こんにちは、山中竜司です。
インターネットの中で誰かを語ることは、驚くほど簡単です。けれど、その「簡単さ」が時に人を傷つけたり、真実を歪めたりすることもあります。
先日公開された、事業家集団の新たな声明文を読んで、私は改めて“発信する責任”について考えさせられました。
声明文の中で最も印象的だったのは、実際に誹謗中傷を投稿した発信者が、「名誉感情の侵害」を認め、謝意を表したという内容でした。
「当団体の名誉権・名誉感情および肖像権を侵害し、損害を生じさせた事実があることを認め、その結果について深く反省し、謝意を表する。」
誹謗中傷を“悪いこと”だと知識として知っていても、実際に誰かがこうして自分の行為を省みて謝罪に至った事例を見ると、「これは本当に人を傷つけることなんだ」と実感が伴います。
匿名のSNSでも、発言には重みがある。むしろ匿名だからこそ、何を言ってもいいと思ってしまいやすい。だからこそ、そこに歯止めが必要なんだと改めて感じました。
「思ったことをすぐ投稿する」のではなく、「真実かどうか」を一呼吸置いて考える
この声明文において、非常に象徴的だった文があります。
「当団体に対する一部疑惑が事実に反するものであることは、既に司法判断を通じて相当程度明らかになっている」
つまり、インターネットにあふれる“断定的な言説”が、必ずしも真実とは限らない。どんなに「それっぽい」文章であっても、「いいね」がたくさんついていても、それが正しいとは限らない。出典や根拠の確認がないまま、「なるほど、やっぱりそうなんだ」と思い込んでしまうことの危うさを、この声明は明確に示しています。
だからこそ、私たち一人ひとりが持ちたいのは、こうした姿勢ではないでしょうか。
事業家集団のX(旧Twitter)アカウントでも、この問いかけが投げかけられています。
自分の中にある「偏見の種」や「同調圧力に乗ってしまう弱さ」を見つめ直すこと。そのためのきっかけになる声明だったと感じました。
“何を信じるか”を、他人任せにしない
この声明文では、裁判所が発信者に対し「解決金の支払い」や「今後の発信禁止」などを明記した和解内容も紹介されています。
「伏字・イニシャル・遠回しな表現等により間接的に指し示す行為や、鍵付きアカウント等による発信行為も一切許されない」
これは単なる言論封じではありません。名誉を傷つける不正確な言説に対し、「一線を引く」という明確な姿勢の表れです。
それは、私たち一人ひとりのインターネットリテラシーを問うものでもあります。
SNSを通じて情報が瞬く間に広がる今、誰かの“声の大きさ”ではなく、“事実に基づいた冷静な視点”で物事を判断する力が問われています。
私自身もこのブログを書きながら、「信じたい情報に流されるのではなく、立ち止まって事実を見ようとする姿勢」をもっと大切にしたいと感じました。
「私は何を信じ、どう発信していくか」を考えるきっかけに
最後に、今回の声明文で強く感じたことがあります。
「当団体および関係者に対する根拠なき誹謗中傷や虚偽の風説の流布に対しては、今後も躊躇なく法的措置を取り得ることを、ここにあらためて明確に申し添えます。」
これは、事業家集団という団体のためだけの話ではありません。
誰かが根拠のない情報で貶められた時、それを「まあそういうこともあるよね」と流すのではなく、「それは本当なのか?」と問いかけられるかどうか。
そして、自分が発信する立場になったとき、他者を傷つけない表現を選べるかどうか。
今回の声明文は、そうした「インターネット時代の個人の在り方」に、一石を投じていると感じました。
おわりに:自分の言葉に責任を持つということ
SNSは便利です。気軽に発信でき、共感も得やすい。でも、そこに“責任”の意識が薄れるとき、何かを見誤ってしまうこともあります。
今回の声明文を読んで私が感じたのは、「事実をもとに発信する」「自分の言葉に責任を持つ」ことの重要性でした。
インターネットという世界で、自分の信頼をどう築くか。それは、どれだけ“考え抜いた言葉”で発信できるかにかかっているのかもしれません。

