こんにちは、山中竜司です。

このブログでは、僕が所属している「事業家集団」での気づきや学びを、毎週1本ずつ記録しています。

 

今回は、20代の頃の自分がずっと抱えていた「何者でもない不安」について書こうと思います。

でも結論から言えば、僕はその“何者でもなさ”こそが、後に自分の最大の武器になったと感じています。

 

そのきっかけをくれたのが、事業家集団という環境でした。

 

 「自分には何もない」と思っていた20代の僕

 

20代の前半、僕はとにかく焦っていました。

「肩書きもスキルも実績もない。自分には何もない」

まわりが就職して肩書きを得ていく中、僕だけが取り残されているような感覚がありました。

 

SNSで誰かの成功を目にするたび、自分の無力さに落ち込んでいました。

「自分も何者かにならなきゃ」

そんな思いに追われながら、何となく動いて、空回って、結局自信を失う――そんな毎日。

 

そんな中、ひょんなきっかけで出会ったのが「事業家集団」でした。

 

最初は「自分なんかがここにいて大丈夫か…?」と思いました。

でも、そこで出会った人たちは、僕の“何者でもなさ”を否定せず、むしろ受け入れてくれたんです。

 

 空っぽだからこそ、たくさん吸収できる

 

事業家集団では、「完璧でなくても大丈夫」「迷ってる今こそ価値がある」といった言葉が日常的に飛び交っています。

20代のうちは、“余白”や“未完成”がむしろチャンスだという感覚。

 

僕も最初は、“何かを語れる立場”ではないと思っていました。

でも、だからこそ人の話をよく聴くようになり、問いをたくさん持てるようになった。

「自分の考えを持ちたいからこそ、人に会いたい」と動くようになった。

 

そのうちに、「吸収力のある人」と言われるようになったんです。

僕はそれを、自分なりの“武器”だと思えるようになりました。

 

何者でもなかったからこそ、どんな価値観も柔軟に取り入れられた。

空っぽな自分は、実は“学びの器”だったのだと気づきました。

 

 肩書きより、“あり方”が問われる時代に

 

事業家集団で多くの20代と出会うなかで感じるのは、

「何をやっているか」より「どう在るか」の方が圧倒的に大切になってきているということ。

 

たとえば、自分の想いをちゃんと話せる人。

他人に対して誠実で、行動を積み重ねている人。

その“あり方”に共感されて、次の仕事や人との繋がりが生まれているのを何度も見ました。

 

僕自身も、「肩書きがないから動けない」と思っていた頃より、

「肩書きがないからこそ、なんでも挑戦できる」と捉えられるようになってからの方が、圧倒的にチャンスが増えました。

 

“何者でもない”という状態は、可能性のかたまり。

「自分にはまだ何もない」と思っている人ほど、未来が広がっているんだと思います。

 

 「何者でもない」から始められることがある

 

事業家集団に入って、僕は“武器がない”ことを恥じる必要はなかったと知りました。

むしろそれは、変化に開かれていて、他人の言葉に素直に耳を傾けられる“成長の余白”だったんです。

 

20代で自分に自信が持てないときこそ、無理に何者かになろうとしなくていい。

その空っぽさを、そのまま見つめて、一歩ずつ歩いていけばいい。

その歩みが、いつか“自分だけの在り方”をつくってくれる。

 

何者でもない自分を受け入れられたとき、人はきっと一番強くなれるんだと思います。