先月沖縄へ実に私的な訪問ではあったのですが、せっかく来たので時の土地「辺野古」まで足を延ばしてみました。

那覇空港から車で50分程度、結構遠いなぁ。というのが実感でした。

辺野古(キャンプシュワブ)はもう皆様ご存じのとおり、普天間基地の移転先として現在「滑走路建設」を行っている場所であり、1956年からアメリカ軍の基地として運用されておりますが、実際はアメリカ軍が地元地主より土地を借用するという形で運用されており、地主に対する借地料は日本政府より支払われています。

ではその普天間基地とはどういう基地なのか。

正しくは米軍普天間飛行場(Marine Corps Air Station Futenma)と呼び、1945年より建設運用されている滑走路2,700メートルの長さを持つ嘉手納基地に並ぶ大飛行場です。那覇空港の滑走路が3,000メートルですから、規模的にはあまり変わらないと言えますね。

その普天間飛行場をなぜ移設しなければならないか、戦後より現在まで普天間飛行場周辺に住宅地が増えたことにより「世界一危険な基地」と朝日新聞がレッテルを貼っていることに加え、2004年に発生した沖縄国際大学構内墜落事故により移転推進論が一気に加速しました。

いまその辺野古で何が行われているか・・・

建設反対派の「過激」で「常識外れた」反対運動がキャンプシュワブの工事ゲート前で行われているのです。

写真は実際に私のカメラで撮影したものですが、機動隊と反対派が車道際で鬩ぎ合っています。

実際に降りてみようと思ったのですが、同行者により制止されたので断念しましたが、おそらく私が降りて撮影しようものなら新たなトラブルが発生していたかもしれません。

ゲート前を2往復してみましたが、工事用車両が出入りする度に反対派の行動が過激になる様子を目にしました。

 

12月に入ってからヘリコプターから部品が脱落するといった事案が発生し、近隣住民が基地反対・基地移転の抗議活動が活発になっているようです。

しかし考えてほしいのは、終戦を迎えた1945年、日本本土は「統治下」にありましたが、沖縄はまだアメリカの「占領下」にあったという事です。

統治下と占領下では言葉の意味も実際の運用も全く異なります。

実際に日本に返還される1972年まで沖縄はハワイと同じく州に属さないアメリカだったわけで、車も右側通行、通貨も米ドルでした。

普天間飛行場建設当時、付近にはほとんど住宅はありませんでした。

上下を見比べて、建設当時と現在での住宅の増加は一目瞭然ですね。

日米安全保障条約・地位協定などの約束事、アメリカにおける極東防衛の最前線である地政学的見地などにより沖縄に基地負担を押し付けるな!という反対派が批判する考え方もわからないではないのですが、それ以前に終戦から本土返還までの27年もの間沖縄はアメリカだったという事実も受け止めねばならないと思っています。

 

では、戦後72年を過ぎた日本が今から行うこと、それは自国防衛体制の強化により「日本国は日本の自衛軍が独自防衛する」体制づくりに取り組むことこそ日本全国に展開するアメリカ軍基地を徐々に国外移転できる唯一の方法だと考えています。

今の日本は自国防衛できない憲法を当時のGHQにより制定されいまだに押し付けられています。

日本国憲法を改正し、自衛軍増強を図り、アメリカの傘から抜け出し、日本が自国のために自分で傘をさす方向へ転換する時なのです。

尖閣防衛、不審船漂着、違法操業・海底の違法調査など、近隣国による日本国境侵犯が横行する今だからこそ憲法を改正し、日本国を守る行動をとらなければなりません!