明日を見つめて~野上 薫の告白⑨
『心と身体は別物だ』 そういって彼はなかなか私と付き合おう (そもそも道端で救いの手を差し伸べただけで、その後の展開にはお互いの意志の疎通など全く存在していない) としてくれなかった。それでも粘りに粘ってあの情事から3ヶ月ほど過ぎた頃にやっと首を縦に振ってもらえた。 (きっと半分以上はしつこい私に折れてくれたんだと思うけど)
彼の名は佐々木征二。年は21歳で私よりも2つ年上の役者志望のフリーター。小さな劇団に所属していて、昼間は高円寺駅近くのコンビニで、夜は新宿の歌舞伎町にある居酒屋でアルバイトをしながら、ほとんどの時間をアルバイトと演劇の時間に費やしている・・・・・と征ちゃん (これが私が付けた愛称) は付き合うにあたって私に説明をした。
私は私で昼間は専門学校、夜はキャバクラでアルバイトをしていたので、会える時間は極々限られてはいたものの、家が近所だった事とお互いに夜のアルバイトから帰宅の時間が似ていた事もあって、その帰宅に合わせて私の家で一緒の時間を過ごすのがほとんどだった。
そういえば私に手を出そうとしたあいつの事だけど・・・・あれから1ヶ月ほど店に来なくなり、それはそれで面倒事が一つ減ったと素直に喜んでいたものの、あいつなりにほとぼりが冷めたのだろうか?頃合を見計らったように何もなかった顔をしてまた来店してきては、奈津芽先輩を指名している。そして私の事を警戒しているのか?あの1回限りで指名をしてくる事はなくなった・・・・・なんとまぁ図太いというか何というか、結局のところほとんどの事が元の鞘に収まったような具合といえば聞こえは良いのだろう。
何はともあれ私の意志とは関係もなく月日は流れ、季節は夏から秋へと移り変わっていった。
10月に入ると季節は一気に変わって、9月まで続いた燃えるように暑い毎日が嘘のように無くなり、日差しも柔らかく、また吹き抜ける風にも爽やかな色を感じる。特に夜は部屋の窓を開けておくと次から次へと風が通り抜けていき、時折悪戯をしていったように勉強部屋の机の上に置いておいた学校の資料が何枚か風に舞って床に落ちていたり、窓の端に畳んでおいたカーテンが風によってヒラヒラと踊りだしてカーテンを掛けたような状態になっていたり・・・・とその他にも様々な変化を残していった。
征ちゃんとの時間も最初はなかなか巧い具合に噛み合わずに、時間がずれる様なことがしばしばあったものの、今では「だいたいこの位」という行動パターンというか、ある程度の誤差の読みが出来るようになって、上手に時間を合わせて一緒に帰途へ着くに至っている。
この日もお互いにアルバイトがあって、待ち合わせを仕事の終了後くらいの時間にし、仕事が終わって高円寺の駅に向かうとちょうど征ちゃんが駅の階段を下りて来たところで、私の姿を見つけると小走りに駆け寄って 『ただいま』 って言うから 『おかえりなさい』 と答えると、私の手をサッと取って 『じゃ、帰ろうか?』 という短いやり取りと共に私たち二人は手を繋いで歩き出した。
帰り道の途中にあるコンビニで350mlのビールやらチュウハイやらと一緒にちょっとしたつまみもしくは軽い目の夕食になるような物を買い、それを持って私の部屋へ戻りリビングスペースのテーブルで顔を見合わせて今日一日分の祝杯(?)を揚げた。
そしてさっきも書いたように窓を開け放して、風が吹き抜けていく様を肌で感じながらそのまま向こうの景色に目を向けていると、征ちゃんがそばに寄ってきて私の事を覗き込んできた。
彼のことについて・・・・・最初は捉え所の無い印象が強くて、なかなか分からない部分があったけど、こうやって少しずつでも同じ時間を過ごすようになると何となくだけど癖とか時々の雰囲気で何を求めているかとか、そういった心が分かるようになるもので、この日もそんな感じがしたから 『何かお願い事?』 って聞くと少し照れたような顔をしながら舞台公演などのお知らせのチラシ・・・・いわゆるフライヤーを私の目の前に差し出したので、手に取ってみると薄暗くて最初は分からなかったものの、よく見ると<氷漬けになっている征ちゃん>という構図になっていて、上から順に劇団名・公演タイトル・出演者およびスタッフ名・公演日時などが印字されていて、出演者の一番上に 「佐々木征二」 と征ちゃんの名前が入っていた。
私が征ちゃんの方に顔を向けると、更に照れた加減が増した感じで 『今度の舞台・・・・とりあえず主演なんだけど観に来るかな~っと思って』 なんて子供が恥ずかしそうに言う仕草に似てて可愛いと思ったのもあるけど、こうやってフライヤーなどを渡された事によって 「やっぱり役者さんをやっているんだなぁ」 とちょっとだけ私の知らない征ちゃんに出会えて嬉しい気持ちになった。
私は二つ返事で観に行くと答えると、それを聞いた征ちゃんも 『これで下手なところ見せられないな』 といって意気込みを見せつつも、残り少なくなってしまったお酒をもう一度掲げて 『成功を祈って・・・・くれるかな?』 と弱気な発言をしながら公演に向けての乾杯を求めてきたので、軽く缶をぶつけると残り分を一気に飲み干し、そしてお互いに目が合った。
何も言わずに目を閉じると、征ちゃんの顔が近付いてきて自然と唇と唇を重ね合わせた。短いキスから唇を離し囁くように 『征ちゃん、頑張ってね』 と言うと征ちゃんもまた私の囁きに呼応する様に 『ありがとう』 と短く囁いて私に答えた。
征ちゃんの顔を見ると、お酒と今のキスによって濡れた唇が夜の月明かりでキラキラと輝いていて、その輝きに誘われるがままもう一度唇を重ね合わせた。今度は長く時間を掛けてお互いを深く繋ぎとめるように・・・・・・・窓の向こうでは今夜も静かに夜景がいつもの通りそこに存在し、煌びやかなネオンや赤い信号灯を点しつつ、遠くから私たちを見守ってくれている。
≪続く≫