駅から乗った普通列車の車内で心中したという可能性が理由である。

繭が知っているはずも間に合うはずもない羽村の乗る電車に、

突如として繭が現れることが理由とされる。

下記のようにさまざまな解釈がなされている。

過去の出来事を振り返っていることがうかがえる。

しかし、最終話におけるラストシーンのモノローグでのみ

「僕は今…」と「現在形」で語りはじめる。

 

 

主題歌
主題歌には、
1970年代を中心に活動した女性シンガーソングライター・森田童子の曲
「ぼくたちの失敗」が使用された。この頃の一般的なドラマでは、
現役の有名アーティストに描き下ろしてもらうのが主流だった。
当時森田は一部から人気を得ながらも引退状態で知名度も高くなかったが、
野島と伊藤が彼女のファンだったことから主題歌への起用が決まった。
 

🍷酒と薔薇の日々🌹

Days of Wine and Roses

酒と薔薇の日々 ジュリー・ロンドン

1962年公開のアメリカ映画

アルコールに溺れてゆくカップルの悲劇を描いたシリアスドラマ。

「酒とバラの日々」の主題歌をジュリー・ロンドンが歌います。

映画の内容と一致するところが無いように思われがちなこの曲。

しかし追憶と共に生きる人間模様を抽象的に描いてるように思います。

多くのシンガーによってカバーされていますが、

甘く囁くようなハスキーロングトーンが冴えるジュリーの歌声でお届けします。

Days of Wine and Roses

映画の音楽を手がけたヘンリー・マンシー二が作曲し、

ジョニー・マーサーが作詞した同名のテーマ曲。

「酒とバラの日々」はアカデミー歌曲賞を受賞し、

ジャズのスタンダードナンバーとして多くの歌手がアレンジを凝らし歌い上げている。

リー・レミック🍷💓🌹ジャック・レモン

JULIE LONDON

国芳は愛猫の癖ありて...

歌川国芳の猫

江戸後期を代表する浮世絵師のひとり、歌川国芳。

多数の猫の絵を描き残しているのはもちろんのこと、猫好きでした。

歌川国芳「山海愛度図絵 七 ヲゝいたい 越中滑川大蛸」

 

歌川国芳「絵兄弟やさすかた(鵺退治)」

 

天保12年(1841)頃から、

浮世絵師の歌川国芳は猫を擬人化したり、

役者を猫にした作品を次々と発表していきます。

「流行猫じゃらし」

 

歌川国芳「流行猫の狂言づくし(定九郎ほか)」

 

「流行猫の曲鞠」

歌川国芳『朧月猫の草紙』6編上下表紙

ネコ好きここに極まれり、と思わされるのが、

天保13(1842)年の正月新刊として山東京伝の弟、

やはり大のネコ好きの山東京山と組んで出版した合巻『朧月猫の草紙』である。

おこまという名前のメスネコの波瀾万丈の「ネコ生」を描いた一代記。

 

歌川国芳 猫の百面相 忠臣蔵

 

歌川国芳 流行猫の狂言づくし

 

国芳の武者絵

豪快な武者が魁偉な化け物をばったばったとなぎ倒す

「武者絵」で知られる幕末の人気絵師だが、実はとってもネコが好きだった。

 

 《国芳は愛猫の癖ありて、常に五六頭の猫を飼いおきたり。》

猫飼好五十三疋

 

 

 

「たとゑ尽の内」

本作品は、「猫に小判」「猫舌」「猫も食わぬ」「猫に鰹節の番」など、

猫にまつわることわざや言葉をテーマに表現した3枚続きの大型作品です。

擬人化されてはいますが、猫たちのリアルなしぐやさ表情は、

自宅では常にたくさんの猫と一緒に暮らしていた、

猫好きの国芳だからこそ描けたこだわりが詰まった猫尽くしな一枚です。
ぶち猫の模様は、

「板ぼかし」という技法(滲むようなぼかしを重ねて表現)を使って表現されています。
よく見ると着物の模様は小判になっていて、国芳のユニークなセンスも効いていますね。

 

歌川 国芳(うたがわ くによし)

寛政9年11月15日(1798年1月1日) - 文久元年3月5日(1861年4月14日))

江戸時代末期の浮世絵師。

画号は文政初年から万延元年にかけて一勇斎国芳といい、

後に彩芳舎(文政中期)、朝桜楼(天保初年から万延元年)、

雪谷、仙真とも号した。

歌川を称し、狂歌の号に柳燕、隠号に一妙開程芳といった。

江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人であり、

画想の豊かさ、斬新なデザイン力、奇想天外なアイデア、

確実なデッサン力を持ち、

浮世絵の枠にとどまらない広範な魅力を持つ作品を多数生み出した。

落合芳幾による国芳の死絵。

ムーン・リバー

Moon River 

ムーン・リバー by オードリー・ヘップバーン

Moon River by Audrey Hepburn 1961年

ジョニー・マーサー作詞・ヘンリー・マンシーニ作曲

トルーマン・カポーティの小説を映画化した『ティファニーで朝食を』(1961年)

主題歌「ムーン・リバー」

ニューヨークのアパートで猫と暮らしているホリーは、

宝石店ティファニーの前に立ち、パンとコーヒーで朝食をとるのが好きだった。
ある日、彼女のアパートに作家のポールが引っ越してきて、

彼女の周りのさまざまな人達を翻弄するホリーは・・・という話。

Moon River, wider than a mile, I'm crossing you in style some day. 

Oh, dream maker, you heart breaker, wherever you're going I'm going your way.

作詞者のジョニー・マーサーの故郷はアメリカの南部ジョージア州サヴァナ。 

自宅の裏にバック・リバーという川がありました。 

その揺れる水面に月光が映る様子と、

映画のオードリー・ヘプバーンをイメージして作ったということです。 

この話以来、その川は「ムーン・リバー」とも呼ばれているそう。

 

桜えび

桜の咲く時期に旬を迎える「桜えび」。

素干しのものは通年出回っていますが、

生や釜揚げの桜えびは旬の時期ならではのおいしさです。



■駿河湾の春の味「桜えび」

 桜えびの体調は4~5cmほど。生きている時は透明に透き通っていますが、

紅い色素が透けて桜色に見えます。桜えびのような小型のエビの種類は様々ありますが、

本来の桜えびは分類上サクラエビ科サクラエビ属に属しており、

国内では駿河湾(静岡県)の特産物になっています。

というのも、桜えびは、東京湾や相模湾にも生息していますが、

漁業許可が下りているのは静岡県だけなのです。



 

 桜えび漁は、春(3月下旬~6月上旬)と秋(10月下旬~12月上旬)の年2回行われ、

 

7月から8月はサクラエビの産卵のピークになるので、資源保護のため休漁となります。
通常は素干しで通年出回っていますが、

値段の安いものは桜えびに似せて着色したものである場合があります。




 

■桜えびの味わい

旬の時期の生の桜えびは甘くておいしいそうですが、

産地でないとなかなか味わうことはできません。

ゆでただけの釜揚げなどは比較的手に入りやすいので、

ぜひ味わいたいものですね。

かき揚げやお好み焼き、チャーハンやパスタなど、様々な料理で活躍してくれます。



静岡県由比産

 

桜えびを選ぶ時は、乾物なら色が赤いものを選びましょう。

 

 

黄色っぽくなっているのは古いものです。

生の場合も色が赤くきれいで、触ると身が固い物が良いものです。