たった2年前の春、GW,5/2に私の全てが変わったんだ、あの日さえなければ、きっと今もあのまま幸せな日々を、過ごしていたんだろう。
たった2年前は、毎日、イオンモール幕張新都心へ朝から仕事に出るのが日課。イオンカードの営業をしていた。
それなりに頑張り、割と好きな仕事だった。
社保にも入り、フルタイムで働いていた。
あの日も、普通に仕事から帰り、夕飯準備。金曜日。勤務中からなあんか変だと感じていた左手。脱力した感じ。で、夕飯準備中、またまた脱力感。普通に入浴もし、一晩寝れば治ると思ってた。入浴中には左足にも脱力感。
だが、朝起きても、まだ違和感。
自分で救急車を呼んだ。
即入院、脳梗塞。その検査でわかったもやもや病。難病。なんで私なの?なに、難病?
手術?
で、その日からイオンモールへは行かなくなった。お休み。でも、いつか、元気に復帰できると思ってた。夏の手術前に、夫と幕張のアウトレットに。その時に、「いきなりステーキ」へ。いまとなってはいい想い出。その後、バス乗り場近くのハワイアンカフェでグァバジュースを。これが見事に美味しかった。
あれが最後のデート。
夏、7/23にもやもや病の右脳バイパス手術を受けた。成功したが、逆に血流が良すぎて、脳出血。それが今の左半身麻痺を呼んだ原因。
たった2年前、わたしはどうやって帰宅後すぐに料理を作っていたんだろう?
たった2年前、つけまが大好きでよく集めていた。微妙な違いがあるから。
そして、オシャレして、香りをつけて、コツコツヒールで歩いていた、3代目JSBが大好きで……2年間で、私の生活、私自身は激変した。
夫婦の関係も激変した。家族も変わったんだ。
私が、入院していた8ヶ月間で息子たちも変わった。あの頃に戻りたい〜努力してもいいのかな?まず、キレイな頃に戻りたい〜
料理上手に戻りたい〜自分で、好きに、買い物がしたい。好きな、素敵な服を着たい。
柔軟剤香る洗濯物に囲まれたい。
つけま、コンタクトがしたい。
電車に乗りたい。
でも、この身体は正直一生変わらない。だとしたら、まずは今日を一生懸命生きなきゃ。
自分でできることを増やし、家族への負担を減らし、「存在意義」のある自分になる。
美味しい食事を作って、掃除し、整理整頓をし、洗濯物を干し、以前の主婦の私に戻る。
できないことは頼めばいい。
「お母さんがいて良かったよ」と言われるように。「いてもらわなきゃ困るみたいだ」と言われるように。夢ではなく、これを現実に。
できる、できる…やるんだ、やるんだ、絶対にできる❣そうしなきゃ、もう、私は、この家に不要の人間になってしまうから。
思い出す、夫と出会った銀座三越、クリスマスに遅れてきたこと、三越ティファニーでプレゼントしてもらったリング、一緒に行った鎌倉、大阪からの電話、日比谷公園、松屋での待ち合わせ、帝国ホテルでの結婚式、ハワイでの新婚旅行、津田沼での短い生活、長男の妊娠がわかった横浜観覧車、ひとりで待つのが憂鬱だった津田沼プレイスセトル。思い出は、やっぱりいっぱいある。夫は、何も思い出さないのだろうか。
別れたくない。