日本をハッピーにするために!!! -23ページ目

中学校リトルシニアの体験、経験したことを書いてみた

こんにちは〜


感謝してます


今日は雨です☔️


地が固まります^ - ^


はい!(^.^)


今日は

書きたいことツラツラと書いて行こうと思っています。


あ、


続きだ!


笑笑


中学生時代のことを書いてみようと思います。


興味なければスルーっとスルーしてください(^^)




中学生のリトルシニア時代


これは


自分の大事な時期です、


それは


大好きな野球が好きじゃなくなる⁉️


好きの情熱❤️‍🔥が消える⁉️


そんな事があった中学生時代。



好きな野球が厳しくて、現実的に夢が叶わないと諦めた⁉️

なのか

やる気がなくなってしまったのか⁉️

運命なのか⁉️

はたまた

何か意味があるのか⁉️


最初はわくわくしましたが


やはり


監督の厳しさからか


好きと言うより


「やらなきゃ、やらなきゃ」と恐れの様何感じに。



今では

その監督には

感謝しています。


その当時は、監督の顔色伺って野球してた⚾️


殴るわ蹴るわwww


すごいのは


ホームベースから外野のフェンスまで引っ叩く凄さwww

今見たら格闘⁉️


もう見るにも無惨🫢


バットで叩かれて流血😅


なんかもあった^ - ^

※ぼくだけじゃなくて他の人もね


そんな監督もニコニコ笑ってら時は機嫌が良い


野球の事になると

「おれは、瞬間湯沸かしだからな」自分で言ってた^ - ^


昔なね!



本当軍隊🪖のようだね


監督も恐らく野球少年時代は、それ以上の厳しさだったのかもしれないね!



そんなこんなで

ぼくは


怪我ばっかりしてました。


本当

不思議⁉️

怪我して

骨折して

打撲して

捻挫して

肉離れして

疲労骨折して

腰痛など

筋肉もカチカチ


親が毎週マッサージを自宅に呼んでくれてた。ありがたいね。感謝。


いろいろ治療院にも行った


気功から鍼からお灸から

お助けマンや霊能者なども


監督も本当

心の中では心配していたのかもね。


愛情で怒ったりしていたのだろうから


よく辞めずにがんばってたなー


中学生2年生から3年生になる時

もう怪我が続き

野球への情熱が少しずつなくなってきた。


中学校は、部活には所属してたけどほとんど行かずに(たまーに行ってた卓球部)

学校の授業が終わると

掃除もしなくていいので

すぐ

ぼくだけ

桐生の梅田まで

太田市新田から通ってました。約20キロくらいある

行きは母が毎日自転車積んで送ってくれて、帰りは自転車で帰る。


その毎日。


帰ってから練習したりする


朝練もしたりする


日曜日や祝日は、試合、遠征


朝早くから

お弁当🍙作ってくれて

バスで県外🚌に行く

バスの中は緊張の中で向かう


試合に勝ったら気持ちいいが

負けたらシーーンとなって帰る

たまーに

バスに監督が乗らない時は賑やか笑笑

解放感がある。


怖い監督だからね!


そんな中学生リトルシニア時代。


りゅうちゃんの体も心もボロボロ。

だったのかな

ボロボロって感じてなかったけど、


そうだったのかも


たくさん怪我したり


心も好きな野球⚾️が好きじゃなくなり


夢だった野球の選手、プロ野球や甲子園。


陽炎のように消えていく



そんな感じでした。



そう


その頃の心に残ったキズのようなもの。


体を追い込んで追い込んで

肉体を追い込んで追い込んで

鍛えるスポーツ

根性と努力の世界


それが心も体も壊す


何より

「好き」がなくなると「嫌に」なる


辛い苦しいが好きならなくなる


だけど


辛い苦しいが嫌なほど繰り返される


そうすると

怪我したり

ミスしたり

おどおどしたり

心も内向的に

我慢体質になる


その経験をしたから

もうそれは嫌だと

心も体も悲鳴をあげていたのかもしれないね



高校は野球の名門校に進むことになりました。


前橋工業高校という

名門校で野球部も厳しくて有名⁉️


ああまた厳しい練習や野球の世界に行くのか。。。


多分だけど


心のどこかでは


中学時代にあんなにがんばったのだからと

プライドと言うか見栄?のような気持ちもあったのかな


高校野球


憧れてた高校野球は、現実は

とんでもなく

別世界だった

群馬県中から集まった選りすぐりの選手たち

総勢65名

なんと

新一年生野球部だけで65人‼️


多すぎる

どう見ても多すぎなのは

感じてた


ふるいにかけるように


毎日

朝からグランド20周

練習の最後にまた20周


ついてこれなくなる人続出。


これがふるいにかけるというのか?!


3年生の時は34人でした。たしか。


半分辞めてたって事ですね。


そして

ぼくはと言うと


一年生の時は

若駒杯という一年生の大会ではレギュラー出場して

県大会優勝🏆しました^ - ^


が、しかし


そのあとは、もう

補欠選手から

3年生の試合に一回出たきり


そして2年生になる時くらいに

腰痛がひどくなり

野球も出来ない状態


自分の中では、もうやる気がなくなっていた。


友達と遊ぶことにわくわくしだした?かな


野球もお休みした。


やめようと思ったけど 友達や仲間に「辞めなくていいよ」っていってもらえて

辞めないで

怪我を治すことに専念した


野球部は大勢いたので

行かなくても大丈夫だ


そして

2年生の1年間は、野球部に行かなかった。

何してたのかな?


いろいろ医者や治療院に行ってたな


親が一所懸命に探してくれたり

マッサージ連れて行ってくれたりしたなぁ

ありがたいね感謝。


その時

気功に出会い

その先生から頂いた「光」のカード

緑色にパウチされた光カードを

腰の下にいれて寝てごらんって

言われ

寝て起きてびっくり‼️


汗びっしょり💦


本当オシッコ漏らしたのか!?と思うくらい

腰のところから汗が出た。


そうだそうだ


中学生の頃に怪我ばっかりしてた時


霊能者のところに父親が連れて行ってくれて


その体験が不思議でした。


女の人の先生に見てもらって


家の地図みたいなのを書き出して

その上にバッテンのように

斜めに線を引き

「これが隆悟さんの一生本能の線?(多分そう言った記憶がある)だから、ここに何か大きな石とかありませんか?」


そう言って

父親があると答えました。


そして明くる日


クレーンでその庭石2トンくらいの石をどかしました。(行動力がすごいね)


そしたらなんと!?


今までずっと続いてた怪我がピタッなくなったんです。


そんな不思議な体験しました。


高校生の頃も

気功の先生に頂いた「光」のカードで不思議な体験しました。


そして


3年生になり


野球部にもどり


もう開き直ったように

野球を純粋に楽しみました。


もう上を目指すことでなく

たのしむ野球をしたかった


ただ単に

野球が出来る幸せ。ありがたさを感じながら

仲間とともに

楽しんだ野球でした。


もうレギュラーにはなれないと分かっていたので

力が抜けたのか

すごく楽しめたな


不思議とバッティングもすごく良くなって

めっちゃ打率が良くなったのを覚えてる


力が抜けるといいんだよね

やっぱり


高校2年の野球部を休んでいた頃


何をしてたかというと


地元の幼馴染みのなくべん(あだな)と遊んでました。

なくべんは

もう既に仕事してた?というか

親が馬の仕事してて、それの手伝い


もう大人と同じ様なことしてた

ちょっとヤンチャしてましたね。


その頃

タバコもしたり

原付バイクも

乗ったりしたな


そんな遊びを覚えて始めて

今まで

野球少年だった

りゅうちゃんが

少しヤンチャなことをし始め

親にも少し逆らうようになった

(自分の気持ちの中ではすごく落ち込んでた。野球を諦めて夢を諦めたから、もう夢がなくなり、どうすれば良いか分からずに過ごしてたから、何かに反抗したかったのかも)


そんな日々の中で

なくべんに遊びを教わった。


スポーツもやってないなくべん(なくべんは少年野球の時めっちゃ上手くてセンスよくて凄かった)

努力と根性の世界とは別世界にいたなくべんは、何が僕からしたら

すごく大人にみえたり、頭が良いなぁ、賢いなぁ、えらいなぁって思ってた。


お酒やタバコを体験する(良い子はやらないでね)


そんな日々の高校2年生


内心は辛かった

苦しかった

それが本音


野球部は辞めた訳じゃなく

またやりたい気持ちもあったから


3年生になって 

少しいじめにあった


同じ年の少しヤンチャな野球部の仲間と馬鹿にされたり舐められたりした。

多分自分に対してもいじめていたのだろう。


ある日その子に逆ギレしてやった。

そしたら

もう何もやってこなくなった。


言い返せない子はどんどんいじめられていくのだろうなと思う


ケンカは好きじゃないから

逆ギレしても殴ったりしなかった。


けど言い返せて逆ギレして良かった、

怖かったけど良かった。

向かうは仲間でくるから怖いよな


舐められちゃいけないよな


そんなこんなで

野球生活も

終わりを迎える


最後は

応援団として

楽しんだ野球生活


甲子園にも後輩が行ったとき応援団として行けたし

楽しかった。


色気もついてきて

なくべんとスナック行ったり夜の街に良く出てたから


野球は諦めたけど

遊びをしたりして

楽しい高校生活


書かなかったけど


高校一年生の時

高校を変えたいまたは辞めたいって父親に本気で相談した

生活指導の先生に相談した

転入は難しいとのことで諦めた

あと

この高校(前橋工業高校)を選んだのも

どっちかというと

父親のすすめで行った

土木科で勉強することが目的で

前橋工業高校にした。

野球は親も諦めてたのかな

土木科は一番人気で試験で落ちた^ - ^

補欠の機械科にまわされた。

機械なんてやると思わなかった^ - ^

まぁいいかって感じてた


土木科じゃないので

桐生工業高校に転入しようと思ったが叶わず

そのままだった


そんなこともあったな


そして

専門学校に行くことに


生活指導の先生に相談したら

「中央工学校がいいよ」って勧められて

親と相談して

そこに行くことに

ぼく自身は

「もう勉強はしたくない、就職したい」と思ってた

それは

なくべんは

既に中学校のころから仕事して稼いでいて

それに憧れていたのかも就職して自分で稼ぎたかった

けど

その気持ちは吐き出せず、親にも言えず

そのまま専門学校へ

父親は、「勉強しなくていいから、社会に出る前に遊んで来い、隆悟は野球しかしてこなかったんだから」と言われ

「はい」と。^ - ^

アパートの

家賃も

お小遣いも頂きながら

遊んだ専門学校の土木建設科での生活


そして

遊んで

楽しんだ

毎日を送る

卒業間近に出逢った人と(相手は高校生)と結婚する事に。


以上

今日はここまで


読んでいただきありがとうございます😭


いやー

書くと出てくるなぁ

辛い時期を過ごした時の思いって以外と思い出せてなくて

こうして文にすると出てくるし

気持ちの整理が出来る


本当ありがとうございます😊


感謝してます。


続きもあります笑


これから

りゅうごくんの物語が始まる。笑笑


本当ありがとうございました


皆様にすべての良き事が雪崩の如く起きます。






今日は昨日の続き。その前に。

こんにちは〜


感謝してます!


いつもありがとうございます😊


今日は、


続きの前に


小学校の時の事を書いてみようと思ってます。


何か気付くキッカケになったら

嬉しいです。



小学校一年生の時は


自由気ままな感じでした


やんちゃというか


元気いっぱいでした^ - ^


先生によく注意されるようになりました。


一年生の時


初恋❓なのか


同じクラスのさおりちゃんが気になり始めて


そのさおりちゃんのとなりの席になりたい⁉️気持ちがあった。


けど

それは叶わず


となりになったのは

中野くんでした。


そこで

初めて?嫉妬?やきもち?のような感情がしました。


2年生になり

その時の担任の先生が

結構

特定の子にえこひいき?してるように感じられ、またまた

やきもち?嫉妬?のような気もちにならました。

その先生は、産休で違う先生に変わりました。


ふぅー


今思うと嫉妬ややきもちがその頃に出てくるのは

多分ですが

家族関係にあるのかなぁ


兄が2人いて妹が1人います。


その中で

愛されたい

愛されない

兄や妹と比べたり、比べられたり

そんな感情が出て来たのかもしれません。


話の続き


先生が変わり

2学期の清水先生は、すごく気が合うと言うか

好きな先生で

その時の作文に

先生がすごく感動してくれて、

「大きくなったらりゅうごくんに家を建ててもらうからね」と言われた事を覚えています。


その作文は、父親の仕事のことを書いたものでした。


そして


3年生


また

りゅうちゃんの心に嫉妬心が湧いて来ます。


多分

2年生の清水先生の時は

気に入られてた?かわからないですが

他の子が僕に嫉妬や焼きもちやいていたのかな?

なんて思った。


3年生になって

山鹿先生は、少しやんちゃなこうじくんにばっかり目を向けたように感じた(多分思い込み❓)


こうじくんは、絵も上手くいつも元気で、男らしくてカッコいい

自分の心の中ではそう感じていました。


山鹿先生にやきもち?嫉妬?いったいこの様な気持ちってどこから起きてくるのでしょうか?

やはり家族関係かなー

もっと愛されたい。と言う気持ちの表れなのかなぁ?

これは今にも繋がる大切なことだなー



そして四年生^ - ^


四年生はねー


あまり記憶がない。。。


なんでかな?!


同級生と話したいな

この辺の時の事を。

笑笑


五年生

この頃から

すこーし

コンプレックスのような気持ちが出てきます。


兄と比べたり、比べられたり(多分自分の中で思ってること)


父親に対しての劣等感?みたいな


6年生になって


自分の字に対するコンプレックスを感じたのを覚えてます


3年生の時

習字を習ってその時に先生が厳しくて(なかなか丸をくれなくて)嫌になってやめました。(多分真面目に習字やってなかったみたい)^ - ^


その字のコンプレックスが

今の仕事に繋がるとは思いもやらなかった^ - ^


小学校の時の記憶を辿ると


嫉妬、やきもち、人と比べたり、比べられたりのコンプレックス、劣等感が

見えて来ます。


もちろん

小学校のりゅうちゃんは

元気で

カッコよくて

優しいし

男らしくて

(まつ毛が長くて女の子みたいな目をしてました。ちょっとそれが気になる年頃?)

力持ちで

女の子にもモテました^ - ^

自分で言っちゃいます^ - ^



その家族との関係と学校での自分の気持ちを見てると

小さな時の自分から

少しずつ

変化してるのが見えて

今の自分に影響と言うか

残る気持ちがあるんだなぁと感じます。


3年生から

野球⚾️リトルに入り

キャプテンとして

そしてピッチャーで4番

努力と根性の野球⚾️人生を過ごします。


その

いろんな意味で

楽しくて

一所懸命で

カッコいい

りゅうごくんが

中学生。

野球⚾️ではリトルシニアに。


硬式野球と言う

少し

ハイレベルな世界に入ります。


そこで


監督のもと

野球を始めました。


それが


厳しくて

まるで

野球でなくて

厳しい訓練校❓

と今思うと

訓練道場みたいでした。


野球のたのしさから


野球の厳しさ、世界の広さを知ることになる。


あぁ


楽しかった

野球はどこに。。


楽しいから


本格的?な野球というより

厳しい野球訓練校⚾️に?


そこで

感じる

自分の気持ちが

もうたくさんありすぎてありすぎて

文字にしたら収まりきれない^ - ^


それを

次に書いて行きたいと思います。


乞うご期待!!。。。しなくて大丈夫です😅🤣


ありがとうございました😊


あなたに全ての良き事が雪崩の如く起きます。


今日は自分の過去の事を書いてみた。みたい方限定^ - ^

こんばんは〜


感謝してます。


今日もありがとうございます😃


ちょっと自分の過去の話をしたいと思います。


みてくれる人限定です^ - ^


今も

昔の小さかった頃も

あまり変わってないwww


多分

同じなんだと思う


ただ

小学校上がる前は、もっとなんか伸び伸びと言うか

やんちゃだったなぁって

感覚的に覚えてます。


だけど

性格は、変わってないなぁと思う


よく

歳をとるにつれ、小さな頃を思い出したり、子どものようなるって言うけど、今がそうかな笑笑


子どもの頃と今がリンクしてるみたいな感じ


ぼくは

3歳の時に

臨時体験のような記憶があります。


3歳のその時のことをよーく覚えている。


それは

母親に聞いたので、細かいことは分かったけど


高熱を出し、ぐたぁーってしてるのに、おばあちゃんがおぶって外で作業をしてたらしい、多分夏頃に

それで

気づいたら

ぐてぇーって泡吹いてた?みたい、多分意識が飛んでたみたい、死んでた⁉️^ - ^

そして

救急車に運ばれていくのを

自分で見てた記憶がある。


変な話

記憶があるのだから

自分でも

夢なのか本当なのか分からない^ - ^


親に聞いたら

病院行ったらすぐに息を吹き返したみたいで

良くなったみたい


自分の記憶では

病院行ったら

一瞬で直っちゃった⁉️ような感じ。


あれー?!って感じでした。


その時からか

今のように

心の声と言うか

内面的な想いを感じはようになったのは。多分。


まぁ

分かりませんがね


幼稚園、小学校に上がって

今と同じような気持ちで

子どもの振り?

だけど

いろいろ感じたり。思ったりしてる

勉強は好きじゃなかったので

遊びに夢中でした、


サッカーや⚽️野球⚾️

ドッチボールなど


2年か3年生の時

野球のリトルに入ります。


そこから

野球のチームのメンバーとして

野球にハマっていく 


親も応援してくれた

兄もいたので

兄の背中見ながら

夢中でやった。


親も朝練やバッティングセンターに連れて行ってくれたり


休みの日は野球⚾️


家族のお出かけも

高学年になると

ほとんどいかずにず野球の試合⚾️


大会があると家族で応援に来てくれる

祭りだ!祭りだ!試合だ!みたいな感じ^ - ^


楽しいって思ってたかはわからない

多分楽しかったのだろうね

そんなに夢中になってたのだから


チームでも

得意不得意があったりして

お互いに協力し合う仲間


勝つために

勝つために


一所懸命になった


「根性」って壁に貼ってた(^^)


「努力」っていつも言われてたし、意識してたし、努力した。ぼくなりに


星飛雄馬はあまり見なかったけど

そんな感じ


根性と努力


努力しないとダメだ〜的な時代


素振りしてり

筋トレしたり

走り込みしたり

トスバッティングしたり


親も一所懸命にやってくれて


お弁当🍙作ってくれたり

夏は冷たいのを水筒に入れてくれて、スポーツドリンクが流行ってて、粉を溶かすやつ^ - ^

あれがうまくて

飲み過ぎちゃう

夏はレモン🍋とハチミツが美味しい笑


楽しかったなぁ熱い夏の試合とか


辛い練習だけど

辛いより楽しいとか夢中だったから

そんな辛い努力とか当たり前になってたな


県大会に行くと

強いチームやすごい選手を目の当たりにすると

世界の広さを、体験する


わぁー

うまいやつすごいやつ!いるんだ!


強いチームあるなぁ結構。


上が見えた時期だ


自分の実力がまだまだだと気付きはじめる。


りゅうごくん6年生になって

すごい選手はたくさんいることに気づいた。

夏の日。


野球⚾️の世界の厳しさと言うか

現実と言うか

広い世界を、見たような気持ちになった。



さぁ!


中学生。


上を目指していくか!?


親は

リトルが終わり

中学の野球⚾️は

そんなに熱が伝わってこなかった


だけど


りゅうごくん


硬式野球⚾️リトルシニアにいく決意をする。


ここからが

大きな大きな

野球人生⚾️のクライマックス?!的な経験をする

クライマックスは言い過ぎかな


人生を変えるような

3年間を過ごすことになる。


続きは次回にします😃


ありがとうございました😊


あなたに全ての良き事が雪崩の如く起きます。