こんにちは。ちょこ3ですニコニコ

 

お墓参りに行った時です。

あるお墓の前には、親戚の方々が大勢いらして、子供も数人いました。

大人のする事を見て育つので、小さな頃から、お墓参りを教えているのと同じです。

この子供達は、【先祖供養】が当たり前になるのでしょう。

 

 

 

昔は、多くの方々にとって、【先祖供養】が当たり前でした。

お盆には、ご先祖様が帰って来られます。

お墓参りをして、お坊さんに御経を唱えて頂いて、手を合わす。

お坊さんが家に来て、仏壇に御経を唱えて頂いて、手を合わす。

仏閣にて、お坊さんに御経を唱えて頂いて、手を合わす。

 

 

何か一つでも、実際に【先祖供養】をされていますか?

【永代供養】でも、仏閣に訪れて、手を合わせていますか?

 

今の時代、

親や周りの大人達が【先祖供養】をする姿を、どれ位見ることが出来るでしょうか?

その姿を見る子供達は、どれ位いるのでしょうか?

「親がしていないから、知らない」と、聞くようになりました。

 

 

土の下に隠れた【根】が、【正常】or【病気】かは、見えないので分かりません。

【根】である【ご先祖様達】の状態が、視えないのと同じです。

【根】が腐ると、地上の花や実(子孫)は出来ず、枯れてしまいます。

【根】を丈夫にする為の【先祖供養】でもあるのです。

 

 

「子孫に迷惑かけない為に、【先祖供養】をさせない」

 

 

ご先祖様への[感謝の気持ち]を教える場を、減らしただけです。

その状態で、神社・仏閣にて、自分(家族)の御願い事の祈願をするのです。

 

 

 

一体、何時から、誰が、言い出したのでしょうか?

 

 

 

 

 

子供の頃に、[幸福の手紙]というものが流行りました。

「何人かに[幸福の手紙]を出せば、幸せになれる」という内容だったと思います。

その後、「不幸の手紙」が流行りました。

「何人かに[不幸の手紙]を出せば、不幸にならない」でした。

[幸福の手紙]を何枚か書いて、「面倒くさい」と思い始めていた私は、[不幸の手紙]をガン無視しました。

[不幸の手紙]を他人に出して、「不幸にならない」って、変ですよね?

 

その後、学校の先生が注意した事により、事態は収まったのです。

 

流行ると、【人間】という存在は、簡単に引っ掛かるのですよ。

【知恵】が働かない場合、集団真理にのまれます。

 

 

 

[幸福の手紙]という、書いた方も、貰った方も、「幸せになれる」から、良い事だと思わせます。

[幸福の手紙]は何枚も書く条件により、集団に【知識】が行き渡り、流行らせて、「本当」だと信じさせます。

[不幸の手紙]も、同じ形式なので、「本当だ」と、思ってしまいます。

【善】を行うように見せかけて、流行らせて、後に【悪】を行うように仕向けるのです。

 

【知恵】を使わないと、引っ掛かるように工夫されています。

こういう内容は、意外に多いです。

 

 

 

 

 

例えば、

神社・仏閣では、よく【御縁を結ぶ】と言います。

人々の心の中に、「神仏と【御縁】を結ぶ」という【知識】が出来ています。

 

ある日、誰かが言いました。

「御賽銭は、5円が良い。だって、神仏と【御縁】が出来るから」

 

 

お恥ずかしながら、両親は信じて、子供の私にそう教えました。

年に一度位しか、参拝しない両親なので、宗教に詳しくなかったのです。

子供は親の姿を見て育ちます。

私もそう信じていました。

 

神社・仏閣に参拝するようになり、維持管理費が必要な事に気付きます。

御賽銭は、自身の【御縁】の為ではなく、【利他の心】で入れる方が良いです(過去記事有)

子供の頃の反省もかねて、御賽銭を入れるようにしています。

 

 

 


どうですか?

心当たりが、他にもありませんか?

 

「子孫に迷惑かけない為に、【先祖供養】をさせない」

「幸福の手紙]

「5円が御縁になる」

 

共通している条件(個人的意見です)

「人に良く思われたい」

「大多数がすれば、同じか、似た事をしたい」

 

このような心理が高い方が、引っ掛かり易いと思います。

【本質】を見極めることが、大切です。

 

 

 

定期的に、【善】に見せかけた、【悪】に成り得る内容が、世間で流行ります。

これに騙されない為には、【知識】ではなく、【知恵】が必要です。

 

 

 

霊的な内容も、【知識】ばかり集めても、それはただの【知識】です。

応用も出来ないと書きました。

【知識】を自身に吸収して、【知恵】の泉にすれば、その内、【悟り】になるでしょう。