こんにちは。ちょこ3です![]()
前回に説明した内容の補足です。
●お金が貯まったので、修理をする
●お金を集めて、修理をする
[現実の世界]では、同じ事に見えます。
[霊的な世界]では、違うのです。
「修繕費」と説明を受けた【寄付】のお金には、その為の【気持ち】が入ります。
この霊的な意味を理解されるなら、次も分かると思います。
「授与品」(御札や御守り等)は、神社・仏閣の方々が、御祈禱されたものです。
神仏や眷属の【御利益】を「授与品」にして、人々へお届けする為の繋ぎ役です。
御札や御守りは、気(持ち)が入ります。
お金と一緒で、入り易い素材が多いです。
神社・仏閣の関係者が、
「人々の為に御力を授けて下さい」
心から神仏に御祈祷された「授与品」でなければなりません。
どのような理由であれ、「お金が欲しい」という気持ちでの御祈祷は、その「授与品」に影響を及ぼす可能性があるのです。
「維持管理費が必要」だと、(無)意識に思いながら御祈祷された「授与品」は、その気持ちが少なからず入ります。
この「授与品」は、「参拝者の為」のものではなく、「神仏の為」のものになります。
これは悪気が無い場合かもしれませんが、神仏や眷属にとって、お金は関係ありません。
神仏はどう思われるのでしょう?
【御利益】の効果はどうなるのでしょう?
悪質な場合は、参拝者が「授与品」にお金を出すことを、神仏や眷属が良く思われないでしょう。
大抵は、警察沙汰になります。
仏教には[心がこもっていないもの]は駄目だそうで、「受け取らない」と言われる方もいるそうです。
昔から、有名な神社・仏閣でさえ、【寄付】を募り、内容を詳しく明記しています。
伊勢神宮は「20年に一度の建て替え」を、一般の人々にもお知らせしています。
日本の国を御守り頂いている天照大御神様の御社です。
御社の「賽銭箱」の場所では、「感謝」「平和」「国家安定」等の祈願が望ましいとされています。
「個人の御願いは禁止」になっていますよね。
これは偶然でしょうか?
神社・仏閣でのお金を、維持・管理・修理費に充てるのは問題無いのですが。
最初から、それが目的の「授与品」は、人々の為に、心から御祈祷されているのでしょうか?
(【思い】+【行い】)×【信仰心】
【信仰心】に適っていると思いますか?
【寄付】と、わざわざ【御礼】の形を取る意味は、昔からの【知恵】なのかもしれません。
協力して頂いた人々に、素直に【御礼】を込められます。
続きます。