こんにちは。ちょこ3ですニコニコ

 

伊勢神宮に参拝後、猿田彦神社に参拝させて頂きました。

 

 

猿田彦神社の神様は、初めて御声掛けして頂いた神様だと思います。

本殿では、御声も映像も無いのですが、後ろ(?)にある神田の方で、御声掛けして頂くことが多いです。

神名の書かれた石が並んでいる所にいらっしゃいました。

 

 

猿田彦神社の神様にあまり視えなくなったことをお話して、謝りました。

そして、帰ろうと後ろを向くと、御声を掛けられました。

 

『神様達は、ブログを書いていることを認めている』

『信じて道を進めば良い』

 

信仰心を責めずに、このようなことを言って下さって、思わず涙が出ました。

そして、ブログを始めた当時に、地元の神様に言われたことを思い出しました。

 

『自分の道を頑張りなさい』

 

神様は、本当に【道】という言葉を御使いになります。

【神道】と誰が言ったのかは知りませんが、【神の道】【教え】とは、何かが違うのだと感じた日でもあります。

 

 

 

他の神社は、本殿に到着する前に『良く来た』と御声を掛けられることが多いです。

神様によりますが、目を閉じて、手を合わせて拝んでいると、映像を視せて頂くことも有ります。

神仏に御声を掛けられる場所が、人によって違うのかまでは、分かりません。

 

私の場合、色々なことを話している時より、力や意識が抜けている時の方が、神仏を視たり、聞こえたりしていると思います。

それで、前や後での御声掛けなのでしょうか?

他の方は、どうなのでしょう?

そういえば、龍神様同士の会話の時も、半分意識が飛んでいました(笑)

 

他の宗教でも、座禅などで、心を落ち着かせ、ととのえたりします。

初期の頃に、龍神様や神仏に『焦るでない』と、よく言われていました。

何かしら意味があるのかもしれません。

【神仏が分かる能力】は、色々な段階がありそうです。

 

 

私のブログでは、体験に基づいて、神仏やキリストなどで、説明をしています。

一番大事な事は、どの宗教やどの神仏を崇拝しようが、自分の道は、自分で進まなければならないということです。

助言や諭されたりはします。

自由意思の仕組みで、自分の道までは、教えてもらえないということです。