ちょっと前になりますが、滋賀大で発表させていただきました。ちょっと懐かしい先生方とも。

そのスライドをあげておきます(一番下)。なんだかまだまだこなれていないのですね。で、オーロビンド哲学の理解という大きな壁は、うーんちょっと難解すぎるのと、あまりにもヨーガの素養基礎がないので、どうだろうかと。

結局は、組織論ふくめて、わたしたちが外部環境(右下)をいかに計画していくかということは、大学含めて追求して設置してきたわけですが、内部環境(右下)だったり、なんといっても自己内面(右上)については、放置されてきたわけでしょう。心理学や宗教、教育というものはあったけれど、では、どう人間関係をつくるか、どう自分を律するかといったことは、なおざりであったために、そこに資本主義的な「消費」や「経済」という指針が入ってきてしまっているのでしょう。

なんのために生きていますか?で答えられるだろうか。

そして、その後、アズワンコミュニティのサイエンズの考え方をあらためて、模索したりしています。あらためて、webをみると、ブラジルや韓国やスイスなど、むしろ海外にひろまっているようですね。20年も続いているのも、なんとも凄い実践です。海外からの方が有名ではないでしょうか。

オーロビンドやマザーによるインテグラルヨーガは、そのアシュラムやオーロヴィルで実践していくわけですが、サイエンズの場合は、内観方法や問い方といったもので、自己を知るというプログラムのようです。なぜそのような感情が生まれるのか、何が真実で、どうしてそういう気持ちになるのか。見栄やおそれ、怒りや他者承認、不安、といったものが感情を支配して人間関係をうまくいかなくいく。そのことを見つめようといったところでしょうか。

そういうつきあい方、社会の成り立ち方、を学ぶことなしに、鬱やメンタルダメージを受けると、クリニックやカウンセリングに行って、対処療法的な服薬などを受けますね。ただ、その元因となった人間関係や社会は変わらないし、相手もかわらないということで、自己にすべて帰着するのでしょうか。アズワンの場合は、「やさしい社会」ということで、集団としての自覚を実践されているようです。

大学にいた時代は、「まちづくりへの参加」や、「計画への実践組織」といったことをつくる現場にいたわけですが、うーん、外部環境ありきの人を押し込める感じであったなあと思います。それでは、なかなかまわるはずがないですね。

私的にひきよせてななめからみると、アズワンさんが鈴鹿市の総合計画や環境計画といった行政計画となんか関係があるのかなといやらしい見方をしたりしますが、おそらくは全く関係ないでしょうね(たぶん)。関係する必要が無い?し。

ちょっと理事としてかかわらせていただいているひろんた村も、新上五島町の計画とは関係まったくないようです。せめて、地域福祉計画には関係ないのかなとは思いますが、これも必要ないのかも。

ってことは、行政計画って、自分たちでできないひとたち=行政サービスがないと困るという人たちのためのものか。どんどんと暮らしから技術が外部化してしまって、そこに行政サービスや民間サービスが入ってくるということか。やはり、行政計画は地区計画のようになるべく小さい範囲にしないと、乖離してしまう。

ティール組織ではないけれど、なんだか、ものすごくシンプルでいいことを、遠回りして大きくしてなんだかむだにエネルギーが使われている気がしますなあ。



via ryujirokondo's trajectory
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