明日を見つめて~野上 薫の告白⑥
声がした方へ振り返ると・・・・私の後ろについていたあいつ越しに整ったスタイルをした若い(といっても私よりもちょっと年上っぽい)男子がこちらに強い視線を向けて立っていた。私もそうだけど、あいつもまさかの展開に驚いたようで、その酒臭い図体を振り返らせたまま動けないでいる。
彼は動けないでいる私達の所へ歩み寄り、そして少し脅かすような口調で淡々とあいつに言葉を投げかけた・・・『俺、今の全部見てたけど、それでもこのまま中に入るんですか?』
立場が逆転し、今度はあいつの方が言葉を失って缶ビールを持つ右手がブルブルと震えている。それに付け加えるように言葉が続く・・・・『このまま帰って寝るか、捕まって交番行きかどっちにしますか?』
さすがにトドメの一言が効いたのか、軽く舌打ちをするとバツの悪い雰囲気から逃げるように私をその場に残し、彼の横を何も言わずに通り抜けてどこかへと消えていった。
あいつの姿が見えなくなると身体中の緊張が解かれ、その安心からか私はその場にペタンとお尻から地面にへたり込んでしまった。
彼はへたり込んだ私に手を差し伸べて身体を起こしてくれると、さっきの淡々とした口調とは打って変わって、穏やかで優しい口調で 『危なかったね、大丈夫かい?一人で立てそう?』 と声を掛けてくれた。
私はまだ酔いが残っていて身体がフラフラとしており、また呂律も上手く回らなかったけど、彼の言葉に頷き 『大丈夫れす・・・・助けれくれてありがとうごだいました。』 とお礼の言葉を言い、起こしてくれた身体をフラつかせながら自分の足でマンションの入り口へ足を踏み込ませた。
しかし・・・・入り口を入ってすぐにある4段ほどの下り階段で足を踏み外して、そのままよろけながら前のめりに転んでしまった。(実は路地よりもちょっと低地になっていて、この時以外でも何回も踏み外してはよろけている)起き上がろうにも腕に力が入らないし、おまけに視界もユラユラと揺れていて、身体の向かう方向が定められない。
そうやって上手く起き上がれないでいる私を見かねたのか、彼が私の前に回りこんで目の前で片膝を付いてしゃがみ、負ぶるから乗れと言わんばかりに逆手で手招きをしてくる。
この年で人に負ぶわれるという事を考えると妙に恥ずかしくて、その厚意に対し素直に応じる気持ちにはなれず、彼の背中をじっと見つめたまましばらく止まってしまった。
彼も彼で私のことを心配してくれているのだろう・・・・辛抱強くその姿勢のままこちらを見るでもなく、黙って私の反応を待っている。
(今考えると)きっと私が根負けをしたのだろう。這うように彼の背中に近付き、そのまま引き込まれるように背中に身体を寄せ、腕を彼の首の脇から前に突き出して全てを任せきるように負ぶわれた。
彼が立ち上がると視界がグッと高くなって、今まで見たことのない景色が彼の頭越しに広がり、それと同時に彼の背中を通して男性の逞しさを感じ取る。・・・・・・そのまま自動的に歩き始めるかと思えばそういう訳でもなく、少しの間その場で立ち上がったまま止まっているので、不思議に思って声を掛けようとすると、彼の方から背中越しに声が聞こえてきた。
『君の部屋・・・何階なの?』
そういえば負ぶってもらいながら何も言っていなかった自分が恥ずかしくなってしまい、それと同時にとても言い辛い気持ちも手伝って言葉が出てこなかった。
それを知ってか知らずか、彼はもう一度優しい口調で問いかけてきた・・・・『言ってくれないと、部屋に送り届けられないんだけど。ね、何階?』
この状況に至って既に私は自分の足で歩いて部屋に帰ることを諦め、またこの大きな背中の心地良さから離れられなくなってもいた・・・・・仕方なく私は素直に自分の部屋のある階を彼に伝えた。
『5階・・・・一番上の階段を上りきった左奥の部屋です』
それを聞いた彼は『よし、行くよ』 と一言私に言葉を掛けて、何も言わずにスタスタと歩き始め、(エレベーターがないマンションだったので)私を負ぶったまま階段を一段一段上がっていく。
一歩一歩進むたびに身体に伝わってくる振動が気持ちよく、その揺れと彼の背中に身を任せて私はそっと目を閉じた。
≪続く≫