陰キャだ陰キャだと叩かれたり、主張したりする今日この頃ですが、僕自身自分が陰キャかどうかよくわからないので自分で定義することで、勝手に理解いわゆる自己解釈しようと思い立った次第です。

 

ちなみにWikipedia (https://ja.wikipedia.org/wiki/キャラ_(コミュニケーション)#陰キャラ)によるとこんな感じ。

いわゆる引きこもり、インドア出会ったり、スクールカースト下位の人達らしいです。うん、陰キャだね。

 

おそらくこういったネット用語やらはニコニコ大百科の方が載ってるんですがそれを見てしまっては元も子もないので今回はやめておきます。

 

余談ですが、ライバロリさんが陰者(かげもの)といった言葉をよく使っていますが、自分が陰キャであるということを認めたくはないが認めざるを得ないと言った状況から出た、一つのブランド化だと思っています。

 

ここから見解

 

僕は陰キャには3種類いると思ってます。

 

一つ目がインドア派の人達です。

インドア派について、インドアだから陰キャかって言われればそうではありません。おそらく軽いインドア、どっちかっていうと室内やゲームなんかが好きという人達が陰キャと言われる所以は、本人が陰キャと公言しているからということが多いです。

例として、嵐の二宮さんは重度のゲーマーと公言しています。しかし世間は彼を陰キャと言いません。カースト上位者だからというのもありますが、彼がつけた呼称がゲーマーであったという点が大きいと思います。

そういう意味では、本人による定義というものは大きな意味を持ってくるのではないでしょうか。

ゲームが好き=陰キャというレッテルを受け入れて自ら貼っているということが陰キャと呼ばれる人が多い一つの理由だと思います。

 

二つ目はいわゆる引きこもりと呼ばれる人達です。

しかし、引きこもりにも度合いというものがあります。世間には、人と関わることは嫌いではないがなるべく一人でいたいという人がいます。彼らも引きこもりに分類されます。心を隠そうと、引きこもろうとしているからです。

別にこれは心に闇を抱えてるからというわけではなく、彼らの経験や体験がそうさせています。自分が意見を言ってもスルーされるのではないか、うざいと思われるのではないかと心のどこかで思っているせいで、行動の端々に自分を閉じ込めようという姿勢が現れるのです。

この経験・体験が本人にとって強烈であればあるほど、引きこもりの度合いは強くなっていきます。ここにいじめ等の行動的何かが加わることでも度合いは大きく変わってきます。引きこもることで読んで字の如く、陰の者に陰キャになるのだと思います。

 

三つ目はこれら二つを複合した考え方を持つ人です。

自分の世界に呑まれて他人との関わり方を学ばずに成長した結果、心を塞ぐようになってしまった人、というのが手っ取り早いのですが、これにも度合いがあります。軽いものは、ゲームに夢中になってしまった結果、流行に乗り遅れ、結果的に自分を出せずにいるという人で、世の中にはこういった人が多いんじゃないでしょうか。僕はこの人種です。

ネットでは強気のくせに面と向かえば黙ってしまう人なんかもこの人種です。自分の得意分野等々を話題にした字の上では自分を出せるからこそ強気に、素の自分になれるが、面と向かえば、自分の守備範囲外で自ら発する言葉の上では、自分が圧倒的弱者であるといった自覚から後手に回り自分が出せなくなるのです。

 

以上です。

 

まあ、こんな感じですかね。

 

自分が陰キャだという人達はこれらに当てはまっていたでしょうか?完全ではなくとも陰キャという存在に、自分のキャラクターについて理解できたなら幸いです。

 

異論は認めます。