こんにちは。ちょこ3です![]()
本格的に寒くなって来ました。
私の家は古いので、かなり寒いです。
災害が増える中、壁があって、屋根があって、雨風しのげれば、贅沢なのだろうと思い始める自分がいます。
何ですかね、この感覚。
今回は、身近なお話で、説明したいと思います。
前回の内容が「難しい」と言われる方もいるでしょうから。
現代の仏閣のお坊さん達に【内なる仏】を意識されている方は、どれ程いらっしゃるのでしょうか?
厳しい【修行】は、確かに凄いし、尊敬します。
これは、ある意味【行い】です。
厳しいだけなら、エベレストなどの登山や南極の冒険家、宇宙飛行士など、他にも過酷な事をされています。
【思い】の方はどうでしょう?
どちらも、目標が有り、それを目指します。
違うのは【信仰心】でしょう。
仏様になる為の【修行】だと思っています。
【障り】の中でも触れました。
【墓じまい】を薦めるお坊さんの言い分は、こんな感じでしょうか?
「子孫に楽をさせる事が出来る」
「家族に迷惑を掛けなくてすむ」
逆に聞きますけど、
それ程迄、熱心に、お墓の面倒を見る方達は、どれ位いらっしゃるのでしょうか?
最近は、お墓掃除のお仕事もあります。
子孫がいなくなった時点で、[共同墓地]を薦めることも出来ます。
何故、【樹木葬】なのでしょうね?
ご自身も【樹木葬】にされるのですよね?
【墓じまい】が、本当に良い【行い】なら、全てのお墓を閉じるはずです。
偉人や有名人やお金持ち等、ご自身のお墓は【墓じまい】しないは、変です。
相手の方が、どうしても【墓じまい】【樹木葬】を望むなら仕方ありません。
そうで無いのなら…。
仏様の世界は【平等】です。
相手に「良い」と言いながら、無意識の中で、自分に言い訳をする。
これは、表面的な【心】です。
ブログで良く見かけます。
「皆様の為に…」「皆様の為に…」、「誰かの為に」を、連呼している方達。
内面的な【心】は、悪い事をしていると、罪悪感があるのでしょう。
本人は「良い事をしている」と思いたいので、無意識です。
【内なる神】【内なる仏】から、離れていく事に気付きません。
例えば、
死後、直ぐに遺骨を納める方もいれば、49日を待って納める方もいます。
お坊さん達は「遺骨を納める」ことを御存知です。
本職なのですから、いえ、素人でも知っています。
遺骨を納めない方達が、増えました。
お坊さん達の言い訳では、
「貴方が寂しいから」
です。
ここで、皆様は、仏様を想像して下さい。
貴方が想像する仏様。
「何を」仰いましたか?
答えは、それぞれ違うと思います。
私の霊的グループ指導による、
「なにか」を【意識】して、【心の在り方】を変えていく訓練です。
もし「神様だったら」「仏様だったら」「イエス様だったら」「真理なら」
どう思い、どう行動するだろう?
私の【内なる仏】なら、上記の答えは、こう仰います。
「貴方は家があり、家の中で、暖かな布団で、安心して幸せに寝ている」
「家族(遺骨)の幸せを望むなら、放置せず、安心して眠れるお墓に入れなさい」
どうですか?
私の想像する仏様。
仏様らしかったですか?
思うだけの人でも、駄目です。
厳しい修行だけでも、駄目です。
信仰心だけでも、駄目です。
私個人のイメージする理想の方程式です。
(【思い】+【行い】)×【信仰心】