こんにちは。ちょこ3です![]()
お久しぶりです。
コメント・メッセージをありがとうございました。
とても参考になりました。
私は子供の頃から、霊的な何かを視ることがあるので、気付いたことがあります。
視たり、聞いたりする時は、ぼんやりしている時が多いです。
(今は特殊な場所や場合を除きます)
例えば、
・寝る前に目を閉じている時、寝ている時、起きた時
・神社・仏閣を歩いている時
・神仏への御話が終わった後も拝んでいる時(御祈祷中など)
私の場合、座禅や霊的な修行をしてこなかったので、無に近い状態が、力が抜けている状態なのだと思います。
コメント・メッセージの内容を読ませて頂いて、納得しました。
【神仏が分かる能力】と【霊能力】を一緒に考えてしまうのは(神仏の御力にもよると思いますが)、その方に合わせて【分かる】ように【調節】して下さっているからだと思います。
例えば、
・神社・仏閣で、虹、動物などを見る
・太鼓、祝詞、結婚式などが始まる、見る、聞く
・涙が出る、調子が良くなるなど身体に影響する
霊能力を自覚する時が来ると、視えたり、聞こえたりするようになる人がいます。
その人の能力に合わせて、神仏も映像を視せたり、話しかけたりされることが増えるのだと思います。
私は子供の頃から、霊的な能力を自覚していましたが、年に一度、神社・仏閣に行く程度の時は、神仏を視たり、聞こえたりは、していませんでした。
「神仏は凄い」と、神社・仏閣に自ら参拝するようになって、暫くしてからです。
最初の内は、上記の例えのようなことが起こりました。
霊能力が有ってもです。
その内、偶然では説明出来ないようなことが起こりました。
・鳥居の真ん中や駐車場で、その神社のカラスが御見送りをしてくれる
・神社に住む梟が、参拝するようになってから、時々朝に近所で鳴くようになった
【霊能力】の有無は関係なく、神仏は【分かる】ように【調節】して下さるということです。
色々不思議なことがあり、【信仰心】が強まり、少しずつ神仏が視えたり、聞こえたりするようになっていきました。
私達は、魂や霊体を持つ存在なので、本来【霊能力】は持っています。
勿論、神仏と同じように、能力の得意分野、強弱はあります。
歴史上、霊的な修行や何かの切っ掛けで、【霊能力】を自覚する人々が存在しています。
ですが、神仏が分かる人ばかりではありません。
【信仰心】と【行い】を【神仏に認められる】ようにならないと【分かる】ことも無く、御力を借りることも出来無いということです。