2023/08/27 | 日本をハッピーにするために!!!

2023/08/27

こんにちは🌞


感謝してます♪


いつも読んでいただきありがとうございます😊


心からご縁に感謝してます。


今日はなんでも思い付くまま書いていきたいと思います。


どうか不備がありましたり至らないことがありましたらご指摘の方よろしくお願いします。


幸せなことや良かったこと

楽しかったこと

良い話や幸せな体験や感動して話

いっぱい話せればいいなと思っています。


ぼくは

小学校、中学校

比較的大人しい方でした笑笑

(これはぼくが勝手に思っているので)


小学校の時は

三年生から

野球⚾️を始めて

野球少年として

少し大人しめなリーダー

キャプテンをつとめました。


努力と根性を紙に書いて、壁に貼り付けて

素振りやダッシュなど努力していました。

おかげ様で

キャプテンで4番でピッチャーをやらせていただきました。

(これは決して自慢でなくて、その時がぼくの最高の花舞台でした。それはみんなのおかげです)


大好きな野球を一生懸命にやっていました。


家族とのりょこうも行かずに

⚾️野球に打ち込んでいました。


その時の監督(藤生監督)がとても野球熱心で、野球の楽しさ素晴らしさを教えてくれました。そして

野球を通じて愛情をたくさん与えてくださいました。

藤生監督には心から感謝しています。


楽しかった小学校の思い出と

中学生になって

野球を極めて行こうする自分


普通の野球部⚾️に入らず

硬式野球部に入ります。

桐生リトルシニア


家から1時間半以上かかる「自転車」で

通い続けました。


そのシニア野球⚾️で

野球の厳しさを体験します。


 野球が嫌になるくらいに😆


最初は、好きな野球が⚾️たくさん出来る喜びとともに

野球が上手くなるために努力して行きます。


練習が終わったあとのトレーニングや素振りやダッシュ、縄跳びやシャドーピッチングなど


「上手くなりたい」その一心で


お風呂の中でも

手首の訓練


その中で

体が辛くなって来て

筋肉痛が酷くなってきたりして

親が心配して

出張でマッサージを読んでくれたり

鍼灸に通ったり

おすすめの整体に行ったり


体もケアしながら

体を鍛える日々


本当に親には感謝です。


そして

ぼくは、ピッチャーで4番、そして3年になってキャプテンを任されます。


大好きな野球⚾️が

少しずつ

辛くて厳しくて

野球の楽しさ⚾️がなくなっていくようでした。

(これは無意識で限界を感じていたのかもしれない)


そして

野球も大会で優勝したり

負けたりしながら

チームの仲間とともに

野球を楽しみながら

やって行きます。


その時の監督(金子監督)がとても野球に厳しい人でした。

(昭和の厳しさ)

かなりスパルタと言っても良いくらい

ピンタやゲンコツやバットでコツンと叩かれたり

怒鳴られたり

年中叱られていたような気がしてます。

それも怒られやすい人と怒られないタイプとあったりと

子どもながらに

変な気持ちでした。


監督は、うまくなって欲しい。良くなって欲しいって言う気持ちが一際強かったのかと思います。


2年3年となって

たくさん怪我をしました。故障もしました。

治ったらまた怪我、故障。


監督も心配してくれて

長野の更埴病院🏥に連れて行ってくれました。


整体や気功、鍼灸、マッサージ、お助けマン整体師

静岡県御殿場市まで行った事もあります。




そんな監督の愛情もあったこともいい思い出です。


心から感謝してます。


野球燃え尽き症候群⚾️笑笑

だったかも知れません。😆


でも

その経験があったからこそ

仕事で

多少の厳しさはなんのその。

単体に耐えられます😆


良かった良かった


ぼくとしては

シニアの監督みたいにはなりたくないと心に誓っていました😆


人に厳しくしないこと。


離婚して

斎藤一人さんと出会うまでは、


[自分に厳しく、人に優しく]と紙に書いて貼ってました。


それは

現実で無理でした。


一人さん曰く

「自分に厳しい人は人にも厳しいよ」って


そう一人さんの教えは


「自分に優しく、人にも優しく」


そうなってから

本当に

心も体も楽になりました。


そして

怪我や故障することもなくなりました。


中学生から高校生になって


高校野球⚾️(前橋工業高校)には入りますが

この時は、ほとんど

野球⚾️への情熱は少し薄れて来たように思います。

「多分無意識で野球⚾️で上を目指すことを諦めたのかもしれません)

「諦める」は、明らかに眺めるともいいます。

早めに諦めても良かったなと思うな


硬式野球⚾️野球部を卒業して


専門学校🏫


土木建設の専門学校に行くことになる


東京都田端にある専門学校(中央工学校)


そこでは、全国から来た生徒と出逢い

楽しい毎日を過ごす


ほとんど遊びです。


もちろん授業も受けたいましたよ


毎日は友達と遊んでました。


土日は出かけたり

飲んでみたり

飲み会など


未成年では出来ない体験をし始めます


その経験が今となって

とても大切になるとは思っていませんでした。


楽しかった経験が

今の自分にとって

すごく大切になりました。


親には本当に感謝しています。


そして


専門学校の時に出会った人と結婚、子育て、そして離婚を経験する事になります。


卒業して

すぐに結婚

そして自分で会社を興してから

離婚

子ども2人ともお別れすることになり


会社を発展するために

毎日がんばって行くことになります。


会社を営んで行く中で学ぶ事がたくさんあって

人間関係、経済、健康と

様々な学びと経験をして行きます。それが

とても大切な経験だと後で知る事になります。


その会社で出逢った

当時従業員として来てくれてた

久保さんが「久保さんはお坊さん」


久保さん

今は安中市「久昌寺」の住職です。


その久保さんが

「ツキを呼ぶ魔法の言葉」と言う小冊子。


それを頂いてから人生が一転しました。


そこから

斎藤一人さんを知り

まさに今の自分がいます

笑笑


最高に幸せな*\(^o^)/*

人生の幕開けでございます♪😆


伸び代十分まだございます♪




























たくさんの人に

書き下ろしと言う

言霊を書いて来ました。


心から感謝してます。


皆様にすべての良き事が雪崩の如く起きます。